16-3 世界変革のカウントダウン・天下る赤色の龍炎
夜十一時の空は、その日はどこまでも青空が広がっていた。
だからこそそれが崩壊した瞬間、空を見上げる人々の心に二つの感情が渦巻いてせめぎ合い、ひとりでは抱えきれずに誰かしら隣人と話し合った。
不安と、期待。
不自然な夜の青空を割った一本の赤黒い光の柱は、まるで血のようだった。空を染め抜く凜然とした青色に比べればひたすらに暗く生々しいその赤色は、人の心に本能的な不安を呼び起こす。
その一方、夜の青空が不自然だと感じるからこそ、それを割ってくれた赤黒い光の柱に期待せずにもいられない。
人はそれぞれの受け止め方で、違った言葉でその天体現象を物語った。
いま、無限の蒼穹の天頂に巨大な血潮の柱が突き立つ。
それは地表面にも届き、世界を覆う青白い輝きを霧散させていく。
かと思えば、柱は勢いよく跳ね上がって水平に向きを変え、一度空の端へと消え、地平線を通って再び世界を駆け抜ける。縦方向に真円を描いて進んだ柱は、次にはコマのように三六〇度、横方向に回転。ついに空一面を覆っていた無限の蒼穹全てを消し去ってしまった。
現れたと同時に、その一瞬で青白い靄のすべてをかき消してしまった柱は、そして徐々に地上に向かって近づいてくる。
その様子を直に目にした通行人は、あるいは電話で隣人にその様子を伝え、あるいはカメラでその威容を記録し、あるいは両手を組んでその奇跡に祈りを捧げた。
「さて。あとはどうなるかな。人事は尽くしてみたものの、結局実行するのはアイツだ。はたして、やり遂げるだけのタマがあるかどうか」
交番の目の前で、思わず外に出てきたゲンジが呟いた。
「きっとうまくやるさ」
同じく外に出てきてしまったココロは、口元を緩めて安心しきった顔を浮かべていた。
「どうしてそう言える? あんな、自分も信じられないような弱っちい男に」
「まあバランスの問題だが。自分を信じられるからといって強いわけではない。強者には様々なパターンがあるだろう? あんな奴がいてもいいと、あたしは思うんだよ」
「ほほう?」
「ん? なんだそのニヤケ面は。いったい何を邪推している?」
「いいや。ガキも守備範囲にしたのかと思っただけさ。天国の透がいまごろは嫉妬で叫んでいるだろうよ」
「殴るぞ?」
二人は言い合いつつ、天空を飛翔する英治が降下してくる姿をただ見つめていた。
※
鬼切を天高く振り上げ、いざ、根源の花の前へ。
二度鬼切を振っただけでラショナル・オーラのすべてを打ち払うことができたのは驚異的な成果だと英治は自画自賛したくなったが、しかしうぬぼれている間にも現実は無情に進展していく。
晴れたはずの空に、またうっすらとラショナル・オーラが繁殖してきているのだ。
「キリがない、か!」
さっと鬼切を振ることでまたそれを消滅させた次、英治は勢いよく根源の花の茎に赤色の刃をブチ当てるべく、構える。
もう迷いはない。
彼女の願いを切り裂いて、彼女の本心を掴み取る。そうすることでしかもう、彼女とは対話できないと思うから。
[脳接続 開始]
「斬ってやる!」
叫んで、そうして俺はホームランバッターよろしく、天体現象サイズの鬼切を勢いよく振りかぶった。
赤黒い光の刃が空を渡って、地平線の向こうから花の茎を水平に切り裂く。
そのはずだった。
しかし……茎は見た目以上に、硬い。
鬼切はあっけなく止まる。
「んなっ!」
こともあろうに、極大出力の鬼切が通用しない。刃がその表面を削り取っている様子もなく、かといって障壁に妨害されているわけでもない。まして幽霊みたいに透き通っているなんてこともなかった。確実に、刃は命中している。
それなのに!
「効いてない、なんてな!」
さすがに呆れて笑って、俺は背中の翼をはためかせて移動、鬼切を押しつけながらぐるりと茎を一周してみる。
とはいえ、やはり無駄な労力か。刃跡がついていないのだから、それを押しつけながら周回したところで何の意味もない。
「早々に手詰まり、か」
他国の通信衛星を拝借してまで鬼切の出力を上げてくれたのに、肝心の武器が役立たず。これほど盛大に作戦が出落ちズッコケをかますとはとんだお笑いぐさだが、なにせこれは俺自身の問題だ。とても笑えたモンじゃない。
はて、どうしたものか。
考えるまでもなく、俺は条件反射で行動していた。
俺の好きなものは何か? 風呂掃除と、草むしり。
草を刈り取ることができないのであれば、引っこ抜いてやるまで。むしろいつもの要領に原点回帰だ。
俺は鬼切を天に向け、上昇。
鬼切では根源の花にダメージを与えることができない。しかし、根源の花は確かにそこに存在している代物だ。切断できないからといって、触れられない存在じゃあない。
実際、鬼切は透き通ることがなかったし、鬼切をブチ当てた瞬間、反動の衝撃が手元に伝わってもいた。断言できる、根源の花ははっきりと明確にこの現実世界に存在している。
高度を上げながら、俺はせっかくの鬼切を自ら砕いた。
巨大な柱が粉々に砕け散り、破片が俺の目の前に散る。
俺は両手を伸ばして、それら破片のすべてを掴み取る――そうして俺の両手に鬼切だった赤色の輝きがグローブよろしくまとわりついて、極大出力の赤色爪を用意する。
デリート・クローはなんと俺の体よりデカイ。五本の指がそれぞれ巨大な化け物のかぎ爪になるなんて不格好だとは思ったが、手段はもう選べなかった。
空を昇って、雲を突き抜け根源の花を足下に。
巨大な両手で、花びらを掴んでやった。
「よし!」
はたして、俺の理解は正しかった。デリート・クローでもやはりダメージは与えられなかったが、干渉することはできた。だからこそ、拡張された両手で巨大な花びらをしっかりと掴むことができたのだ。
掴めたのなら、あとは簡単。
「抜けろおおおおお!」
天体サイズの雑草を引き抜けるなんて、草むしりを趣味にしてる俺にとっちゃ思わず小躍りしちゃいそうになるほど嬉しいイベントだ。
これほど壮大な規模のスケールで繰り広げられるストレス発散行為もない。
一生に一度の強烈な草むしり。
たまらない。
花弁を掴んで、持ち上げようとする。とはいえ地球の奥深くまで根を張っているだけあって容易くはない。むしろまったく動かない。
だが、ほんのわずかにだが持ち上がっている実感もある。数メートルはおろか、数センチ、数ミリ単位の話なのかも知れないが、徐々に、しかし確実に、俺は花弁を掴みながらジリジリと上昇している!
