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12-6 愛の賛歌~乙女の悲願~

[脳接続 深化展開]


 鬼切を思い切り振り下ろしながら俺は、同時にリンに手を伸ばしていた。

 意識を失って目をつむっている彼女の愛らしい頬に触れたい気持ちを抑えて、力を失ってだらんと垂れ下がっているその手を掴もうとした。

 敵はそれを許さない。


「いまのあなたに、この子を渡すわけにはいかないわ!」

 

 泡の鎖が俺を遮るように現れる。

 鬼切で鎖を切断するが、その間にもすでに距離をとられていた。

 間合いから逃れた人魚はリンを抱きかかえながらも鎖を放出、俺を狙撃することを忘れない。

 牽制に次ぐ牽制。鎖の連射を前にして、俺は前に進みきれない!


「あなたは本当にこの子を愛しているの? そう言い切れるの? 答えなさい!」

「それは!」


 俺は一瞬だけ言葉に窮した。

 答えは決まっている――そんなこと、わからない。ただ俺は愛したい。可愛らしくて、そして俺を愛してくれる彼女を、俺は愛せるようになりたい。いま愛しているかどうかなんて、まだわからない。

 でもそれは、本人の前で打ち明けられることじゃない。打ち明けてしまえば、深く傷つけることになるだろうから。


「答えにくいんでしょう。そうでしょうね、だからこの子は苦しんだ。あなたがどっちつかずで、この子をちゃんと抱きしめないから。この子はちゃんと、あなたに想いを伝えたのに……あなたはちゃんと、この子にお返事したの? してないでしょう!」

 

 ウェヌスの言葉が俺の心に突き刺さる。

 俺は叫び返すことくらいしかできない。無様だ。


「お前には、関係ないことだろうが!」

「私はこの子の願いに呼ばれた! だから私には責任があるの。この子の願いを叶えてあげたいの、私は!」

 

 ウェヌスの鎖と、俺の光刃がふたたび空中で衝突する。

 鎖は消滅し、俺の刃は空を切る。

 埒があかない……だから俺は、世界を渡った。

 

 異次元移動。


 世界から俺自身を消し去って、再び舞い戻る。ムラマサ・アーマーを装着した時にのみ発動できる“ムラマサ・プログラム”において最上位に位置づけられた機能だ。

 文字通り一瞬でウェヌスの背後に回った俺は、鬼切を容赦なく振り下ろす。

 これで終わりだ!

「……ごめんなさいね、リンちゃん」

 ウェヌスは敗北を悟ったのか、リンを強く抱きしめながらそんな言葉を遺した。


 だが俺は、ウェヌスを切り裂くことができなかった。


「やめて、英治くん!」

 

 リンが意識を取り戻し、見開いた瞳で訴えてくる。

 ウェヌスの肩越しに目と目を合わせた俺たちは、視線を交わし合った。


「ウェヌス……あなたも、もういいの」

 リンは瞳を潤ませていたが、同時に決然とした輝きを帯びさせてもいた。必死に勇気を振り絞って戦場の空気に耐えて、そうして彼女は言い放つ。


「私の願いは、愛されることじゃない。ただ彼を“愛したい”の。英治くんがたとえ私に想いを伝えてくれなくてもいい。英治くんに好きって言われたいわけでもない。ウェヌス、私の願いはそんなものじゃないの!」

「リンちゃん、あなた……!」

 そうしてリンは、人魚の胸に両手を当てると、次には思い切り突き飛ばした。

 勢いよく押し出した作用と反作用で、人魚から離れたリンの体が宙を舞う。


「なっ!」

 向こう見ずな女だ。

 俺は振り下ろそうとしていた鬼切を捨て、迷うことなく高度を落した。

「リン!」

 風の吹きすさぶ爆音を耳にしながら、空気抵抗をかき分けるようにして下降し、ひたすらリンの肢体に両手を伸ばした。

 重力に囚われて地に落ちていくリンを、俺が掴んで抱き寄せる。


[脳接続 深化解除:通常継続]

 

