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2-1 夜の月と青い花

 まさか毎日通り過ぎるだけの景色に興味を覚える人が、同じ年齢の男子にいるなんて。

 驚いて、嬉しくて、知らずのうちに声をかけていた。


「あの、九籠くん、だよね」

 引きちぎった草をぽいと捨てたときに声をかけられたから、英治は思わずぴくりと肩を震わせて、しばらく固まった。

 聞き覚えのある声だった。クラスメイトの女の子の。


「何してるの、そこで」

 問い詰められた声をきいて、英治はむしろ何故こんなところに他人がいるのか、問い返したくなる。

 確かにこの土手はお昼や夕方であれば子どもたちの遊び場になっている。とはいえ、ここには電灯のひとつもない。近くに家屋は建ち並んでいるから犯罪こそ起きないが、それでも年頃の女子がひとりでうろつくには危うい場所だ。

 そうでなくとも雑草の他には何もない。まさに普通の人間には用事もない不毛の地がこの土手だ。

 いまや暗闇に飲まれたこの夜の土手には、これまで他人がいたことなど一度もなかった。だからこそ時たま憂さ晴らしにやってきては、草むしりをするのにちょうどよかったのに。


「まあ見ればわかるけどね」

 声が次第に近くなってくる。

 固まっている英治は、ついに背後に気配を感じた。


「九籠くんがこんなことしてるなんて、ちょっとびっくりだけど」

 気配はそれ以上近づいてこない。ぴたりと止まって、英治が応えるのを待っている。


「でも、納得もしてるよ、うん。こんなこと、ウチのクラスじゃ九籠くんしかやらなそうだからね」

 いつも独りでいる女の子、大湖コウ。

 英治のようにいじめられているわけでもないのに、何故かクラスで孤立しているメガネをかけたショートヘアの美少女だ。

 同じ美少女でもリンが華やかな委員長タイプであるのに対し、このコウはいつも教室の隅で本を読んでいる無言系女子。

 口数も少なくいったい何を考えているのかわからない。

 感情が顔にでやすいリンとは対照的な、鋭利な刃物のような冷気を瞳から放っている。表情変化も乏しく、誰かに話しかけられても顔はほとんど動かない。

 彼女の声を聞くのはだいたい教師に対して答えを求められたときだけだ。

 入学当初はそれこそリンのような明るい性格のクラスメイトたちから話かけられていたが、いまとなってはコウに話しかける生徒などひとりもいない。

 むしろ女子たちは陰でコウの悪口を言っているのだが、そんなものも聞き流しているのか、端から聞こえてないのか。コウは毎日堂々と独りで昼食を食べ、読書をして授業を受けて、実に淡々と学生生活を過ごしている。


 英治は、正直そんなコウがうらやましくもある。

 一度でいいから、誰からもちょっかいを出されない平和な毎日を過ごしてみたい。

 誰かと話せば不良たちにからかわれ、おかげで女子からも嘲笑される。英治にとっては人間関係など不要で、むしろ害悪だ。

 あらゆる人間関係を切り捨てて君臨するコウの姿こそ、英治の理想の学生生活のひとつだった。


 そんな彼女が、珍しくもまた声をかけてくる。

 誰とも言葉を交わさないはずの彼女が、いったい何の用だろう。

 草むしりを見られたのは恥ずかしいが、かといって彼女の気配がなくなることもない。

 いつまでも固まってはいられないと思って、英治はえい! と意を決して振り返ってみた。

 視界には、綺麗な笑顔が映った。

「?」

 英治は思わず目を反らした。鼓動が速まってくる。

 いつもの怜悧な視線はどうしたのだろう、ウキウキしたような熱のあふれた笑顔が闇のなかに浮かんでいた。

 それは夜空に輝く月のようで。

「このこと、誰かに言って、バカにするの? 僕が、草で遊んでたって」

 頭が真っ白になって、英治は思わず口走った。

 言って、余計に目を合わせづらくなった。いつも独りでいる彼女が、はたしてクラスメイトに話しかけてまで草むしりをあざ笑うだろうか? そんなはずはない、と何となく判断できる一方、とはいえ英治にはやはり彼女のことなど何もわからないのだ。

