19-2 消えない憎しみ~転倒~
赤色を扱えない仮想生命体同士の戦いは、不毛な削り合いになる。
本来、仮想生命体同士は“争うことはない”とされ、故に一般個体は赤色を扱えない。
例外的に赤色を扱えるのは上位種のみで、それも世を乱す一般個体を裁く用途で扱う程度だ。
一撃どころか接触しただけで存在情報を削除する赤色の攻撃を扱える個体は、それ故に一般個体とは比較にならない力を有していると言える。一般個体と上位個体の戦闘は普通、瞬時に終わってしまう。
その一方で一般個体同士では、決め手を欠いた状態となる。加えて、物質化しながらも情報体としての性質を併せ持つ完全融合態の肉体は、一般的な意味での物質の定義から超越しており、したがって現代兵器さえ通用しないほど強靱だった。
互いに互いを攻撃しあっても、けして命を奪うほどの打撃を与えることができない。ただ闇雲に“戦闘ごっこ”をしているだけに等しい、正真正銘、無意味な戦いだ。
それを前にして、しかしコウは見届けることにする。
コード:ドラグーンとコード:オーガの不毛な攻撃の応酬は、確かに先ほどまで展開していた世界の命運をかけたコード:0との戦いと比べれば、はるかにくだらないものだ。
それでもコウは理解していた。
その何よりも不毛で無意味で何の生産性もない、時間の無駄でしかない殴り合いは、英治にとっては人生をかけた戦いなのだ。
(超えて……九籠くん)
いじめを超えて、立ち向かって覆して、新たな人生を踏み出そうとしている。そんな彼の戦いを、どうして無意味といえるだろう。
人生を賭けた一歩をこの現実で踏み出そうとしている英治を、コウはただ黙って見つめていた。見つめることしか、できなかったから。
剣を取り落とした龍騎士と、武具のすべてを切り裂かれた鬼は、互いに殴り合っていた。
「謝らせてやる……お前が僕にしたことを、ぜんぶ!」
龍騎士の拳が音の速さで突き出される。
「今更、何を謝れって言うんだ? いままでぜんぶ、黙ってきたくせになあ!」
鬼の拳が真正面から出迎えた。
直後、両者の拳がぶつかりあった。
衝突したと同時に、龍騎士の鎧が蠢いた。膝に彫り込まれた龍の頭部の意匠が動き出して伸び、鬼の腕に食らいつく。
鬼は黙って龍に喰われるほど愚かではなかった。
半歩退いて牙を逃れた鬼は、さらに下がって口ずさむ。
「英治。俺は、お前と話したかった。こうして、本音を言い合いたかった。嬉しいよ、英治。俺から逃げずに、向き合ってくれてな」
「ふざけるな。そうやって僕を、見下してるから……そんな上から目線で、言えるんだ!」
龍騎士は追撃するべく踏み込む。同時に左の拳でパンチを繰り出す。狙うは鬼の胸部――心臓に衝撃を与えて停止させてやる。
殺意の拳を、しかし鬼は体をひねって避け、反撃のキックを繰り出した。
龍騎士はそれを防げずに腹部に受ける。直後、鎧に亀裂が入った。腹部に彫られた龍の彫刻が痛みを訴えるように口を開閉させる。
直後、鬼はその形態を変化させていく。
「英治。俺はもっと、お前と話したい……いや、違うな。俺は、お前とわかり合いたいんだ。もっと、もっとお前の腹の底が見たい。そうして、俺を理解してもらいたいんだ。物を言わない、従順な器みたいなお前なら、それができるだろうからな」
話したい……仮想生命体によって叶えられたその願いが、いまここに、昇華される。
願いの昇華は、仮想生命体を更なる高みに導く。それは完全融合を超える、覚醒態への進化。
鬼の頭上に、二つに割れた純白の盾が浮遊する。
それは見えないハンマーで打ちたたかれたように形を変え、盾から鎧へ――やがて、鬼の上半身を前後に挟むように装着された。
同時に、一度は砕けた鬼の角が瞬時に再生、元通りになったかと思えば、それは縦方向に真っ二つに割れ、左右に展開される。こうして鬼の角は一瞬のうちにV字の兜飾りになった。
鬼から英雄に成り代わる。完全融合態コード:オーガから、覚醒態コード:ヘラクレスへと進化を果たし、英雄は改めて龍の頭を全身に埋め込んだ禍々しい龍騎士と相対した。
「俺とお前、どっちが悪いんだろうなあ。ずっと黙ってなすがままにされ続けてきたお前と、そんなお前をオモチャにしつづけてきた、この俺と」
純白の鎧を着た英雄は、邪龍の鎧を着込んだ騎士に問いかける。
龍騎士は、その問いには答えない。いや、答える代わりに拳を突き出す。
「まるで自分が正しいと、そう思ってるみたいなその口を、砕いてやる!」
