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月面少女と月下の魔女  作者: 吉田エン
一章 巨大な月と魔女
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13. 亥の街

 実際は潮汐力のおかげで、<月下>一帯の重力は通常以下のはずだった。しかし頭上を覆う巨大な月のおかげで、どことなく身体が重く感じられる。しかし霧の中から現れる野犬や得体の知れない怪物から逃げ続け、目映い月明かりの元に出ると、多少は気分もましになる。


 ひたすら礫砂漠を走り続けること数時間で、周囲に植生が現れた。最初は萎びた雑草の類いだったが、こちらは特に光ったりはしていない。次第に木々が現れ、農園らしき一帯に入り込む。キャラバンから話には聞いていた。<月下>の殆どは不毛地帯だが、亥の街周辺は穀倉地帯になっているという。ここを流れる川は袁山ではなく、北の山脈に源流があるらしい。おかげで塩害を被ることなく農業をすることが可能なのだろう。


 丑寅で食べられている物も殆どが亥の街製ということもあり、<月下>の北半分のオアシスは殆どが亥の街に従属しているような状態らしい。人口も相当なようで、城壁代わりのジャンクの壁は丑寅の数倍の長さがある。


 ミルの手によるカモフラージュは、十分に機能している。それでもアカネは直接街の中に入るのは避け、キャラバン向けの駐車場のような所にピピを停め、徒歩でゲートに向かった。


 空が白み、街も機能しはじめていた。多くの農作業員らしき連中が、自転車や電動キックボード、軽トラックで農園へ向かう。周辺には製粉所もあり、錆びたプロペラの風車で休みなく臼を動かしている様子だった。


 丑寅の商店は機械類が殆どだが、ここには本当に様々な物が並びつつあった。中には山羊のような動物もいて、肉もある。丑寅ではあまり実感できなかったが、この街では衰退しつつある人類がしぶとく生き延びている様子が窺えた。広場の奥の方には数棟のビルがそびえている。きっと奇跡的に生き延びた過去の遺物なのだろう。それが今では行政機関になっているらしく、朝から多くのキャラバン連中が許可証を求めて列を作っていた。中には見知った男がいて、これ幸いとエスパルガロ商会の場所を聞く。どうやら街外れに幾つかジャンクヤードがあり、その一つらしい。


 向かっている途中で日が昇り、街の子細がわかるようになる。やはり廃材が主ではあったが、新しく作られたセメント作りの建物もある。一応上水道のようなものも敷かれていて、所々で錆びた鉄パイプから水が漏れ出ていた。アカネの知る発展途上国の裏路地と見まがう程で、この街が発展していけば人類も十分に文明を再建できるような気がしてくる。


 しかし、彼らは二つのものに首根っこを押さえつけられていた。一つは頻発する大地震、そしてもう一つが<魔女狩り>だ。


 ジャンクヤードに向かうに従って、丑寅のような各種LEDサインを瞬かせている電子パーツ店が増えてくる。そうした一角に人だかりが出来ていて、アカネは興味本位で中を覗き込んだ。


 一人の中年男が跪かされていた。散々に殴られたらしく、顔中が腫れている。取り囲んでいるのは四人の自警団らしき連中だったが、やがて一人が群衆に顔を向けて声を張り上げた。


「この男は<魔女>の装置を手にしていた! この街の安全を脅かすことをわかっていながら、自らの好奇心と怠け癖に負けたのだ!」


 アカネと同じくらいの若い女で、この世界では珍しいくらい色白で日焼けの跡がない。彼女が足蹴にする装置を見て、思わずうなり声を上げていた。3Dプリンターだ。あれさえあれば色々な事が出来るのに、と考えていたところだ。倉庫から掘り起こしたばかりらしい新品同様の品で、制御用のノートPCも十分に機能するように見える。


 それを彼女は、思い切り踏みつけた。プラスチックが割れ、コンデンサが破裂する。その音に群衆からはどよめきが上がり、アカネは舌打ちをしていた。彼女が続ける演説を聴く限り、どうやら自警団はこの街が<魔女狩り>に襲われることがないよう、自発的にハイテクを取り締まっているらしい。


「あのおっさん、どうなるんだろ」


 ふと呟くと、隣で背伸びしながら眺めていた中年女性が応じた。


「追放だね。いい気味だよ。なんだか訳のわかんない物を弄くってさ」


 彼女の言葉通り、やがて男は着の身着のままゲートに追い立てられていく。


 本来であれば、あの男のような人物が文明を立て直していくはずなのに。そう苦渋の思いで見送るアカネだったが、ふと、演説していた女と目が合う。痩せた眼光鋭い女で、赤茶けた髪にビーズを編み込んでいた。腰のコイル銃に手をかけ茶色い外套を風になびかせている様は、ケルトの女戦士のようだ。