 どこぞの武人のように、カーストの群れに加わるための“ネタ”として売られる可能性もゼロじゃない。

 痛みの経験に裏打ちされた警戒心を抱く英治は、しかし思わぬ声を聞く。


「私をそんなバカな奴と一緒にしないでよ」

 思わず彼女の顔を正面から見た。笑顔はすでに消えていた。代わりに、こちらを鋭くにらみつける冷たい顔がそこにあった。

 瞬間、英治は安心した。へらへら笑ってる奴の顔なんて、信用できないからだ。笑ってバカにされ、殴られ、蹴られてきた英治にとって、信頼に値するのは笑顔ではない。何も着飾っていない怒りや憎しみといった剥き出しの敵意を湛えた顔面こそ、明確に信じられるただ一つの人間の顔だ。

 

「わかってくれたみたいだね」

 コウはふたたび笑顔を作ると、土手の暗闇に手を伸ばした。

 ブチ、と音がして彼女が闇から手を引っこめると、一輪の白い花が現れた。

「ドクダミ。花言葉は、野生」

 呟いて、そして捨てる。

 またコウは手を伸ばして、暗闇からひとつ、草をもぎとった。

「シロツメクサ、約束」

 そうして彼女は白い手で空気をそっとかきまぜるように、穏やかに草を捨てた。

「アオマキグサ。花言葉は、救い」

 手元の草を捨てながら言い放った、いまここには存在していないはずの雑草の名前に、英治は首をかしげた。


 それは警察が先ほど口外しないようにと厳命してきた情報のひとつで、“怪人を引き寄せる青い花”の名前ではなかったか。

 それを初めて見たとき、名前を教えてくれたのもそういえば彼女だった。

 あの時はいじめられた直後で醜態を晒すのも恥ずかしかったから、早く立ち去りたい一心でろくに言葉も返せなかったけれど、視界もおぼろげなこの闇のなかなら、前よりはうまく彼女と話せる気がした。

「アオマキ、グサ」

「そ、アオマキグサ。この前、九籠くんが見てたやつ。あれレアな雑草でさ、限られた場所にしか生えないんだよ」

 なぜ彼女は、その花のことがわかるのだろう。警察が国家機密に指定するほど、隠匿されている情報のはずなのに。

「大湖さんは、その」

「待って」

 コウは英治の言葉を遮ると、フフ、と息を吐いて笑って、

「コウでいいよ。ていうか名字で言われるの、嫌いなんだよね」

 ごくり、と緊張で固まった喉を動かし、英治は言い直す。

「コ、コウさんは、どうしてその、アオマキグサのことがわかるの」

「え? いや、九籠くんだって知ってるじゃん。それとも、そんなに特別なものなの? レアとは言ったけどさ、フツーに道ばたに生えてたじゃんアレ」

 ふえ? と首をかしげた彼女は、何故か悪戯っぽくにんまり笑っていた。

「い、いや……特別とかじゃなくて、その」

 まさか警察が機密情報に指定しているなどとは伝えられるはずもなく、英治がどうしたものか戸惑っていると、

「いつか、私はあの花を手にしたい。九籠くんも、手にできるといいね」

 そう言って、コウはくるりとターンして背中を向けた。

「じゃあまた明日! って言ってもまあ、学校じゃあ話せないけどね」

 ハハ、と息を吐くとコウは夜道をまっすぐ歩いて行った。

 

 結局彼女はいったい何の用があったのか? そもそも彼女は何を知っているのか?

 何ひとつ判然としないままだが、しかし英治の胸には嬉しさだけが残っていた。

 ほとんど初めてだった。他人と、それも女の子と、バカにもされずにまともに言葉と言葉を交わし合ったことなんて。

 

 英治は草を引き抜こうとしたがやめて、そのまま家に帰った。足取りは軽かった。

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