2-3 赤色鼓動のヴァニシング・デリート!
敵はあまりに神々しかった。
青白い輝きが周囲に満ち、同じ色を放つ光の翼が左右に大きく張り出している。
背中から天使の翼を生やした人型の仮想生命体は、ビキニのような形をしている青い鎧を胸部と腰部につけ、顔をやはり青色の仮面で隠していた。鎧をつけていない、人でいえば素肌を晒している部分は白い輝きで満たされているだけで、はっきりとした形があるわけではなさそうだ。
女性・天使型の仮想生命体は、呆然と立ち尽くす男をかたわらに置いたまま、まるで十字架に張り付けられているかのような姿勢で宙に浮かんでいた。
「さしずめ、コード:セカンド、といったところか。少年、よく見ろ。あれは今日、キミが倒したものとは違う。わかるか?」
「え?」
突然質問を投げかけられて戸惑う英治だったが、外見上の違いは明らかだった。
不良たちを殺してくれた青い鎧の闘士はまるで白銀の騎士のようで、全身を鎧で覆い尽くしていた。
対して今回の天使は、
「肌が、出て、る?」
「正解なんだからもっと堂々と言えないのか、まったく」
女性は盛大にため息を吐いて眉間を指でおさえつつ、
「そうだな……こいつはキミが倒した個体よりも一段階レベルが上がった状態と思ってくれ。キミが撃退した奴は鎧に穴をあけるだけでよかったが、こいつを倒すには本体そのものを削除する必要がある」
言いつつ、女性はさっと手を振って目の前の虚空を撫で、空気ディスプレイを展開。さらにそこに手を入れて引き抜き、光でできたメガネを掴む。
青い光のメガネをかけた女性は、「あるいは」と言葉を継いだ。
「空気中に展開されている仮想世界の触媒たる輝き――ラショナル・オーラを吹き飛ばしてやるか、だ」
ディスプレイに表示されたキーボードを叩き、彼女は作戦プランを伝える。
「今回は敵のレベルが上がってしまっている以上、ラショナル・オーラを壊している余裕もない。レベルアップする前に仮想生命体の本体を削除しなければならないからな。夕方に戦ったばかりですまないが、また真っ向勝負をしてもらうことになる」
女性はちら、と英治の横顔を心配そうな眼差しで覗いた。
一方、英治は天使の足下に立っている男性を見ていた。
ぽかんと口を開けて呆然と立ち尽くすだけで、その瞳は虚ろな男性を。
(僕もきっと、あんな顔してたんだ)
願いを叶えてやる……そう言われて、きっと何もできなくなったのだろう。
夕方に自分もそうなった記憶がはっきりと蘇る。不良を殺してくれたあの闘士の行動を、眺めるしかなかった。
男性の年齢はさほど英治とは離れていなさそうだが、リクルートスーツを着ていた。就職活動中の大学生か。
(でも、関係ない。消し去ることができれば、それでいいや)
英治は女性に無言で頷くと、瞳を閉じて胸に手を当て、夕方に己の身に宿った何ものかに意識をつなげた。
『よう、意外と早かったじゃねえか』
声が響くと同時に、英治は右手にズン、と重い感触をおぼえる。
見れば、グリップ付きのコントローラーが右手に握られていた。
英治はそれを思い切り握って虚空に振り上げ、次には右下に向かって勢いよく振り下ろした。
瞬間、コントローラーに穿たれた暗い穴から金色の光の柱が噴出し、一メートルほどの長さまで伸びて止まる。
光の刃、“鬼切”だ。それは仮想生命体の鎧を貫くことができる、ただひとつの兵装であり、人類が手にした唯一の反逆の牙。
金色の刃を見て、英治はにやと口元を歪めた。
『鬼切、顕現! よし行こうぜ』
「うん……行こう」
「『倒す!』」
草むしりより、風呂掃除より、もっと気持ちいい、もっと明確な消滅が行える――英治は喜んで、己の身に宿った存在に心を明け渡した。
[脳接続 開始]
俺は喜びのあまり叫んじまいそうになったが、抑えた。
草むしりは気持ちいいし、風呂掃除もいい。
だが、それ以上の快楽を知ってしまったんじゃあもうどうしようもない。
夕方からそんなに時間は経っちゃいないが、まさかこんなに早く、またこの快感を味わうことができるとは!
