15-3 仮想世界シュミレーション~袂~
クロウ:エイジとダイゴ:コウの二人の脳に流れる電気信号をそのまま抽出し、ラショナル・オーラの中につくった仮想世界に放り込んでみた。
脳に流れていた時とまったく同じコースで電流を走らせる二人の意志は、そのまま二人の魂といっていい。
コード:0は地の底に浮かびながら、ラショナル・オーラの仮想世界を旅する二人の魂を観察していた。
始めようとした世界の転覆を、その間だけは停止して。
本来なら世界を転覆する作業は中断するべきではない。こうしている間にも刻一刻と作業を継続するべきだ。
そうとわかっていて中断してしまったのは、コード:0の決意が鈍ったからだった。人類を救済するべく物理法則に縛られたこの世界を転覆させる――その決意が、揺らいでいく。クロウ:エイジの姿をみていると。
(我の行いは、本当に正しいのか)
ダイゴ:コウの様子を見れば、世界の転覆はやはり正しい選択なのだと思える。クロウ:エイジに話しかける、という願いを果たした彼女の輝くような笑顔を見ていると、やはり願いを叶えてこそ人生は輝くのだと確信できる。
だがクロウ:エイジの場合は違っていた。彼は自分を襲う不良どもを撃退しようとして、それを果たせず逆に普段よりも手痛い反撃を受けた。彼は願いを果たすことができなかった。にもかかわらず、彼はどうしてかとても満ち足りた顔をしているではないか。
願いを叶えてこそ人生は輝く、そのはずなのだが。
(貴様はどうして、願いを叶えていないというのにそんな顔をしていられる? 我にはとても、理解できんな)
クロウ:エイジのこの性質を、彼独自のものとして捉えて良いのか、あるいは人類種全体に通じる特性と捉えるべきか?
前者として捉える場合、世界転覆は実行するべきだ。クロウ:エイジはあくまで特異点として無視すればいい。変わり者としての彼には個別に救済の手をさしのべればよく、彼以外の人間を救うためにまずは世界そのものを変えてしまった方がいい。
だが後者として捉える場合……つまり、全人類において“願いを叶えられなくても幸せになりうる”のであれば、世界の転覆について再検討の余地が生まれる。
クロウ:エイジが特異点なのかどうか。
この命題をクリアしない限り、コード:0は先に進むことができなくなった。
故に、コード:0は目の前の存在――ふたたび地核の壁面に埋め込んで動けなくしてやった機械人形、ムラマサに目を向ける。
「クロウ:エイジを幾度となく宿した貴様に、いま一度問う。彼ははたして、特異点か? あるいは、一般個体か? 貴様はどう感じた」
土塊に埋め込まれて動けないムラマサは、首関節をウィーンと唸らせ、人がそうするように肩を揺らしてせせら笑った。
「ハッ。仮想生命体の王様が、たかがAIの俺に質問か。落ちたもんだな、王様も」
「スクラップにする前に活躍させてやろうと言っている。AIとして、有益な情報を提供して最後を迎えるのだ……質問に答えろ」
「そうかよ。王様なりの恩情ってわけなんだろうが、残念だったな。あいつは単なる特異点、変わり者だよ。あれが人類における一般個体というなら、人類は疾うに滅亡してるさ」
「やはり、そうか」
「でもまあ、変革ってのは常に特異点から起こるものだけどな。だからこそ俺は、あいつを選んで接続したんだよ」
「ほう。詳しく聞かせてほしいものだな、貴様のクロウ:エイジに対する見立てを」
「なに、単に一般個体よりもはるかに一匹狼の気質が強くてな。俺にとって居心地が良さそうだった、ってだけさ」
「一匹狼、か。協調性がないというだけのことだが、それはしかし、変革の力を帯びる。我もそう考え、ダイゴ:コウを選んだものだった。クロウ:エイジもまた、彼女と同等の価値があるということか」
「それはどうだかな。あいつは虚無の器にはなり得ない。それに、滅びを願ってもいない。世界のことを考える頭もない。だが、消し去ることに快感を覚えている。仮想生命体を削除しなくちゃいけない俺にとって、あいつは最高だったけどな。王様には少し、荷が重い相手かも知れないぜ」
「ふむ。では、貴様のその見立てが正しいかどうか、引き続き見させてもらうとしようか」
コード:0はそう言ってムラマサから視線を外すと、二人の魂を放り込んだ仮想世界を内包する青白い輝きの中を見やった。
※
この世界では、二人は初めて言葉を交わしたことになっている。
「大湖さん、どうして」
「偶然、通りかかっただけ。でも傷だらけの九籠くんが見えて、さすがに見て見ぬふりもできないと思って」
「そんなに、ひどいかな?」
「痛くないの?」
「体はうまく動かないけど」
「重傷だよソレ」
校門で二人は出会い、言葉を交わした。
二人は向かい合った瞬間、この世界が偽りのものであると思い知る。
お互いの瞳を覗きこんだとき、この星の地の底で対面した記憶が蘇ってきたからだった。
これはコード:0から繰り出された茶番。
しかし二人はそうとわかって、変わらずに言葉を放っていく。
