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終章―そんな人生ヴァニシング?

 英治とコウは、遅いタイミングで現場にかけつけたゲンジの車に拾われた。車内にはココロもいて、車から降りて何をするかと思えば、英治の頭を撫でてきた。

「がんばったな、本当に」

 彼の幸せそうな横顔を見たコウは少しムッとなったが、しかし幸せならばそれでいいか、と割り切って黙って車に乗り込んでいく。


 そんなコウに気を利かせたのか、どうか。ココロはあえて助手席に座りなおした。後部座席には英治とコウの二人きりで、だからお互いに少しだけ顔を赤くしていた。

 その様子をミラーで確認して、ココロとゲンジは互いに顔を見合わせると「ぷふっ」と噴き出していた。

 神の如き力を振るったコード:0を宿した少女と、その神を撃退してみせたムラマサが選んだ少年。その二人が必要以上に恥ずかしがる様子が、ココロとゲンジにはおかしくてたまらなかった。二人に宿った存在の重要性を把握しているからこそ、尚更のことだった。


「これはまた、ジャストタイミングだな」

 走り始めて三〇分程度が経過し、あと少しで交番に着こうかという時、ゲンジが呟いた。

 見れば、車窓の向こうの世界の果てに、朝日が見えた。

 それは一日の始まりを告げる印でもあり、天を覆うラショナル・オーラの濃度が薄くなった証でもある。

「眩しい……」

「ほんと」

 太陽を目に焼き付ける英治とコウは揃って、笑いながらそうぼやいていた。そして自分たちがそういえば眠ってもいないことに気がついてしまい、二人はやがて寝息を立てる。


「起こすか?」

「いや、そっとしておこう」

 目的地の交番に車が停まっても二人が起きることはなかった。ゲンジとココロは肩をすくめると、さっきまではあえて距離を置いていたのに今は肩を寄せ合って眠っている二人を見て、

「こういうところは、お子様なんだよな」

「この世界を救ってみせたというのにな」

 交番の駐車場で子どもたちを見守りながら、ゲンジとココロはしばらく静かな朝日を眺めていた。

「救う価値のある世界だったかどうかは、別として」

「ふっ。それは、この子たちがこれから決めることだろう」



 世界を覆い尽くすラショナル・オーラは徐々に消失し、七日後には完全に消え去った。

 仮想生命体は完全融合態の個体を残してすべてが消滅。生き残った者も、あくまでひとりの人間として過ごしているらしく、奇怪な事件がニュースを騒がせることはなかった。


 仮想生命体を見たことがあるか、そうでないかでその印象は大きく変わった。見たことがある人間は、怪物はこの世界に実在すると嫌でも信じさせられた。一方、仮想生命体を実際に見たことがない人間は、何も知らないままいつもと変わらない生活を過ごしている。


 時が経つにつれて仮想生命体が本当に存在していたのかどうかもあやふやになり、幽霊などの怪談と混同され、都市伝説やオカルト話の一種にもなっていった。


 ただ、それでも仮想生命体の侵略が世界に刻んだ傷跡は明確に残っている。


 コード:インフィニティのように世界を改変してくれる存在もいない以上、たとえば英治が抹消した大和リンには、行方不明者として警察に捜索願いが出されていた。

 願いが果たされるその一歩手前で仮想生命体が消滅してしまい路頭に迷う人間もいて、その多くが精神病を疾患した。自殺に走る人間も少なくなかった。

 このような“行方不明者”“患者”“自殺者”は全国で発生し、その人口は数千人に及んだ。

 

