13-5 裁きの騎士
コウは“死を確信”した。しかし、河に身を投げたはずのその体はどこにも落ちたりはしなかった。
願いを叶えた仮想生命体による世界の変革――コウの足は河の上に着いた。
そこは河の上を歩くことができる世界。
コウはそのまま、河の上を歩いて渡って、この世界の果てに行ってしまえるとさえ思えた。
それこそが、コウとコード:0とが話し合って決めた“結末”だった。
それでも。
「九籠くん……!」
彼の手が、しっかりとコウの手首を掴んでいた。
振り払うべくふりかえったコウは、そこで英治が見知らぬ男と向かい合っているのをみる。
(白衣?)
ひげ面の男をみて、そうして次の瞬間、コウは目を見開いた。
英治に対面するその男の後ろに、斧を持った女性が控えていたからだ。
忘れもしない、コード:インフィニティの私兵でありながらも人間のままだった、その女。
目を眇めたコウは、直後、目の前にひげ面の男がいるのを確認する。
「!」
瞬発的な移動。
コウの両手はひげ面の男に捕えられる。
「嫌……私はあの太陽が沈む前に、世界の果てに行きたい!」
英治はひげ面の男――生田元次の言葉を確かに耳にする。
「コード:0は特異な仮想生命体でね。死を確信した人間の魂を取り込むことができる。生を超越しようとしながら、しかしいまだ死の世界に辿り着いてもいない人の魂を取り込むことで、完全融合態に進化する」
直後、英治の視界からゲンジが消えた。
ひげ面の白衣が一瞬でいなくなる。そうとしか見えない動きだ。
世界の果てに行きたい!
コウの叫び声が聞こえる。
振り返れば、太陽を背にしたコウがゲンジに掴まれていた。
英治が振り返るまでの一瞬で移動しただけでなく、コウの手首を掴んでいたはずの英治の手をほどいて、その上でコウを捕えている……常人には決して発揮できない神速だが、英治はそれを可能とする存在をひとつだけ、知っていた。
「脳接続?」
仮想生命体に化身することなく、人の姿を保ったまま超常的な動作を行える。そんなことができるのは、脳機能を拡張すると同時に身体機能を強化する“ムラマサ”以外にありえない。
「そんな」
英治は思いついた直後、意識の奥に存在するはずの最終兵器にアクセスしてみるが……ムラマサのものに違いないテレパシーのような声は響いてこない。
「ムラマサを最初に脳に取り込んだのは、この俺だ」
コウの後ろ首に手刀を入れて彼女を気絶させたゲンジは、そのまま跳躍。小鳥の飛び交う空の高さにまで登り詰め、そうしてすっと英治の目の前に着地してみせた。
意識を失ったコウを土の上に横たえながら、そうしてゲンジは後方に控えていた斧を背負う女性を呼んだ。
「赤色の斧を使う。出番だ」
「はい」
女性は淡々と答えると、ゆったりとコウに近づいてくる。
「ちょっと待ってください!」
英治はたまらずゲンジに声をあげていた。
気絶させた女の子を前にして、斧を使う、という。その言葉の意味を察すれば悪寒が走る。英治は以前、人が良さそうにおしゃべりしてくれたゲンジの顔も覚えている。とても、そんな悪寒を感じさせるような言葉をつかう人ではないと、そう思えたのに。
「大湖さんはいま、普通の女の子です。コード:0は、もう」
「甘ったるいこと言ってんじゃねえ、ガキが」
ゲンジは英治を見もせず、しかし即座に声をあげた。
「反応は確かに消失しているが、いつ再接続するかもわからん。この女の子のなかにいないからって、奴はどこからでも再接続できる。いまこの瞬間にだって、奴が戻ってくるかも知れない!」
説明するゲンジの顔は険しい。そこに笑顔を絶やさなかった彼は、もういない。
英治は、そうしてゲンジが仮想生命体の根絶を目指している人間だということを今更のように思い出して、その意味をようやく理解した。
仮想生命体を根絶する戦いを仕掛けると、以前に彼は言った。それが具体的にどんな行動をとるのか、英治は予想できなかった。あくまで彼からの協力要請を受けるかどうかという話だと思っていたから考えが回らなかったのだ。
しかしいまこうして現実が訪れてみれば、そんなことさえ予想できなかった自分がただただ嫌になるばかり。
仮想生命体を根絶するということはつまり、すべての始まりであるコード:0、つまりはコウを殺すということに他ならない。
そこまでわかって、しかしいまや状況は最悪だ。ムラマサは使えず、相手は人間で、その上、コウが斧で斬られるのは明らかで。
「しかしだ、ガキの割りにはよく役に立ってくれた。礼を言おう、英治くん」
ゲンジはそうして笑みをつくり、ようやっと英治を見たかと思えばそんな言葉を吐き出してくる。
「コード:0が器から抜けたことで、器を消去する絶好の機会が訪れたのはいいものの、肝心の器の場所を特定することができなかったからな」
「う、器?」
「そう、“虚無の器”と我々は呼んでいる。生から抜けだし、死に至ろうとする途中の人間としか完全融合しないコード:0は、生に満足せず虚無の人生しか歩まない特殊な人間を探して器に選定する」
ひげ面の奥にしまった研究者の言葉で、ゲンジは語る。
「器を壊せば、コード:0は次の器を探すことになるだろうが、その時間を稼ぐことはできる。その間に完全融合態になっていないコード:0を削除してしまえば、仮想生命体は新生しない。我々人類の勝利というわけだよ」
