12-5 愛の賛歌~苦渋の駆け引き~
英治は常々、疑問に思っていた。
クラスの中心で花を咲かせているあの可愛らしいリンが、どうしていつも自分なんかに話しかけてくるのだろう、と。
何か裏があるんじゃないか、と警戒してさえいた。
しかし夏休みに入ってから告白されて、そうしてデートを重ねていくうちに警戒心なんて必要ないんだってわかった。
(あの人は僕のことが、きっと好きなんだ。そう信じてもいいんだ)
そう思うことにした英治は、次には別の問題に直面した。
(僕は本当に、あの人のことが好きなのかな)
正直、告白に頷いたのはその場の流れでしかなかった。
ほかに恋人はいないし、リンはクラスの女子の中でも飛び抜けて可愛らしい。お付き合いするにはこの上ない相手だろう。
断る理由がないから、頷いた。
しかし、手の届かないと思っていた天上の華に憧れる気持ちと、それを好きだと想う気持ちは別なのではないか。
あちらから来てくれたその華を、はたして自分は、本当に愛しているのだろうか?
彼女には本当に申し訳ないことだけど、正直コウやココロの顔も浮かんでくる。
コウに抱きしめられた記憶や、ココロとファミレスでおしゃべりした記憶が浮かんでくる。
比較、とは言いたくない。言いたくないけど、それでも想いを天秤にかける自分自身がいるのも事実で。
はたして、ココロやコウに抱いている想いより強いものを、自分はリンに対して抱いているだろうか。
もしそう言えないのなら、いまからでも謝ってお付き合いを解消してもらうしかないだろう、とも思っていた。
だから英治は、デートを重ねて自分の気持ちを確かめようと思った。
リンと一緒に過ごして、笑って、幸せを味わって……それで自分が彼女をどう思っているのかを探ろうとした。
そして迎えた、公園でのゴミ拾いデート。
アキラのことを覚えていると、彼女はそう言った。
そして彼女は言ってくれた。この公園は綺麗だと。そしてアキラはいい人だったと。
一番共感してほしいことに、彼女は共感してくれた。
そのとき、英治は思った。
(僕の気持ちは、わからないけど。でも、僕はこの人を、愛したい。愛せるような男に、僕はなりたい)
そう、思ったのに。
目の前のリンから、仮想生命体――コード:ウェヌスが出現した。
せっかく、掴もうと思ったのに……目の前にあった、幸せを。
せっかく愛したいって思ったのに。思えばいつも傍にいてくれた、その人を。
それなのに。
[脳接続 開始]
それなのに、またお前たちか。
リンはすでに意識を失っていた。俺はそっとリンの体を横たえてやると、中空を自在に泳ぐ敵、コード:ウェヌスを見上げる。
奴の体はまだ物質化していない。白く輝く光で肉体が構成されており、ただ顔面を覆う仮面と胸を隠す肌着だけが青い金属光沢を放っている――半融合態フェイズ3か。
この状態ならまだリンと仮想生命体とは一体ではない。ここで仮想生命体だけを倒してしまえば、彼女を救うことができる。
俺に選択肢はすでにない。奴を、一刻も速く削除する!
「怖いお目々だこと。私が憎いと、そう言いたげだわ。さっきまでは可愛いお目々をしていたのにねえ」
コード:ウェヌスは仮面の下からそんな声を漏らすと、青空に円を描くように泳ぎつつ、さらに俺を挑発してきやがった。
俺は右手に握ったムラマサ・グリップを一度振って、金色に輝く刃――鬼切を噴出させる。さらにすぐさまトリガーボタンを押し、チャージ・アップを開始する。
「私はただ、この子を苦しみから救ってあげたいだけ。あなた、この子の恋人になったのでしょう? ならあなたは私に感謝すべきだわ。憎まれるいわれなんて、ないのよ」
直後、ウェヌスは尾びれを動かしてバック転をすると同時、その動きに紛れて両手を俺の方に向けてきた。そこから泡でできた鎖が二本、俺に向かって飛んでくる。
半融合態の能力、物質顕現だ。現実を改変できない代わりに、物理的に世界に干渉すべく一種類、あるいは二種類だけ任意の物質を生み出すことができる。
まったく、面倒くさい能力だ。
俺はただ半歩、後ろに下がるだけでそれを避ける。さっきまで俺がいた場所に深々と泡の鎖が突き刺さるが、そんなことはどうだっていい。
俺はチャージ・アップが完了したムラマサ・グリップのトリガーボタンを二度、素早く押した。途端に鬼切が消滅、ムラマサ・グリップがバラバラと分解され、再結合する。
光刃噴出口が上から前へと向き直り、そうして変形を完了させたグリップを構えた。
「怖い視線の次は、銃口? なんて子なんでしょう。厳しいしつけが必要みたいよ、あなたの彼氏は。ねえ、リンちゃん」
奴の減らず口を聞くこともなく、俺は銃口をコード:ウェヌスではなくリンの方へ向ける。
正確には、リンの近くで咲いているアオマキグサに、だが。