 鎧を着たまま恋人を抱くなんて野暮な真似はしない。

 俺はムラマサ・アーマーとの接続を解除。全身を覆っていた灰色の鎧は瞬時に青白い輝きとなって霧散し、俺は俺のままリンを抱きしめる。

 スカイダイビングなんてとてもじゃないが言えない。二人揃って地面に真っ逆さまの危機的状況だが、しかしムラマサ・アーマーの残滓である重力制御リングだけは残っていた。

 後光のように俺の背中に浮かんでいた金色の円環は抱き合う俺たちを輪の中に入れ、地に落ちる速度を減殺してくれる。

 ゆったりと地に落ちながら、俺たちは互いに唇を重ね合った。


「リン! 俺は、お前を愛し」

「大丈夫だよ、英治くん」

 俺は想いを伝えようとしたのに、リンは人差し指を俺の唇に当てて口を塞いだ。めっ、のポーズだ。

「英治くん、夏休みがはじまって五日間……私の願いに付き合ってくれてありがとう」

「リン……?」

 いったい、彼女は何を言おうとしているのだろう。

 俺は嫌な予感がしてその言葉を遮ろうとした。しかし見つめたリンの瞳を見て、もう彼女が本気なんだとわかって。

 俺は喉から言葉を絞り出すタイミングを読むことができなかった。

 最後まで言わせてはいけない。そうとわかって、彼女の本気の言葉を遮ることも、俺にはできなかった。

 俺は彼女を愛したい。そうであるならば、彼女の言葉を受け止めなければならない。それが彼女の本気を乗せた声であるのなら尚更だ。


 リンは涙を流しながらも、しっかりと俺に伝えてくれた。

 彼女の本当の願いを。


「最後にひとつ、私のわがままをきいて欲しいの。英治くん……あなたの力で、私の願いを消し去って」

「どうして」

「私はもう充分、あなたを愛したと思う。いままで、ペットのように扱ってごめんね。私はあなたのことなんて考えずに、ただ私が思うままに愛してきた。そうすることが私の願いだったの。でも、一生つづけてしまえばそれは、あなたを縛る鎖になってしまうわ」

「そんなことはない!」

 俺は思い浮かべる。

 デート二日目、一緒に勉強した時。リンから手渡された一枚のルーズリーフ――だらしない俺のために、夏休みの宿題を効率よく進められる手順を書き記してくれた、夏休み応援プランの指示書。

 表はお手製カレンダーになっているそれは、裏面は空白になっている。ただ一文、“英治くんが夏休みで好きになったものリスト”とだけ題された、記入式の表になっていたのだ。


 あの日、リンは俺に言ってくれた。

『生きることすべてを楽しんでほしいなんて、まだ言えないけど』


『今日で、せめて勉強だけは楽しいものなんだって、知って欲しいの』


『それでね、勉強だけじゃない、この夏休みで英治くんが楽しいって思えるもの、できるだけたくさん見つけて欲しいの』


『私がいくらでもお手伝いするから、私にできることなら』


 そんな言葉が、単なる自己満足から発せられるものか。


「リン! 俺は、お前の言葉が嬉しかった。本当に、俺のことを思ってくれていたんだって、信じられた。誰かを信じるなんてこと、知らなかったのに。俺はお前のおかげで、初めて他人を信じられたと思う!」

 俺はぎゅっとリンを抱きしめる。伝えたい想いが奔流となって俺の脳髄を駆け巡り、言語化することもできなくなる。それでも相手に伝えようとして、俺は抱きしめたつもりだった。

 

 なのに。

 リンは俺の胸板に両手を差しはさむと、思い切り地に叩きつけるように俺を突き飛ばした。

「リン!」

「私はあなたを縛る鎖になるつもりはない。あなたを独り立ちできない、乳臭いままの男にするつもりもない。お互いの道を歩きましょう、英治くん……いや、九籠くん」

「どうして!」

「教室の中心にいる私と、いつも目立たないあなたとは釣り合わないって……そう言ってるの!」


 リンは俺を地に落すと同時に、天を見上げる。彼女の視線の先には、彼女の願いに呼ばれて出てきた人魚が一体。

「リンちゃん。もう一度だけ、聞かせてちょうだい。あなたの、本当の願いを」

 俺から離れてひとりで空を舞うリンは、一瞬だけ上昇した。正確には俺の高度を落したことで相対的にそう見えただけなのだが、そうしてリンは人魚が差し出す手を掴むことができた。

