13-4 虚無の器
心当たりがある場所は二つあった。
それでも英治が河川敷公園に足を運ぶことにしたのは、コウと向かい合って話した記憶が残っていたからだ。
『九籠くんは、都合が良すぎるんだよ。だから色々、利用される。不良たちにも、あの女にも、私にだって』
黄金の太陽のなか、彼女は優しくそう言ってくれた。
そして彼女はこうも言った。
九籠英治という人間の、そのすべてを知っていると。
中央市街を抜けて、土手を通り越し、河川敷公園へ。
歩きながら英治は思い出す。コード:0を宿していながら、それでも仮想生命体を切り刻む自分を許してくれていた、彼女のことを。
彼女がコード:0だということに、もう少し早く気づいていればどうなっていたのか。それはわからない。わからないが……彼女は真実、英治のすべてを知ってくれていたのだ。
仮想生命体を切り刻む快感に身をゆだねてしまっていた恥ずべき己の醜態を、彼女は見過ごしてくれていた。
その事実を胸に抱きしめて、いつも優しかった放課後の彼女の顔を思い起こして。
あたたかな黄昏の太陽光を目指すようにして河川敷公園へと辿り着く。
黄金の真円となった太陽の前を流れる川面の、手前に彼女がいる。
河原の先端に立っていて、それはまるで身投げのようで。
英治は思わず、叫んでいた。
「大湖さん!」
瞬間、彼女の体が震える。
彼女はぴたりと動きをとめて、そうしてゆっくりと振り返る。
太陽の中心に立つ柱のようにまっすぐ立った彼女は、メガネ越しの瞳を揺らめかせていた。
学校では何事にも動かない無感情な瞳が、うっすら涙に覆われて動揺している。
「九籠、くん」
彼女はおそるおそる、というように目線を上げて英治を見ると、突然にふっと息をはいた。
卑屈そうに口を歪めて、
「どうしたの。こんな何もない公園にきて……そんな、大声で私を呼んでさ」
声はまっすぐ透き通るようで。そこだけはいつも学校できく、静かな調子。
「あの女に言われたから、私のとこに来たの?」
彼女はそうして、いつもの彼女らしく本質をまっすぐに打ち貫いてきた。
時に声を荒げて、時に冷徹に、彼女は誰に対してもまっすぐな言葉を差し向ける。そのせいでクラスから孤立しているのだろうけど、英治はそれが彼女の優しさからくるものだということを、すでに知っていた。
本音を隠してお互いに笑い合って、その歪みを関係ない第三者をいじめて発散する奴より、彼女のように最初から本音を言ってくれる人の方が、はるかに信用できる。
「うん」
だからこそ、英治もまた本音を返した。リンに言われたから……それ以外の理由は、やはりなかった。
公園で彼女に抱きしめてもらった時の記憶が蘇っても来るが、それだけでは彼女に会う理由にはならない。リンが託してくれた願いを叶えなければならない、その強制力があればこそ英治は、ようやく自ら彼女に会いに行けたのだ。
「私も言われたよ、あの女から」
彼女は英治から視線を外して、そうして太陽を背にした日陰のなかに浮かべた視線を虚空に向けた。いまはいない誰かを見通すような、空しい色をした瞳だった。
「でもさ、困るよね。だって私たち、そんな関係でもないじゃん」
彼女の真実を射ぬく言葉が世界に響く。金色の太陽に自ら背を向け、もはや影と同化している彼女は、そうしてまた、ふっと息を吐いて笑った。
「いきなり付き合えとか、ね。突然言われても困るよね」
「……うん」
「九籠くんも、あの女のこと好きだったでしょ? 付き合ってたこと、知ってるよ。あの女から聞かされてさ。きっと九籠くん、幸せそうにしてたんだろうなって思った。だから、あの女が突然いなくなって、だからといってすぐに私と付き合うなんて、九籠くんってそんなに軽くて図太い男でもないだろうし」
呆れる、というように首を横に振りながら、そうして彼女はうつむいた。
「ほんと、馬鹿女だったよね。あいつ」
俯いた顔の瞳から、すっと一筋の線が走った。彼女が影の中で泣いていた。
「九籠くんはやっぱり、優しすぎるよ。あんな馬鹿女の、理想論に耳を傾けて。あいつの言ったことをちゃんと聞いて、こうして私の前にしっかり現れて」
話す彼女に、英治はゆっくりと歩み寄っていく。
ただ世界に言葉を開け放つ、その声を聞きながら。
「私、九籠くんとなら話があうと思ったんだ。学校内では友だちいなくて、私とそっくりで。何だかもうひとりの私を見ているような気がしたよ。それに放課後はさ、いじめられても立ち上がって、それで何故か草むしりしてて。変な奴だなって思ってたけど」
英治は前に進む。足先が、彼女の影に触れる。
その影はぴくりとも動かない。それはまるで、普通の影のようで。
確かにそこに、以前のような異常性はない。
