19-4 消えない憎しみ~別離の宣誓~
意識を失うヘラクレスの胸には、金色の刃が突き刺さっている。
ドラグーンは鈍い痛みを訴えてくる全身をおもむろに立ち上がらせると、半ばで折れて柄のなくなってしまった黄金の刃を、じっと見つめた。
(あとは、これを押し込むだけ……)
赤色を扱えない仮想生命体同士の戦闘は、決め手を欠く。だが、相手の人間の魂に死を確信させることができれば、昏睡状態に陥らせることはできる。それが永眠に近い昏睡であれば、死を与えたも同然。
心臓部に到達した刃を押し込み、背中から貫通させてやれば人間は当然、死を確信する。タケトは喧嘩に強い不良だが、戦闘のプロではない。死の確信を超越できるほどのトレーニングは受けていないはずだ。
英治は一歩、踏み出した。
消えない憎しみをこちらに与え、人生に刻み込んだ一生の仇敵たる相手にいま、死を教えてやる。
亀裂だらけの鎧を捨てるように、コード:ドラグーンは化身を解除。
人間となった英治は、意識を失ったままのヘラクレスを目の前にする。
ラショナル・オーラが薄まって、空には星の輝きが満ちていた。明日は晴れに違いない、雲ひとつない満天の星空だった。遠くには月が昇り、その奥深くでは天の川さえ見える気がした。
英治は突き立つ刃をぐっと握る。指の柔らかい皮膚が裂けて血がにじみ出るのも構わず、当初の予定通り押し込んで心臓に深く刃を入れようとして……英治は、不意にその手をとめた。
(僕は……殺してやりたい)
タケトにいじめられたおかげで、英治の高校生活は無限の苦しみを味わうだけの牢獄に成り果てた。
毎日が本当に辛かった。朝起きた時点で吐き気がした。朝を知らせてくる太陽が憎らしかった。黄金の日差しの輝きを目に映しながら、今日はどんな目に遭うのか考えて涙を流した。
お風呂掃除と草むしりで何とか自分の意志を保っていたが、それができない学校内は地獄でしかなかった。
タケトが憎くて、あいつと一緒にいる不良たちが憎かった。
でも一番憎かったのは、そんな毎日を我慢して繰り返してしまう自分自身だった。
後悔は尽きない。“もしも”を考える間、すべての苦しみを忘れられた。
もしもタケトにいじめられずにいたら、どうなっていただろう?
もしも奴らをヒーローみたいに撃退できたら、どんなに気持ちいいがだろう?
もしもタケトに文句を言って、いじめを止めさせることができたら、どんな未来が待っているのだろう?
……そんな尽きない“もしも”を浮かべていながら、果てない後悔を抱えながら、その後悔という名の願いをしっかり握っていながら、何ひとつ現実にしようとしなかった、自分。
そんなこと、できるはずがない。
願いなんて夢でしかなくて、叶うはずがない。
叶えられる力なんて、自分にはない。
叶わないのが怖い、未来の希望が失われてしまうから。
そう思うばかりで、目の前の現実を変えようとしなかった。
図らずも仮想生命体との接触によって、そんな自分の間違いが証明されたと英治には思えた。
あらゆる人間に宿り、いかなる願いをも叶えてしまうあの“侵略者”たちは、すべての人間に願いを叶える力があると証明してしまったのだ。英治にはそう思えてならなかった。
英治は、刃を握る手の力をぐっと強めて……それを上に引いた。
ヘラクレスの――タケトの胸に突き立った刃を、引き抜いてあげた。
(ここでこいつを、殺すよりも、もっと)
金色の刃を放り捨てたとき、タケトが意識を取り戻したのか、そのまぶたを開いた。
「お前……九籠。俺を、殺したいんじゃないのか?」
「殺してしまったら、それ以上の苦しみを与えられないから」
九死に一生を得た安堵なのか、やわらかな表情を浮かべるタケトのやや濡れた視線を睨みつけた英治は、殺すよりももっと果たしたかった、真なる願いを叶えるその言葉を、相手にぶつけた。
「もう、僕の人生に、入ってこないで欲しい。僕と関わらないで欲しい。これ以上は」
「九籠」
星空を背景にして、その輝きとともにタケトを見下して、睨んで、英治は言葉を継いでいく。
声は震えたけれど、それでも英治は言い切っていく。
「お前がどうなっても、僕の知ったことじゃない。だから自由にしてほしい。でも、僕をからかったりしないで欲しいし、殴ってこないで欲しい。できたら僕の視界に、もう入らないでほしい」
言葉という情報ひとつで、どれほど現実が変わるかはわからない。
無視されてしまえば、タケトからのいじめは再開してしまうかも知れない。笑われてしまえば終わりだし、パンチで返されたら簡単になかったことにされてしまう。
それでも英治は言い切った。目の前の相手に言い切ることが、自分の踏み出せる第一歩だったから。
言葉ひとつで現実は変わらない。情報にその力はない。けれど、第一歩にはなってくれる。宣戦布告の役割は果たしてくれる。
言い切って、英治は決意する。今後、どうタケトと戦っていくか。どう学校生活を過ごしていくか。もう逃げることは許されない。いまこの瞬間、タケトに対して啖呵を切ったのだ。タケトをこれから相手にしないという、敗北の許されない人生を賭けた戦いが、始まった。
「それがお前の願いだって言うのかよ。それじゃあ結局、何も変わらねえじゃねえか。変わったのはお前の中だけだ。お前の外のこの腐った現実は、冷たいままじゃねえのか」
そんな言葉を返してくるタケトを無視して、英治は踵を返す。
「いいぜ、じゃあ。夏休みが終わったらさ。俺、またお前をオモチャにしてやるよ。いまお前がいった言葉のぜんぶが、最初から最後までお前の妄想だったってこと、わからせてやる」
無言を返事にした英治は、そのままコウの元へと歩み寄る。すべてが終わるまで待ってくれた彼女に、英治はほほえみかえる。
「終わったよ」
「殺さなくて、よかったの?」
「うん。それは僕の願いじゃないから」
「そう……じゃあ、がんばって。これからも、ずっと」
「うん」
英治とコウは揃って歩き始めた。起き上がろうとしないタケトをただ置きざりにして。