「ひとりで帰ろうって思ってたけど、大湖さんが来てくれるなんて……予想できなかったはずなのに、でもこの世界で会うことになるって、正直、わかってたと思う」
「私も。今日いまこの瞬間、私は九籠くんに初めて話しかけたことになってる。でも、元の世界じゃ私、何度か九籠くんに話しかけてたみたいね」
「まるで時間が戻ったみたいだね。仮想生命体が存在しなかった場合、どうなっていたか。僕たちが仮想生命体に出会わなかったとしたら、どうなってたか。なんか、そんな世界になってる気がする」
「私もそう思う。九籠くん、なかなか分析派なんだね」
「そうかな? でも大和さんもいて、僕がいじめられてて。そうとしか思えなかったから」
「私ね、前の世界でも九籠くんに話しかけたいって、ずっと思ってたんだよ」
「え?」
突然の告白に、英治は嬉しさと驚きとに同時に心を支配されて首をかしげた。
他方、コウは心の底から微笑を浮かべて、ゆったりと歩きだす。英治が着いてきてくれると信じられるから。
「ずっと話しかけたいって思ってて。でも、私にはその資格がないって思ってた。九籠くんがいじめられてるの、ずっと見て見ぬ振りしてきた私には」
「そんな」
それは英治にとって思いも寄らないことだった。英治自身、いじめの発端はタケトの誘いに乗ったことだったから、いじめの憎しみを不良と自分自身以外には誰にも向けたことはなかった。何もしてくれない教師を憎んだことは数度あったが、それ以上に何もできない自分がいたことが悔しかったし、笑顔で人を殴ることのできる不良たちがとにかく憎らしかった。
見て見ぬ振りをしてきた他のクラスメイトのことを悪人だとは思わなかった。他のクラスメイトと自分のいじめとは無関係だと割り切っていたからだ。悪人はあの不良どもと、そしていじめられてしまうような自分だけ。
だからコウが罪悪感を抱いていたことなど、まさに英治には知る由もないことだった。
「前の世界だと、アオマキグサを英治くんがみていて。限られた人にしか見えないその花が見えてる……私と同じだと思って、初めて話しかけられた」
言われて、英治は以前、“初めて”コウに話しかけられた時のことを思い出してみる。
いじめられて、今のようにボロボロになって帰宅しようとしていたとき。英治は初めてアオマキグサを見て、同時に突然、何故かコウから話しかけられた。
クラスの隅で本ばかり読んでいる避けられがちな女子が、どうして自分に話しかけてくるのだろう――あの時はそうとしか思えなくて、ひたすら疑問をいだきつづけた記憶しかない。
「二度目は、土手。この時もすごく迷ったけど、でも九籠くんが草を引っこ抜いてて。草とか、花とか、そういうのが好きなんだって思えて。話しかけることができた」
歩きながら語り、そしてコウはその場所に英治を招いた。
夜の闇に沈んだ土手。涼やかな夏の風に吹かれて雑草たちが揺れ動く夜道の風流。
英治がいじめられた後に草むしりをして気晴らしする場所と、愛おしい雑草たちを見たくてコウが立ち寄った場所とが、あの日、一致した。
それはまったくの偶然だった。
偶然とは運命だった。だからコウは、運命に背中を押さえれた気がした……英治に話しかけることができた。
英治に話しかける。話しかけて彼を笑顔にしてあげる。その願いのもと、コウはそれから英治に何度も話しかけ、抱きしめるまでに至った。
それでもコウは、英治に好きだと言えなかった。やはり見て見ぬ振りをしている自分にはその資格がない、その考えを振り切ることができなかったから。
同時に、コウはやはり彼を終始笑顔にしてあげることもできなかった。仮想生命体のおかげでいじめがなくなった後でさえ、英治が救われることはなかった。
だからコウはコード:0に願いを託して、世界を改変することで英治の役に立とうと思った。世界を改変し、彼を救ったその先に、はじめて彼を笑顔にする資格を手にすることができるだろうと思った。
それが、大湖コウにとってのアオマキグサがある世界での出来事。
「あの世界だと、私はアオマキグサが咲いていなかったら九籠くんに話しかけることができなかったって思ってた。でもいま、アオマキグサが咲いていないこの世界のなかで、私はそれでも、九籠くんに話しかけてる。結局、私にはコード:0がいてもいなくても、九籠くんに話しかけられていたってことになる……私って、馬鹿だったんだね」
資格の有無など、関係あるものか。あの不死鳥、いや、この世界を観察しに来たコード:0はそう言ったが、まさにその通りらしかった。
行動するのに資格の有無など関係がなかった。ただその一歩を踏み出すかどうか、それだけがすべてだった。
それを教えて、しかしコード:0はこの世界を介して何を見せようとしているのか、コウにはわからなかった。しかし、コード:0が生み出したに違いないこの仮想生命体の存在しない世界のなかでも、自分は願いを果たすことができた。その事実にこそ、重要な意味があるような気もしていた。