 向こうは見慣れない余所者を注視していたのかもしれない。しかしアカネはどうにも彼らの蛮行が腹立たしく、目を逸らすこともしなかった。結果として睨み合うような形となったが、少しして彼女は小さく頷くと、一団から離れて行政ビルの方に戻っていく。


「ちょっとあんた、エラと知り合いなの?」


 まったく、中年女性の観察力というのは恐ろしい。アカネは驚いて彼女を見下ろした。


「いや、知らん。誰なの?」


「自警団の団長。こないだ来たばかりだってのに、やることなすこと容赦ない。それであっという間に堅物の議長に気に入られちまった。あんた目を付けられたんじゃないの? 気をつけないと<魔女>だって狩られちゃうよ。怖い怖い」


 まったく呆れる。技術者の追放を支持しつつ、それを実施した自警団を怖がってる。結局何にでも愚痴っていたいだけの人なのだろう。


 未だにざわめきに包まれている一帯を離れ、街外れへと向かった。左右はジャンクの山に覆われるようになり、地面にはネジやワッシャーが無数に転がる。そうした中に、目印と教わった鉄塔がそびえ立っていた。送電塔だろう、こちらも当然のごとく半ば崩れかけていたが、無数の風車がくくりつけられていて未だに有効活用されている。


 ゲートを通って中に入ると、荷受場の近くに貨物コンテナを改造して作られた事務所があった。この世界では汎用的に見られる建物だ。


「こんちゃ」


 中を覗き込みつつ言って、すぐに驚いた。振り向いたのは紛れもない、あの<月下>で最初に出会った、ロッカー風の行商人だ。更に驚いたのは、彼はアカネが訪れるのを予期していたらしいことだ。満面に笑みを浮かべつつ、平たい箱をカウンターに置く。


「遅いじゃねぇか。ご自慢のバギーもとうとう壊れちまったか?」


 咄嗟に言葉が出てこなかった。すると男は肩を竦め、身を乗り出してくる。


「どうした。時間がねぇだろ。あと六時間ちょっとで丑寅ってのは、あんたのバギーでもかなりギリギリだろ」


「いやいやいやいや」ようやく声が出てきた。「おっちゃんがエスパルガロ?」


「そうだ。こう見えてスペイン系だ。言っておくがスパニッシュギターは嫌い」


 言われて気がついた。中からはよくわからないメタルが響いてくる。


「いや、そんなことはどうでもいいけど。どうして私が来るって知ってたの?」


「俺たちには俺たちなりの情報網があるんだよ。いいから急げ。ミルって子が緑眼病なんだろ? 早く持ってかないとゾンビになっちまう」


「え、うん」


 勢いに押され、箱を手に取る。中身は透明な液体が入ったペットボトルだった。てっきり旧世界の製薬品のストックだとばかり思い込んでいただけに、何か取り違えがあるんじゃないかと不安にかられた。


「ちょっと待って。これ何?」


 呆れたように彼は身を反らせる。


「綺麗なPTPに入った薬剤がお望みか? 悪いがもう在庫切れだ。それで我慢してもらうしかねぇ。エスパルガロ商会特製の生ペニシリンだ。トキコなら使い方を知ってる」


「生のペニシリン?」アカネはまじまじとペットボトルを覗き込んだ。「まじか。すげぇ。ここでおっちゃんが作ってんの?」


「そんな話をどうこうしてる場合じゃねぇだろ。人命がかかってる状況だろ? そっちが優先じゃないのか?」


 否応もない調子に、完全に押される形になった。色々と疑問を抱えつつも背を向けたが、それにエスパルガロが声をかけてくる。


「そうだ、これで隠していけ」と、汚れた布袋を投げつけてくる。「最近は自警団の連中が五月蠅くてかなわん。この街も住みづらくなっちまった。あんたのバギー、大丈夫なんだろな?」


「え。うん、カモフラはしてるけど――」


「注意しろよ。<魔女狩り>の機械を勝手に乗り回してるだなんて知れたら、冗談じゃなく真面目に八つ裂きにされるぜ」


 どうしてそんなことまで知ってる?


 驚いて振り向いたが、彼の姿はもう事務所の奥に消えてしまっていた。

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