 

 俺はそれを、見ていることしかできなかった。

 重力制御リングを浮かべることはできても、ムラマサ・アーマーを捨ててしまった以上、リングを操作することはできない。失態と言えたが、しかし俺は落胆なんてしない。

 リンの一切の迷いのない動きを見て、俺は悟った。いや、こう解釈することにした。

 彼女がさっき俺に託していった願いは、彼女の真なる願いなんだって。


「私は、彼を……」

「“愛したい”?」

「ええ。そうよ! 愛されなくていい。私はただ、愛したい」


 嘘だ。

 俺は確信した。リンは仮想生命体に本心を伝えてはいない。

 ただ俺と決別するために、方便を奉っているだけだ。

(わかったよ、リン……いや、大和さん)

 俺は心の底から理解する。彼女は本当の本当に、俺を愛してくれていた。

 だから彼女は、俺と別れることにしたんだ。

 俺だけじゃなかったんだ、俺と彼女が絶対に釣り合わないと思っていたのは。

 

 俺と彼女は、だからまったく同じ想いを抱いていた。

 互いに埋められない溝があることを知っていた。スクールカーストでの立場がまったく異なることから、生き方そのものが違うことを知っていた。

 それでも埋め合わせられるかも知れないと万に一つの願いを込めて、俺たちは思い合っていた。それでも相手を愛したい、と。

 俺たちは完璧な相思相愛だった。

 だが、同じ一つの根を持ちながらも二枚の葉に分岐する若葉のように、俺たちの思いは分かたれてしまったんだろう。

 

 俺は、俺を愛してくれる彼女を愛せるような男になりたいと、心の底から思っていた。

 でも彼女はそうは考えなかった。俺が彼女を愛したいと思い始めた時にはすでに、彼女は俺を愛するということをすでに味わい尽くしていた。

 愛したい……その目的が達せられた以上、俺はもう用済みということなのだろう。

 だが彼女は本当に俺を愛していた。だからこそ俺を縛り付けたまま利用しつづけることを良しとしなかった。潔く俺を捨て、そうして俺に自らの人生を歩むように指示してきた。

 あのルーズリーフの裏面の、好きになったことを書き込む空白のリストを俺ひとりで埋めていって欲しい――つまりは、そういうことか。


 

 俺はリンから突き飛ばされて、空をくだりながら見た。

 リンとコード:ウェヌスが右手と右手を合わせ、俯きながらも願いを口裏合わせていく、その完全融合に至るまでの茶番を。


 リンの肉体が青白い輝きの粒子に分解され、残らずコード:ウェヌスに吸い取られていく。

 一度はコード:ウェヌスの願いを否定したくせに、それでもなお、また戻っていった。

 それは俺が仮想生命体と融合した時と同じメカニズムで。

 完全融合態を超える、覚醒態の誕生を意味する。

 人の願いを仮想生命体が現実に転写し、転写された願いをさらに人が昇華させ。昇華した願いを、再び仮想生命体に捧げる――人の血潮が願いを洗い、洗練された願いをこの世界に放出する。

 大和リン――コード:ウェヌス覚醒態――コード:願いの乙女(ヴァルキュリア)が顕現する。


 覚醒態を相手にする以上、俺も同等の存在になる必要がある。

 だから俺は、接続する。心の奥底にしまい込んで、しかし俺の行為のすべてを統制し規定する俺自身の真なる願いに、いま俺の意志を接続する。


「大和さん。君がそう望むのなら、俺は打ち砕くよ。君のその、偽りの願いを」


[脳接続 侵食を検知]

[脳接続 継続]



 僕はいまコード:ドラグーンとなって、全身全霊で大和さんの本気を受け止めることにする。

 たとえその結末が、彼女の存在をこの世界から削除することになるのだとしても。

 それがあの完璧なクラスの委員長に対して僕がしてあげられる、ただひとつの行為だというのなら。

 僕がそれをやらないで、誰がする。

 彼女からしてもらった多くのことに対して恩返しができる、いまが一生に一度の機会。

 僕はそう自分に言い聞かせて、震える両手で鬼切を握り直した。

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