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13-2 新世界の胎動

 ココロはテレビ画面を見ながら、思わず笑った。


『私は、世界を変える法案をこの国の議会で成立させることを目指します』


 声の主は総理大臣。制度上はこの国の頂点に君臨する人間が、公聴会を撮影した国営放送の電波で歴史的な発言をすることになる。


『その法案は、“仮想生命体基本法”。この法案提出を契機に、私は世界に問いたい。そして学んでいただきたい。いまこの世界に存在する、我ら人類を転覆しかねない新たな生物種の存在を』


 深夜三時に公聴会があるときいて、面白そうだからと興味本位で流し見するつもりだったから、その発言はココロにとってもまさに青天の霹靂だった。

 国家元首の口からその言葉を聞くことになろうとは。

(厄介なことになるな……)

 ココロは推測する。日本の総理大臣はいま、仮想生命体と融合しているのではないか? そうでなければ、総理自ら議員立法などするものか。


 すでに国会の会期は終わっている。その“仮想生命体基本法”とやらが国会で議論されるのは早くとも次の臨時国会が召集されたときになる。

 ココロはためしにネットサーフィンしてみたが、臨時国会についての報道はない。つまり法案づくりの進行具合はともかくとして、法案提出から可決までの方策についてはこれから作っていく、ということか。


『法案についてはこれから毎日、条文を公開していきます。そして同時に、“仮想生命体”とは何か、まだご存じでない方にお知らせしていきたいと考えています。今日の公聴会でかわされる議論も含めて、ぜひ国民の皆さま方にはこのトピックに興味を示して欲しい』


 一切の迷いもなくカメラに向かって演説する総理大臣の傍らにひかえる、ひとりのやせた女性。

 ココロはその女研究者をよく知っていた。

 公聴会の議場でも白衣を公然と着用する生粋の天才科学者――水城(みずき)和佐(かずさ)。台京透の四人の助手のひとりであり、変わり者揃いの助手たちのなかでもひときわ異彩を放っていたのが彼女だった。

 人嫌いなココロをも超える協調性のなさ。しかし、目的を実現するためならばあらゆる人間にもアクセスしてみせる、という矛盾に満ちた対人スキルをもった女だ。

 まだ透が生きていたときだが、人体実験用の人間が欲しいと言って研究室から突然飛び出し、あらゆる国家から死刑執行直前の死刑囚をかき集めて仮想生命体の研究に用いた、という空恐ろしい伝説もある。

 そんな彼女が透から課せられていた研究テーマは、“仮想生命体と人体の融合”――つまりは完全融合のメカニズムを研究していた。

 彼女の研究がなければ、仮想生命体が人間と融合することはなかったと言っていい。その意味では人類にとって彼女は罪人だが、研究成果の大きさからみれば権威的な研究者ともいえる。彼女が確立した“脳接続”の技術がなければ、ムラマサを人の脳に接続する技術も実現できなかったのだ。

 研究のためなら善悪を問わず、手段も選ばないマッドサイエンティストの化身がいま、国家元首とともにいる。

(透を見捨てたアンタが、総理様と共に、か)

 ココロは過去の苦い思い出とともに、総理の演説を聴いている様子もなくただ目を閉じて何事かを黙考しているらしい水城博士の顔を見て、ひとり肌を粟立たせていた。

(この法案はろくなもんじゃないだろうな……)


 朝。英治は飛び起きることになる。

 降り注いでいた日光が突如、巨大な影に遮られたからだ。

「ん?」

 二度寝、三度寝を繰り返していた英治は、不意に窓をみた瞬間に全身を震わせてトビウオのように跳ねた。

「んん!?」

 クジラが空を飛んでいた。

 比喩表現でも何でもない、事実。

 海にいるべきクジラが雲を突き抜けて、遠くの空を飛んでいた。

 英治は目をこすくったが、幻ではなかった。

 クジラだけではない。多くの魚が太陽の近くに群れを成して飛んでいる。遠くの空では飛行機がサメと並び合って飛んでいる始末だ。

 これはいったい、どんな世界だ。

 英治は急いで台所に行って、出勤前の両親に問いかけるが、

「ん、なんでそんなビックリしてるんだ?」

「そうよ。小さい頃から空飛んでたでしょ」

 ……そんな馬鹿な、と喉もとで出かかった言葉を飲み込んで押し戻し、英治は理解する。

(これも仮想生命体のせい、なんだよね)

 完全融合態に成長した仮想生命体は、人間の願いを現実に転写する。

 この世界にいる誰かが、実にファンタジーなことを願って仮想生命体を呼んでしまったのだろう。

 

 空に住宅街ができたのがひとつ。そして今日、また世界は人の願いを受けいれて、海棲生物をはるかな空の高みにまで打ち上げてしまったというわけか。

 

「英治ちゃんがまだ保育園に行ってたころにね、空を飛ぶお魚さんたちを誘導する職に就いてるおじさんに会って話をきいたこともあったんだけどね。忘れちゃったかな」

 母親がそう補足してくれたのに絶句して、しかし英治の記憶の片隅には確かにそのおじさんのことも刻まれていて……世界が変容していることを認めざるをえなかった。



 流れで手早く朝食を済ませて、

「んじゃあ、言ってくるな。英治」

「夏休み、せっかくだし楽しんじゃいなよ。それじゃあ行ってきまあす!」

 両親が出勤したのを見届けてから。

 英治は部屋の机に向かい合い、リンが遺してくれた指示書に記されたとおりの宿題に取りかかって。

 それも終わらせた、昼過ぎに。

(このままだと、世界が滅茶苦茶になっちゃうな)

 英治はココロに電話した。


『どうした? 私はこれから寝るところだったんだが』

 気だるそうだが、しかしそのくせ五秒と経たずにココロは電話に出てくれた。

「すみません。コード:0の場所、特定できますか?」

『仮想生命体の根源を絶つつもりか……君もどうやら、世界の転覆を深刻に感じているようだな』

「それもありますけど。僕を好きでいてくれた子が言ってくれた言葉だけは、護らなきゃなって思ってるんです」

『ほう。しかしいまその子と電話をせず、あろうことかこのあたしと繋いでいるということは……それはまた、辛い目にあったんだな。その運命に、少しはお役に立ちたいところだが。すまん、コード:0については私でも特定できないんだ。ジャミングを用いているのかどうかはわからないが、あらゆる仮想生命体の位置をモニターできる私のコンピューターでもコード:0の現在位置だけは何故か計測できない』

「そう、なんですね」

 英治はコウのことを思い浮かべる。

 彼女の電話番号も自宅の場所もわからない。ココロを通じてモニターできないともなれば、所在不明だ。

 ここに来て手詰まり……だが、英治に心当たりがないわけでもなかった。

(まだ、一時か)

 心当たりのある場所と時間。それまでにはまだ数時間ある。

 英治がそれまでどう過ごそうかと思っていると、電話の向こうからココロが思いも寄らぬ誘いをもちかけてくる。

『まあ電話で長話するのもなんだ。この前行ったファミレスでまた、おしゃべりしないか。情報交換をしよう。集合時間はいまから三〇分後。大丈夫、キミの家の近くのバス停にあと五分以内に到着できればちょうどよくアクセスできるはずだ』

 それでは、と言い置いて無理矢理電話を切ったココロ。

 ため息をつく間もなく、英治は服を着替えて急いで玄関から飛び出した。


 ココロがこうして呼び出すということは、何かしら大きな情報があるのかも知れない。

 英治は天空を列を成して飛行するペンギンたちを見上げながら、バス停へとダッシュする。

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