 ちなみに英治は、大和リンのことについては黙っていることにした。彼女の家に謝りに行くこともなかった。

「キミは、仮想生命体を削除してこの世界を護ったんだ。キミは悪くない、そうだろう」

 ココロが英治にそう言って、リンの家に行こうとするのを止めたのだ。

 その時、英治は泣きながらココロに頭を下げた。



 その数時間後……今度はコウがココロを訪れた。

「ん? あたしの住所、知っていたのか」

「いえ。九籠くんから、教えてもらいました」

「そうか」

 ボロアパートの玄関でそんな会話を交わし、ココロの研究室兼自宅にコウが初めて入る。

 畳の部屋らしいが、床面にはパソコンのコードや空き缶やゴミが散乱しているせいで足の踏み場もなかった。

 それでも彼女の背中についていき、そこだけは清潔にメイキングされているベッドに腰掛ける。

「あたしに、いまさら何の用だ? キミはもう、仮想生命体とは関係ないだろう」

 ココロの躊躇のない言葉は、コウの胸中にまっすぐ刺さった。


 コード:0とともに英治とぶつかりあった、最後の局面――コウはコード:0を捨てて、英治を抱きしめる道を選んだ。

 あの時は幸せで胸がいっぱいになったし、そういう人生をこれから歩んでいくんだ、と決意を固めたりもした。

 しかし、決意とは夢のようなものでしかなく。


 こうして事件が終わり仮想生命体と無関係の、言ってしまえば“ただの人間”になってしまった現状、コウは自分を見失っていた。

 無口で、友だちもいない、勉強もできない落ちこぼれ。それが自分。コード:0が宿る前の原点に戻ってしまった少女は、何の力もない自分に絶望していた。

 彼女にとっては、コード:0の存在こそが生きる理由だったのだ。コード:0という絶対的な存在が自分に宿ったことこそが、最大の個性だった。

 失ってみて、その大きさがわかった。すべて遅い。


「私には、何の資格もないような気がして」

 友だちもおらず、家族に悩みを打ち明けてもわかってもらえる気がしなくて、英治本人に相談できるはずもなく……コウはだから、自分に悩みをもたらす張本人にすべてを打ち明けることにした。

「あなたなら、きっと九籠くんを幸せに導ける。何の魅力もない、私と違って。だから」

「だから、何だと言うんだ? あたしを、あの高校生のガキンチョと結婚させるつもりか?」

 遮るように先を言われたコウは押し黙るしかなかった。ココロの言葉は、ほとんどコウの悩みをそのまま言い当てていた。

 唇をかんで顔をうつむけて、両手でシーツを握りしめるコウに対して、ココロは「ハッ」と、一笑に付した。

「申し訳ないが、あたしはショタコンじゃない。あまり言いたくはないが、アラサーなんだ。さすがに高校生は乳臭すぎる、相手にならない」

 ココロはそして床に落ちていたタバコに火をつけると、一服した。

「あたしにはキミのことは何一つわからない。だからどうしてキミがコード:0を自ら切り離してしまったのか、やはりわからないよ。でも、あたしにこんなことを言うために、あの神と決別したわけでもないんだろう?」

 何も言えないコウは、ただこくん、と一度だけうなずいた。



 すでに始まっていた夏休みが、本当の意味で始まった。


 英治は毎日、リンが遺してくれた日程表に従って課題をクリアしつつ、時々“バイトメール”と題されたゲンジからの依頼のもと、仮想生命体の残党狩りを行った。

 体裁上は勉強もバイトもどっちもがんばっている、という彼の人生でもっとも充実した夏休み生活を送りつつある。


 終業式が始まるまで、あと一週間。


 課題も大半が片付いて、残りあとわずかになったものを図書館で淡々とこなしていた英治は、見知った人影が突然目の前に現れて驚いた。


「大湖、さん? あ、いや。コウ、さん?」

「久しぶり、九籠くん」


 図書館の向かいの席にコウが立っていた。縁がピンクのメガネをかけた彼女は、なんと私服姿だった。夏休み中だから当然なのだが、そういえば英治は彼女の私服姿を見るのは初めてだった。

 黄色のロングスリーブに、紺のデニムパンツをあわせていた。いつもの堂々とした様子はどこへやら、目線をちょろちょろと右往左往させている何とも落ち着きのない感じで、コウは図書館に適したコソコソ声で言ってきた。