最高すぎて予想できなかった。まるで夢の中だ。
目の前の天使は動かない。ずっと十字架のポーズをとったままだ。
まるでこの俺を無視しているのか、はたまた気づいていないのか。
どちらにしても構わない、切り刻んでやるんだから……!
「行くぜ!」
高らかに叫ぶと、俺は鬼切を構えながら足に力を込めた。
河川敷公園のコンクリートが割れ、俺の体は弾丸のように前に投げ出される。
一瞬で距離を詰めると、俺は鬼切を思い切り振り抜いた。
光の刃は実に軽い。軽いのに、その一撃で仮想生命体をブチ破れる。
「終わったな!」
俺は決めゼリフのつもりで言ってやった。
マヌケな天使はそこでようやく俺の存在に気づいたらしい、仮面の目の位置がブン! と赤く輝き、天使の目の前に光の壁ができた。
鬼切は見事に壁に衝突し、金色の刃は停止させられる羽目になる。
クソッタレ。
『現実改変だ。半融合態・フェイズ1に到達した仮想生命体は、取り込んだ人間の願いに基づいて現実世界を造りかえることができる。現実に存在しない物質を精製することができるわけだが、よりによって光の壁とはな』
女の声が響いてくる。耳で聞こえるんじゃない、頭に直接響いてくる。
テレパシーか?
『どうやら聞こえているようだな。なら話は早い、鬼切をチャージアップしろ』
「チャージアップ?」
俺は首をかしげた。そんなもの、頭のなかに叩き込まれたマニュアルには書いてない。
だが女の声は変わらず淡々と説明をつづける。
『ああ。グリップにトリガーがあるだろう? それを一度押すとチャージが始まる。もっともチャージ中は出力が低下するから、終わるまでは防戦一方になるが、チャージさえ終わってしまえば光の壁を貫通できるようになるはずだ』
「へえ、面白いじゃねえか!」
俺は即座にトリガーボタンを人差し指で一度、押してやる。
すると鬼切はブルりと震え、金色の刃を変色させ、銀色の光刃に生まれ変わった。
出力が低下するから金から銀にランクダウンしたってわけだ、まったくもってわかりやすい奴だ。
とはいっても武器の素直さに感心している暇は俺にはない。
目の前の光の壁がバラバラと崩れ、砕け散り、無数の破片となっていた。
俺が切り裂いたからか?
いや、違う。
俺はとっさに左にステップを踏んだ。それだけでまたコンクリートが割れて五メートル移動した。
反射的な行動だったが、正解だった。
無数の破片は直後、幾千の針に形を変えてさっき俺がいた場所を通り過ぎていった。とっさにステップしなきゃ今頃はハリネズミだ。
「あっぶねえなあ!」
「フフフ」
天使はそこで初めて声を出した。笑ったのか? ふざけんじゃねえ。
「あ?」
敵の目の前で笑うなんざ、いい度胸だ。
俺は「あああ!」とストレスフルな内心を落ち着かせるべく叫ぶと、思い切り前にステップを踏む。
瞬時に距離を詰め、そうしてふたたび鬼切を構える。
その時、鬼切はちょうど刃の色をまた変えていた。
チャージ中と一目でわかる銀から、血のような赤に。
『デリート・カラーへの変化を確認。一撃で決めてやれ』
「言われなくても、やるさ!」
忠犬を褒めてやるように武器に喝采すると、俺は赤い光の剣を思い切り振り抜いた。
天使はまた「フフフ」と笑いやがって光の壁を展開してくる。
まったく、バカのひとつ覚えだ。
「それはもう、見たっつーの!」
俺は血に染まった鬼切をそのまま振った。横一閃に薙ぎ払う。
はたして、赤色の光刃は光の壁を紙のように切り裂き、その向こうにある天使のお腹を一文字に切り裂いた。
白い光で構成された天使の体は一刀両断され、お腹を境にして胴体と下半身とが分離する。
そのとき天使はといえば仮面の目の位置で輝く赤い光を、ぱちくりするように明滅させていた。
この期に及んでびっくりしてんのか?
最期まで間抜けな奴だった。
もっとも、そんな奴だからこそ気持ちよく叩き斬ることができたんだがな。
しかし今日はこれで終わりか。
楽しい時間ほど早く過ぎると言うが、まったくその通りだ。
もっともっと、もっと切り裂きたい。消滅させたい。
でも、敵の反応は残念ながらもうなくなってる。
つまらない現実に戻るのは憂鬱だ。
[脳接続 解除]