18 預言する不死鳥
抱き合って体の温かさを確かめ合って、二人はやがて地に落ちる。
途中でムラマサの残骸によって形成されていた重力制御リングは消滅したが、その時には二人は地表から五メートルと離れていなかった。
すとん、と着地したと同時に、持ち前の運動神経のなさから揃って尻餅をつく。
互いにそのことを笑い合っていられるような状況ではなかった。
落ちた先で見たのは、根源の花の根の、上端。
引っ張られたことで少しだけ地表面から抜け出てしまったのだ。それは外から見れば無数の星々を封じ込めた漆黒の球根。青、赤、緑と多様な色の輝きを内側から明滅させている小宇宙に、無数の細い根がまとわりついている。
コード:0を己の脳に宿していたコウは、その球根が何なのかよく知っていた。
「根源の花……仮想生命体の、帰る場所」
英治にも説明するつもりで、コウはその本質を一言で言い表した。
漆黒の小宇宙の内部に明滅している多様な光の点こそ、そのひとつひとつが仮想生命体。正確には人に宿る前の、純粋なる願いとして存在している仮想生命体の前段階――いわば種火。
「帰る場所」
コウの言葉を反芻して、英治はあの墓標のような、すべての命を記憶しているという場所のことを思い出す。あれが地球の生命の帰るところなのだとしたら、目の前に存在している山のように巨大な球根もまた、仮想生命体という一種の命を保存している神域か。
大量の命が保存されている崇高な場所でありながら、しかし放置すればこの現実世界が転覆されてしまう、敵の最終拠点。
仮想生命体の巣窟といっていい小宇宙を見上げて、英治はどうにもできない身の上を持てあましていた。
いま、目の前にはコウがいる。しっかり、生きてくれている。それだけで充分で、同時に自分もまたコウと一緒に生きている。これから彼女と一緒に生きられるのなら、それで良いと思う。
そんな未来を守るために、やはり仮想生命体の侵略は防いでおかなければならないが……仮想生命体を削除するための手段だったムラマサはすでにない。敵の巣窟を目の前にしながら、それを攻撃するための戦力を持っていないのだ。
つまりは何もできはしないということで。
「この状況で、どう動くかな……コード:0」
何もできない以上、相手の出方をうかがうしかない。
しかし英治は、実はまったく物怖じしていなかった。何もできはしないが、しかしもう仮想生命体を敵とも思っていないのだ。
こちらに戦力はないが、同時に、それを用意する必要もないだろう。
英治のそれは楽観か、あるいは慧眼か。
「見えないけど、いる。ゼロが、あそこに」
英治が楽観できたのは、あるいはコウがすぐ傍にいたからか。およそ人類のうち、コード:0を愛称で呼ぶのは彼女だけだ。
人類の敵の、その頂点の存在を親しげに呼ぶ彼女の声が響いた時。
まるで幕が上がるかのように、コード:0がふっと彼女の視線の先に浮かび上がった。
仮想生命体の王、コード:0――赤黒い翼をはためかす無形の不死鳥。
太陽の輝きさえも隠してしまった天空を覆い尽くす青白い輝きを背景にして、多様な願いを保存する小宇宙をかばうように顕現する。
『いまだ根源の花は健在。貴様の赤色は失われ、我を消すことはおろか、この花を剪定することもまた、不可能』
現実を突きつける声が、変わらぬ堂々とした声音で言い放たれる。
こちらの内情を見透かして言い当てたその言葉を、しかし英治は口を挟むことなく傾聴する。真正面からその内容を受け止めるかのように。
言葉は音波ではなかった。鼓膜を介しての意思疎通ではなく、鼓膜の奥、脳に直接語りかけてくる神の声はさながら脳接続のそれと同種のものか。
人類を超越する存在らしく人の願いを見抜き、人生のすべてを掌握するかのように願いを即座に叶えてしまう仮想生命体の、その王は不死の翼を翻して飛翔。根源の花の茎を周回するように飛び回って言葉を継いだ。
『世界の転覆はいまや目の前にある。あとは根源の花を修復し、その花弁から放たれるラショナル・オーラが世界を包み、我らが同胞の咲き誇るのを待つだけで良い。その、はずだったのだがな』
フッ、と自嘲気味なため息が、そのとき漏れる。
茎の周りを一周した不死鳥は、ふたたび二人の前に戻ってくると、そこに存在していながら形をもたない火とまったく同じように、ひとつの幻影にしか過ぎなくなった翼をめいっぱいに空中に押し広げた。
『見るがいい。手段を失ったのは、我も同じ――クロウ:エイジ、貴様は我を完全なる姿から引きずり降ろし、こうして単なる情報にしか過ぎない虚ろな存在に戻した。そこの少女の、心を掴んで』
翼は左右に伸び、神の鳥は堂々とその姿を人間の前に晒した。
他方、当の人間、英治とコウは神の鳥を射殺そうともしない。
何もできないのはお互い様。その内情を包み隠さず打ち明けてくれた敵に、英治はそこでようやく言葉を返す。
「ここまでやって、ただ振り出しに戻っただけだなんて。そんな結末、僕には受けいれられない」