コード:0の反応が消失した、というココロからの情報は正確なようだ。
確認しながら、英治は彼女に歩み寄っていく。
「でも草を見るのが好きな私も、変な奴だよね。だから、色々話が合うのかなって思ってた。でも、それでも……優しいところが、私とは違うなって思って」
話す彼女の顔に、新たな影が重ねられた。
目線を上げてみれば、英治の顔がそこにあった。
彼女自身の影と英治の影とが重なりあって、二人は太陽さえも照らさない互いの顔を向け合った。
「私、死のうと思ってたの」
ぼそり、と彼女は告白する。
どうして、と言う代わりに英治は瞳を揺らした。
英治もまた、彼女と同じ事を思っていた――彼女とは何かと考えが合う気がしていた。だからこそ、わざわざ問わなくても伝わると直感できた。
はたして、その直感は正しかった。彼女は言葉を継いでくれた。
「私、誰にも優しくできない。あの女だって、私の友だちになれたかも知れなかったのに……いなくなって。九籠くんにだって、私は何もしてあげられてない。私は、私自身を笑ってる。誰にも優しくできなくて、自分にさえ優しくできない、私はもう、生きたくなくて」
英治は不意に思い出す。
河に身を投げた大学生のことを思って、目の前の川面に両手を合わせていたとき、ふとやってきた彼女が言った問いを。
『私があんな風になっても、英治くん、さっきみたいに両手合わせてくれる?』
それは何にも繋がらない、虚無につながるものでしかない願い。
しかし英治は同時にはっきりと覚えてもいた。彼女が抱きしめてくれたときに確かに感じられた、彼女の体から伝わってくる温かさを。
怜悧な虚無と、温かな体と、どちらが本物なんだろう?
本物も偽物もない、どちらも彼女なのか。
そう思った英治は、影のなかで泣きそうになっている彼女にまた一歩、近づいた。お互いに吐く息を感じられるほどの距離で、英治は言葉を放った。
「僕は、知ってるよ。大湖さんが優しい人だって、こと」
「私の何がわかるの、あなたに」
「ぜんぶ」
いつかそう言われたことを、英治はそのまま彼女に返した。彼女からかけてもらった言葉を恩返しするつもりで、英治は言い放った。
「いつも教室の隅にいて、クラス全体をみてさ。僕たちは、同じこと考えてたって思うよ。だから死にたいって思うこと、僕もよくわかる。いじめられてたとき、そう思ってたし。でも、大湖さん。君はいまここで、本当に死ねるの?」
それは意を決して口にした、英治の本音だった。
死ぬ勇気なんて英治にはなかった。たとえいじめが嫌で死にたいと思った時でさえ、死が怖かった。怖かったから実現できなかったのだ。
目の前の彼女が、自分と似ているなら……おそらくそこも似ているはずだ。そう見抜いた英治は、彼女に本音を語った。
彼女は目を開いて、笑った。影のなかで輝く笑顔が花を咲かせて、彼女の視線が足下の雑草たちに注がれる。
「死ねないな、私。図星だよ、九籠くんの言うとおり。私ね、実はお昼頃からずっとここに立ってた。朝に死のうと思って、ご飯食べてさ。お腹いっぱいにして満足して死のうって思って、ここに来たのに。笑えるよね。こうしてずっと、日が暮れるまで突っ立ってたってわけ」
彼女はそうして、本当の願いを口にする。
「私ね、死ねないけど。ただ道ばたに咲く、草みたいになりたい。あそこらへんに咲いている、雑草って呼ばれるお花になりたい。咲いているだけで許される、それだけで生きられる、草花になりたい」
だから彼女は、草花を見るのが好きだった。
英治は一歩を踏み出して、そうして影を突き破った。
重ね合わさった影同士がぴったりと合わさって、お互いの体が溶け合うようにひとつになる。
英治は思いきって、全身全霊で彼女を抱きしめた。
彼女にかつてしてもらったことを、英治は返した。
お互いに体の内の温かさを交わり合わせたのも一瞬。
バン! と強烈な音がする。
英治は思いきり頬を張られていた。
「……あの女のこと、まだ想ってるくせに。私に優しくなんかしないでよ」
ひどく怜悧な声音だった。
それでも英治はまた一歩を踏み出して、彼女を抱きしめようとした。
彼女は一歩退いて、そうして英治の手が空を切る。
彼女を掴み損ねた瞬間、英治は彼女の笑顔を金色の輝きに切り取られた深い影のなかでみた。
「ありがとう。英治くん」
あえて名前で呼ばれたその意味を問いかけるより早く、彼女はそのまま河に身を投げていた。
「大湖さん!」
彼女の影が輝く水面に投影されていく。
英治はただ彼女を見て、必死に手を伸ばした。
その手が彼女の手を掴んだのも束の間、英治は背後で誰かの声を聞いた。
「取り込んでいるところ、済まないが。その女の子を死なせるわけにはいかないんでね」
聞いたことのある男の声だ。
英治は振り向いた。