 彼女の両手には、分厚い参考書とやけに綺麗なプリント類の束がどっしりと積まれていた。


「あのさ……久しぶりに会って、それでごめんなさいなんだけど。宿題、見せてくれない? リンが教えてくれたんでしょ」


 英治は思わず首をかしげた。

「え?」

「いや、あの。私さ、まだ宿題ほとんどやってなくて」

「ええ?」

 思わず二度聞き返して、英治はふっと笑った。

 口数が少なくて、そうかと思えば本音しか言わない彼女は、成績が良い生徒でもない。宿題をまだ終わらせていない、というのは意外だったものの、同時に納得してしまった英治は、急に彼女に親近感を持った。

 鏡あわせの自分を見てるかのような。


「いい、よ。僕でよかったら」

「じゃあ、お願い。私の宿題が終わるまで……ね」


 そう彼にお願いすることが、コウが考えに考えて実行に移した計画だった。

 手をつけずに放置していた宿題も終わるし、彼と一緒に過ごせる。一石二鳥というわけだった。

 計画は順調に進展し、その日から一週間、夏休み最終日まで毎日、コウは英治と一緒に過ごす理由を手に入れた。

 

 毎日つづく“宿題付き添いデート”は、図書館を中心に、映画館、ファーストフード店、ファミレス、水族館など多くの場所を転々として行われた。


 夏休み最終日、コウと英治は学校の前にいた。夏休みの思い出についておしゃべりしながら、河川敷公園、団地の公園、交番前と散策して、帰宅する前に学校に辿り着いたのだ。

「明日から、始まるね」

「うん」

 夏休みが終わって、あの日常が始まる。幸せな夢から覚めて、冷たい現実に戻る。

 太陽は容赦なく沈んでいく。そしてまた、朝を一方的に突きつけてくるのだ。

 天高くそびえる校舎を見上げて、二人は一度だけ、手をつないでいた。


「一緒に、がんばろうね」

「うん」


 二人はそして、別れた。



 翌日。

 英治は独りで教室に入った。

 校舎は新学期特有の匂いに満ちていた。慣れ親しんだゴム底のシューズや掲示板の匂いも、まるで生まれ変わったように新鮮だった。

 

 教室の中心で大声でしゃべくっている女子集団、その隣で笑い合っている男子集団、教室の隅に点在する小集団たち――見慣れたいつも通りの勢力図を確認した英治は、不意に隅っこで本を黙々と読んでいるコウを見た。

 コウもまた英治を見ていたようで、二人は視線を絡ませた。

 一度、にこっと笑うとそれきりで、英治はコウに話しかけようとはしなかったし、コウもそれに不満はなかった。

 二人はそうしてともに学校生活を過ごそうと決めたのだ。



 英治が席に着いた、その時だった。

「久々だなぁー! ガッコウ!」

 空気を震わせる野太い声とともに、不良集団が教室に入ってくる。その先頭にはタケトがいた。

 教室の隅にどかりと陣取って夏休みの武勇伝を語り始めた彼らだったが、タケトだけがひとり群れから抜けて、英治の目の前に立つ。

 瞬間、ゴン、と机が揺れた。タケトが英治の机を軽く蹴ったのだ。


「新学期もよろしくな、英治くん」

 ニヤと笑ったタケトに対して、英治は何も応えなかった。

 ただ、タケトに視線を合わせた。

 その時の英治の顔は少し青ざめていたけれど、無理矢理、不敵な笑みの形に歪んでもいた。


 そうして英治は日常という名の抗戦を始めた。


 冷たくて残酷で救いのない、光のない闇に呑まれた毎日をそれでも生き抜くこと――その果てに幸福を掴み取ることが英治の願いだったから。


 彼によって護られた世界は、そんな彼の意志に応えていた。

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