龍騎士の拳は英雄の新しい鎧に亀裂を入れた。さらに、拳の直後に伸びてくる膝と肘と肩の龍が牙を立てて襲いかかり、純白の鎧は早々に無数の傷を刻まれる。
だが、あくまで鎧が傷ついただけだ。
けして鎧を貫通することのない攻撃をいくら受けようが、それは被害にならない。
相手の攻撃を受けきって、そうして英雄は反撃の一撃を繰り出す。
拳に純白の輝きがまとわりつく……光のグローブを形成した英雄は、音より速い鉄拳を一発、お見舞いした。
龍騎士の鎧の右肩部分が、木っ端微塵にはじけ飛ぶ。そこにあしらわれていた龍の彫刻などひとたまりもなく、下あごだけを無残に残して破砕されていた。
ダメージはそれだけに留まらず、砕けた鎧が英治の肉体に食い込んでいく。
「くっ!」
削除されないとしても、しかし強大な力には干渉を受ける。覚醒態となったコード:ヘラクレスのパワーは、コード:オーガの時とは比較にならなかった。
「それでも……僕は、負けない。負けて、やるものか!」
コード:ドラグーンもまた、覚醒態である。
たとえ瞬時に形態変化をしたのだとしても、ようやくこれで互角になった。
パワーではヘラクレスに分があるようで、それはさっきの拳の一撃を喰らって理解できた。しかし、ドラグーンが勝っている部分は確かに存在する。
たとえばヘラクレスの現実改変“対話”は現状、ドラグーンに対して役に立たないが、ドラグーンの世界改変“幸福”は、どんな相手であっても力を発揮する。
「僕は:幸せになってやる!」
コード:ドラグーンは再び世界改変“幸福”を発揮する。
「[お前を:叩き潰すことで]!」
その力は、いかなる残酷な世界をも自在に渡りきる力。
幸福に繋がる未来を自動演算し、そこに至る経路を視界に映る現実へと書き込んでいく。
世界を操るコード:インフィニティを圧倒し、星を操るコード:0をも撃退したその力こそ、コード:ドラグーンが誇る能力であり、英治の長所だった。
その力が発揮された瞬間、コード:ドラグーンの勝利が決定する。
あとはドラグーン自身が、視界に表示される未来の自分の姿に合わせて行動するだけでよかった。
ひとつひとつ、間違えずに動作を行っていく。
相手は左手にも光のグローブを形成し、それで追撃してくる。これを左に回り込んでステップ、避ける
――実行。
避けた直後、相手の脇腹がガラ空きになる。
――そこに一発、パンチした。
すると相手はのけぞるが体勢を立て直そうとする。
――そんな相手の背後をとった。
次に、相手はこちらの姿を探すために振り返ってくる、と見せかけて、実は後ろ蹴りをぶつけてくる。
――だから、先に相手の足をこちらのキックで払う。
たまらず転んだ相手の頭を、蹴り込めばそれでいい。
――実行。
演算された未来を、ただ実行していく。
地に倒れ伏したヘラクレスの頭を蹴ったドラグーンは、敵が意識を飛ばしたのを確認。
一瞬だけ気絶したヘラクレスに対し、ドラグーンは再度物質顕現――剣を生成した。
それを喉元に向かって降ろし、突き立てようとする。
同時にヘラクレスは飛んでいた意識を取り戻した。
「英治……!」
ヘラクレスの喉元に刃の切っ先がブチ当たる。
それは赤色の攻撃ではないから、仮想生命体の体を削除したりはしない。だが、仮想生命体の中にいる人間の魂……タケト自身は、それで死を確信してしまうはずだった。
コード:ドラグーンが未来演算によって導き出した勝利方法は、タケト自身に死を感じさせることだ。
敵に自分が死んだと、そう勘違いさせるのだ。
それで敵を削除できるわけではない。だが、敗北を突きつけることはできる。
「ふざけんなよ……英治!」
しかしコード:ドラグーンの未来演算は、最後には実現しなかった。
それはほとんど奇跡と言えた。ヘラクレスはその強烈な意志によって、コード:ドラグーンが未来演算した時間よりも数瞬速く、目覚めてしまったのだ。
喉元にブチ当たろうとしていた刃の切っ先を、ヘラクレスは反射的に命中の直前に両手で掴んでいた。
ドラグーンが押し込む刃がギリギリと震える。
ヘラクレスが、押し殺したような声音で呟いた。
「俺もな、お前なんかには負けられねえんだよ。そうしないと、俺が、生きられねえからなぁ」
間違えるはずのない未来演算にズレが生じた。それはほんの一瞬のズレだった。だが、それは次第に大きな狂いとなっていくだろう。
そうなってしまわないように、英治は決着を覚悟した。