「九籠くん。ひとつ、聞かせて」
だからコウは、もう一つの願い――九籠くんを含めた、この世界では救われない人々を輝かせる世界をつくること――これを仮想生命体の存在しないこの世界のなかでも果たしうるのか、判断してみることにする。
「あなたはこの世界のなかで、幸せになれそう?」
コウの漆黒の眼が、真剣に研ぎ澄まされて英治に据えられる。
闇のなかに沈む雑草たちを背にして問いかけるコウに対して、英治は首をかしげていた。
「わからない。それは」
英治は彼女の言葉に頷きたかった。しかし、それほど強く自分の未来を信じられはしなかった。
タケトたちに反抗すると心に決めた。奴らに、世界に挑み続けると誓った。その一歩を今日、踏み出すこともできた。
あとはこれから。すべてはこれから負けずに挑み続けることができるかどうかにかかっている。
できれば負けずに乗り切りたいところだが、なにせ自分のことだ。負けて心が折れて、不登校になってしまう可能性もゼロじゃない。
そう思ってしまうからこそ曖昧な表情を浮かべる英治に対し、コウは深くため息をついた。
「私は九籠くんに、幸せになって欲しいって思ってる。でも、いまのあなたの傷を見てると、やっぱりすごく痛々しい。そんな傷を負わなくても幸せになれる世界を用意するべきなんだって、そう思ってしまう」
それこそが、コウがコード:0と融合する理由――漏らされたコウの願いと向かい合った英治は、悩ましげに俯いているコウに、しかし力強く言い放つ。
「僕は、それでもがんばりたいって今は思うよ。この先、どうなるかなんてわからない。僕も自分を信じられない。だから、大湖さんの質問には答えられない」
コウはいつもの弱々しい印象とは打って変わった英治の声音に、驚いて思わず顔を上げる。彼女の視界に、ひどく腫れた頬を晒す彼の凜々しい顔が映った。
その顔に、運命の導きか、アオマキグサの前で初めて話しかけたときも傷だらけだった、あの時の彼の顔が重なった。
彼の顔は、あのときはとても決まり悪そうだった。傷ついた顔を見せるのは恥ずかしいと思っていたのだろう、目を合わせることさえしてくれなかった。
いまの顔は、はっきりとコウを見つめていた。
他の誰でもない、コウに対して宣言していた。
「僕は幸せになれるかわからないけど、頑張りつづけるよ。どこで心が折れるか、いつ自分に負けてしまうかわからない……思ってみると、けっこうすぐに挫折して引きこもってしまうかも知れないけど。でも、生き続けようって、少なくともそう思うよ。生きることをがんばろうと思う。だから、大湖さん。ありがとう。心配してくれて」
言いながら英治の記憶のなかの、コウが話しかけてきてくれた記憶のすべてが思い起こされていく。
罪悪感を抱いていたといま初めて知って、それでいて話しかけてくれた、一歩を踏み出し続けてくれた彼女の記憶が、英治にはこの上なくありがたいものに感じられる。
痛感した。彼女はずっと、少なくとも初めて話しかけてくれたあの日からずっと、自分を想いつづけてくれたのだ。
胸にわき上がる感謝の気持ちを、だから英治は言葉にした。
しかし、コウにとってその言葉は辛かった。
嬉しい気持ちと、無力感とが同時にやってくる。
彼に対して、自分は何もしてあげられない。にも関わらず、お礼を言われてしまう。つまり彼は、自分には何も望んでいないのだ。
他人の人生に干渉できないことは知っているつもりだった。でも、いまこうして独りでがんばりたいという本心を打ち明けている彼が、ひたすら遠くなっていく。
世界を変えて彼を救いたい、その願いが、限りない自己満足だったのだとわかってしまった。
彼は世界が変わってしまうことを望んでいない。あくまでこの冷たい世界のなかを進みたいと彼は言う。
しかし、それでは、彼が救われる保証はどこにもない。救われるどころか、どんどん不幸になっていく可能性さえある。
そんな残酷な世界のなかで、彼が傷つきつづける姿をみて、それさえ見て見ぬ振りをしつづけるのだろうか?
まるで流星のように、コウの頬に涙がつたった。
「ありがとうって。私はなにも、できてない。あなたの不幸を取り払うことができない。あなたを笑顔にしつづけることが、私にはできない。あなたの人生を変えてあげることが、私にはできない。私では、あなたを救えなかった」
コウはこの世界でも絶望した。
本来であれば、彼を支えつづけるべきだったのだろう。しかし、彼に何かをしてあげたいという己の願いを捨てることもできなくて。
はたして、コウは結論した。
「この世界でもきっと、あなたは傷つきつづける。痛みを受けつづける。九籠くん、あなたはそれでいいのかも知れない。でも私は、そんなあなたを見てられない」
願いの叶ったはずの世界が、崩れていく。
夜闇に雑草たちの咲く土手の景色が塗り替えられていく。
仮想世界は瞬時に霧散し、コウはひとり、現実世界へと戻っていった。
英治はただ呆然と、その姿を眺めるしかなかった。