『我も同じだ。無駄な時を積み重ねたと認めるつもりはない。故に、ここで動く』
「何を……」
英治が問いかけるのを聞いたのか、どうか。いずれにせよ、不死鳥は独りで空を渡った。
「ゼロ?」
コウが首をかしげて、かつて友のように傍にいてくれた神の、その行く末を見つめる。
はたして、不死鳥は天空の半ばでちぎれた根源の花の茎の、その先端に自らの尾を接続する。
「何をするつもり、なんだろう」
「ゼロ……」
二人とも呆然と見上げるしかない無力を晒すなかで、不死鳥は悠然とその身をちぎれた茎の内部へと沈めていく。
尾が茎の内部へと呑まれ、不死鳥は根源の花と一体になる。
「ここに預言しよう。貴様ら人類は、我を再び望むだろう。クロウ:エイジ、貴様が我に対して報いたことを後悔するその時まで、我は貴様らの苦しむ姿を世界の果てから眺めてやる。故に我は、貴様ら人類には過ぎたこの花を、取り上げる」
その言葉は、音の響きだった。まるで世界のすべてに宣告するようでありながら、英治ひとりを糾弾するかのような色も含んでいる。
いま、根源の花が不死鳥によって地球から引き抜かれようとしていた。
少しの強引さもなく、悠然としたその威容を保ちながら、神の鳥は根源の花を天空へと、さらにその向こうの宇宙へと連れ出そうとしていた。
「せいぜい後悔するがいい。自ら苦しみの中を泳ぐと決めたのは、貴様だ」
言い捨てたと同時、根源の花の根が、小宇宙のような球根が輝きを放ったまま抜けていく。そのままゆったりと空を昇っていくが、それは物質ではないが故に二人の頭上に影すら落さない。
人類を見捨てた神の鳥は、こうして世界の果てへと消えていった。
他方、景色を見上げるしかない二人は、やがて手と手を繋いでいた。
「僕は、ひょっとしたら」
後悔の言葉を思わず漏らそうとした英治の手を、コウはきゅっと握る。英治の言葉をそうやって中断させたコウは、間髪入れずに言い返した。
「ゼロがあんなに饒舌なのは、珍しいから」
コウはそして、そっと微笑んで。
「ただ負け惜しみを言ってるだけだよ。絶対」
かつてその脳に神を宿した少女は、そう断言してみせる。
英治には返す言葉がなく、ただ頷くしかなかった。
神から差し出された救いの手を拒否した以上、もう後には引けない。
たとえ負け惜しみでしかない言葉であったのだとしても、やはりそれは英治には受け止めきれないほどの威圧を感じさせる。
人類の総意を確認もしないままに、世界の変革を止めてしまったのだ。
もちろん英治は自らの行いに悔いはないし、自らの信念に疑いもない。全力で戦って、全力でこの世界を護った……あくまで、己の挑戦を果たしたいがために。
その意味では私利私欲のために世界全体の変革を妨げたことになる。
その事実を把握してか、どうか。
コウはコード:0の言葉につづけるようにして、英治に現実を突きつけた。
「我らの変革を妨げたこと、くれぐれも後悔などしないように。世界を己の望むままにしたのは、そういう意味ではむしろ貴様の方なのだから。九籠、英治くん」
「え?」
「なーんて、ね。ゼロの口調をちょっと、真似てみただけ」
「そう、なんだ」
目を丸くした英治を見て、コウは小さく喉を鳴らして笑う。
「とりあえず、帰ろっか。ゆっくり歩いてさ」
コウはそして、英治に手をさしのべた。
英治は再びさしのべられたその手を見て、ふっと笑った。
※
「仮想生命体の反応が、次々と消滅していく……やったか、英治くん」
パソコンのモニターを見て、ココロはぐったりと全身の力を抜いた。
その隣でゲンジもまた大きくガッツポーズを決める。
「おっしゃあ! ホントにやりやがったな、あのガキが!」
根源の花と地球との接続が解除されたことで、アオマキグサが地球上から消滅した。
ラショナル・オーラの噴出が止まったことによって仮想生命体もまたその姿を維持することができなくなり、ラショナル・オーラが消えた場所から次々と仮想生命体が消滅していく。
仮想生命体の位置座標をモニターしつづけていたココロのパソコンのモニターを埋め尽くしていた青色の光の点が片っ端から消えていく。その様は、散乱していた塵芥が綺麗に消え去っていくかのような、いっそ爽快な光景だ。
意味するものは人類の勝利。仮想生命体を撃退することに成功したのだ。
その喜びに浸っている中、しかしココロはパソコンのモニターを壮絶な勢いで駆け抜ける反応を一つ、見つけた。
「生き残りの、最後のあがきか。だがこの方向……英治くんたちの、方?」
不穏な空気と、胸騒ぎがする嫌な予感を覚えたココロは、ゲンジに車を出すよう指示を飛ばしていた。
※
ココロがその反応を見つけた、三〇分後のことだった。
コウと話しながら帰り道を行く英治の目の前に、一体の仮想生命体が現れる。
「よう、英治。急いで来てやったぜ……なあ、“話そうぜ”」
コード:オーガ――タケトだった。