本音を言えば、腕が痛い。じっと握っているだけの握力を発揮しつづけているせいで両手も痛い。でも、関係ない。
「おおおおお!」
俺は狂喜乱舞に叫びつつ、宇宙規模の草むしりを鋭意継続。
「あああああ!」
俺の叫びはいったい地表面まで届いてるだろうか? そんなことが一瞬だけ頭をよぎったが、その時には俺の体はオゾン層を抜け、国際宇宙ステーションと思われる人工天体さえ肉眼で見えるほどの領域に到達していた。
俺はいま、宇宙にやってきた。
そしてその時はやってくる。
ブツン!
確かな手応えが、最悪の形でやってきた。
「これは、また……」
花弁がふっと軽くなる。俺は最悪の結末を一応は確認するべく、花弁がくっついている茎を目で追った――その先にあるべき根が、ない。
草むしりは失敗。引っこ抜く途中で茎が耐えきれなくなり、ちぎれてしまった。
「クソッタレ!」
俺は叫び、花弁を勢いよく宇宙に捨ててやる。
そのまま急降下、大気圏を再突入して文字通りスペースシャトル級の速度で一気に地表面に降りていく。
根が残っている限り、植物は成長しつづける。茎をちぎったところで成長を遅くするだけだ。いつか回復して、元通りに花をつけてしまう。
グングン高度を落し、俺はやがてちぎれた茎の断面を見つけた。
青白い輝きで構成されている根源の花の茎は、さながら光ケーブルだ。白色の強い外殻の内側には、より純度の高い青色の輝きに満ち満ちていた。真上から見ればライトブルーの光を溢れさせるトンネルのようでさえある。
俺は草むしりを再開するべく、デリート・クローをめいっぱいに広げて茎を左右からがっちりと掴もうとした。
のだが。
瞬間、俺の視界が失われた。俺の目の前が、純度の高い青白い輝きで埋め尽くされていく。
遅れて俺は理解する。茎の断面からラショナル・オ-ラの強烈な噴出が起こったのだ。
膨大な出力のラショナル・オーラに浸された俺は、そうして外界から隔離されることになる。
青い輝きの他には何も見えない状況が数秒つづいて、俺はすっかり体のコントロールを失っていた。
茎の側面に回り込むつもりが、なんと茎の断面図のその中へと入り込んでいく。
俺は翼をはためかせて減速、ブレーキをかけようとしたが無理だった。俺がもがこうとする間にも体はぐんぐん流されていく。
そして、やっと青白い輝きの暴流が見えなくなったかと思えば、視界は直後に暗転。
青一色から黒一色へと移り変わるや、遠くには星々のような光の点が見える。
俺ははたして、宇宙にやってきたのか?
いまいち理解できず、思わず周囲を見回したその時だった。
俺の頭上に、赤黒い法衣を来た魔女がいた。
「九籠くん……いや、クロウ:エイジ。来てしまったんだね」
魔女は途切れ途切れに、そんなふうに呟いた。一息では言い切ることができなかったらしい、悲しげな調子の声音で。
魔女の声は、俺が掴もうとしていた彼女の声だった。
俺は――僕は、だから理解した。
目の前にいる魔女こそが、コウさんの姿なのだと。
「大湖さん……いや、コウさん。会いに、きたよ」
僕は迷うことなく目的を告げてみる。
はたして、それを聞いた彼女はいったいどんな顔をするのだろう。
確かめるべく、彼女の顔を覗きこんだ僕は、直後、息をのんだ。
彼女の顔は、そこになかった。
あったのは闇に埋もれた空間だけ。魔女帽子がつくる影が、無限の闇になって彼女の相貌を消し去っていた。
「クロウ:エイジ。我はいま、貴様をかき消さねばならなくなった。我の願いを果たすために……貴様を救うための世界を造るという、我が真なる願いを果たすために! 我は、貴様を消去する」
はたして正気なのか。僕は支離滅裂な彼女の発言を聞いて、それでも彼女が本気なのだという事を理解する。
直後、僕は動けなくなっていた。
「ひれ伏せ:我が敵よ」
次に響いたその声を聞いただけで、僕の体は勝手に動いていく。
ひれ伏せ。その言葉のとおり、僕は彼女に向かってお辞儀をしていた。