そのために、とゲンジは呟き。
傍らに立つ斧を持つ女性が、言葉を継ぐ。
「この子には、死んでもらいます」
赤い斧が天高く掲げられる。沈もうとする太陽がその刃を照らし、その影がコウの顔を横切った。
「そんな、こと」
英治は呟きながら、考える。
「器を壊すって……壊すって、何だよ」
まるで物を壊せば良いとでもいうような言葉だが、ゲンジははたして本心からそう言っているのか……その言葉によって実現されるのは、人殺しなのに。
仮想生命体からの侵略から人類を護るために、コウが死んでもいいのか。
考えるまでもない。
英治はムラマサがいなくとも、ただ己に宿ってしまった力を。
現在の世界を侵略すると同時に、現在の世界では決して救われることのなかったひと握りの人間たちを確かに救ってきた仮想の力を、己のうちに呼び起こす。
「間違ってる。大湖さんには、大湖さんの人生があるんだ」
英治は化身する。
ムラマサによる脳接続を介さず、ただ一体の仮想生命体――コード:ファーストとして。
“幸せになりたい。”洗練されたその願いに至る前に得た、英治の最初の願い――“裁きたい。”
結果、いじめの加害者たる不良たちを一方的に殺すことになってしまった、読み間違えられた願い。
しかし、草むしりや風呂掃除は続行され、それもまた確かに英治の中にあったのだと確信される願い――“消し去りたい”。
草をむしるのが好きだった。お風呂の垢をとるのが好きだった。
共通するのは、何かを消し去る喜び。一方的に相手を裁く快楽。
誰かや何かを傷つけることは、時として至上の快楽になる。
「ガキが……ムラマサに頼れないからって、お前まで!」
ゲンジはひげ面を苦悶に歪ませたのも一瞬、斧持つ女性に素早く指示を送った。
「器の削除を!」
「了解!」
女性は斧を振り上げ、眠れる少女に振り下ろす。
一方、ゲンジは英治と向かい合って。
そうして、化身した英治の、コード:ファーストの威容に思わず息を飲む。
美しきも凜々しい白銀の騎士。
完全融合によって物質化した銀の鎧を全身に装着し、それは全く人の姿と変わらない。
表情こそ甲冑の面頬に隠れて見えないが、しかし目の位置から瞳の色をのぞくことはできる。それこそ英治の瞳と何ひとつ変わらなかった。
全身を構成するプレートアーマーは飾りのない簡素なものだが、そのすべてに厚みがある。ずっしりと重厚な鎧であり、さりながら黄昏の太陽光の乱反射を煌めかせるその姿は透き通るようで、まるで重さを感じさせなかった。
正面から見ればそれは見まごうことなき騎士そのものだが、他方、背には九つの龍の首がまるで翼のように生えている。
「お前は、仮想生命体なのか」
ゲンジは思わず問いかけながら、しかし一瞬で距離を詰めてくる。
瞬間移動と呼ぶほかない、少し地面を蹴っただけで目の前にやってくる超速の接近。
ムラマサと接続しているときとは違って、英治は正直その動きを視界に捉えきることができない。
「っ!」
コード:ファーストに化身したところで、正直、大きな力を手にしたという実感はなかった。
それでも英治は、虚空に手を伸ばした。
仮想生命体の力のひとつ、“物質顕現”――任意の物質をひとつ、あるいは二つ、その手に握ることができる――瞬間、英治の手に虹色の光を放つレーザーブレードが握られた。
「来てくれた……聖剣!」
虹の聖剣を手に、英治は目の前のゲンジを無視した。
「ガキが!」
超速で接近してきたゲンジに向き合わず、その脇を通り抜ける。
「なめるなよ」
ゲンジは冷酷に呟いて、ただ斧を持つ女性を目指す英治に向かってムラマサ・グリップから金色の光の刃――鬼切を噴出させて横なぎの斬撃を繰り出す。
水平に振られた金色の輝きを、しかし英治は虹の刃で受け止めた。
直後、
「あんたに構ってる時間も!」
英治は反射的に剣を握っていない左手を女性の方に伸ばした。
そして、一度は読み違えられたその願いをあえて口にしてみせる。
「“消え去って”――!」
英治の声とともに、その左手から不可視の波動が撃ち放たれる。
波動は女性が振り下ろしている真っ最中の赤色の斧を捉えた。
「!」
目に見えない力に斧を絡め取られ、女性が思わずコード:ファーストを見た瞬間。
「――“裁かれて”!」
コード:ファーストの左手が、ぐっと握りしめられる。
それは仮想生命体の力のひとつ、“現実改変”。人の願いを現実に転写する。
直後、英治の叫びと同時に女性が手にした赤い斧が砕け散る。
「そんな……」
女性はただただ砕けていく斧が己の手から破片となって抜け落ちていくのを、呆然とみるしかなかった。
「デタラメじゃねえか!」
ゲンジは一方、金色の刃を銀色に染め直しながらも刃を押した。
注意を女性からゲンジに向け直した英治は、両手で虹の聖剣を握って押し返す。
銀の刃と虹の聖剣とがしのぎを削るつばぜり合いが繰り広げられ、両者は互いに顔を向けあって、互いの息を読み合った。
「斬ってやる!」
ゲンジは――ムラマサはそう叫ぶと同時に、チャージアップを完了した鬼切が銀色から赤色へと遷移する。
あらゆる情報を削除する人の血潮の色をした刃に対し、しかしコード:ファーストが握る虹の聖剣もまた、一歩も退かない。
二振りの刃が震えながらも衝突する様を、意識を取り戻したコウがぼんやりとその視界に収めた。
「九籠、くん……?」