仮想生命体がいるところには必ず、アオマキグサが咲く。アオマキグサが放つ青白い靄――ラショナル・オーラに投影される幻に過ぎない奴らは、ラショナル・オーラなしではこの世界に存在できない。
俺は引き金を引いた。銃口から壮大な爆裂の渦が放出される。赤黒い血の爆光だ。
それはラショナル・オーラを消滅させる消去の弾丸。
今回は空中を自在に動く敵を狙うより、アオマキグサを狙った方が手っ取り早い。
同時、俺はさっとリンのもとに駆け寄って、その場から救い出してやる。弾丸をリンに触れさせるわけにはいかないからな。
「あらあら。私を斬るつもりもないのね。有能だけど、ちょっと度胸がない男だわ、あなた」
俺がリンの体を抱き寄せた、その瞬間だった。
ウェヌスの泡の鎖が瞬時に放出される。それはリンに巻き付いた。
次の瞬間、リンの肉体が取り上げられていく。
「何のつもりだ!」
「そんなことだからあなたは、この子を苦しめるのよ!」
ウェヌスはリンを右手で赤子を抱くように支え持ちながら、左手から泡の鎖を放出する。
俺はそれを避けたが、しかし鎖の先端がくいと避けたばかりの俺の方に向いて――。
反射的に、首をかしげるように傾けた。
直後、鎖が俺の頬をかすめた。悔しいが、何も動かなければ即死だった。
「く!」
俺の右の頬から血が噴き出るが、その痛さに呻いている場合ではなかった。
奴の鎖はまた空中で踊り、その先端が俺の方に向いてくる。
再度の突貫。鎖は今度は俺の心臓めがけてまっしぐら。
「この子の苦しみを、少しは分かち合いなさい!」
「いきなり出てきて説教たぁ、ふざけんじゃねえ!」
俺は叫んだ。そして弾丸を一発、お見舞いしてやる。
ラショナル・オーラを吹き飛ばす爆裂の弾頭が泡の鎖に衝突、そのまま消滅させてやる。
ついでに周囲に展開するオーラも飲み込んで、青白い靄がかかっていた視界は大分、クリアーになりつつある。あと一、二発ほどでアオマキグサをへし折ることができそうだ。
奴がどんなに口だけで偉そうなことを言ってきたとしても、意味はない。アオマキグサごとこの世界から消し去ってやる。
そうしてリンを救う。リンを苦しめる、あの仮想生命体の手から解き放ってやる。
俺の勝利はすでに見えている。懸案事項があるとすれば、リンの体が奴に囚われているということだ。
アオマキグサをへし折るための弾丸を撃ち放ちつつ、敵の攻撃に対処し、その上でリンの肉体を奴の手から取り上げなければならない。
それに、もうひとつ俺はやらなきゃいけないことがある。いや、正確にはただ単に俺がそうしたいというだけのことだが。
情報でしかない仮想生命体の論理を、ここで完璧に打ち砕いてやる!
「本当にお前、ふざけんじゃねえぞ……リンの願いは、リンが叶えるものだ。あいつは、それができる人間なんだ! 俺にはわかる、あいつは凄い人だ。だから、お前の助けなんて要らないんだよ!」
俺は叫ぶ。
本来、願いなんてものは誰かに叶えてもらうようなもんじゃない。自分の手で掴み取るものだ。
リンは俺とは違う種類の人間だ。想いを、思考をしっかり現実に転写するだけの能力と意志を持っている人間だ。だから、リンに仮想生命体は必要ない。
それに以前、ココロの姉ちゃんも言っていた。願いは、叶うかどうかがすべてじゃないって。その言葉に込められた力が、いまこの状況なら理解できる。
リンが何を願って仮想生命体を生み出したかはわからないが、しかし願いには叶わなくても人を確かに前に進める力がある。
叶うか、叶わないか――その中間であがいて、もがいて、がんばる。叶うかどうかという結果だけを見て、それで人生が決まるわけじゃない。
それを言うなら人生なんて生きるか死ぬか、その中間でしかない。人生のすべては中間点にある。願いだって同じ事だ。一番大切なのは、叶うかどうか、それ自体じゃない。その中間なんだ。
その一番おいしいところを誰かに奪われてたまるか。
ココロの姉ちゃんが言っていたとおりだ。仮想生命体は、人の願いを“叶うべきもの”として一元化してしまう。それは時として人を救うかも知れないが、しかし中間でもがいて、あがいているリンに対しては逆効果だ。
「リンを苦しめているのは、お前の方だ!」
俺は叫んだ。
そして、天を泳ぐ人魚を睨みすえる。
[脳接続 深化展開]……[コンバージョンを開始します――YES or NO]
[YES!]
[メッセージを受信しました]……[もう戻れなくなるかも知れない。それでも、いいのか]
[メッセージの破棄を確認]……[コンバージョンを開始します]
俺の全身を青白い輝きが覆い尽くす。それは繭のように、俺を更なる高みに導いてくれる。
[コンバージョン完了]……[ムラマサ 疑似顕現開始]
俺は右手を振って、繭を取り払った。
ムラマサ・アーマー、顕現完了。いま、俺の全身は灰色の鎧に覆われているはずだ。
そして、跳躍。
瞬間、俺の背後に浮かぶ金色の輪っかが光度を増し、重力制御を開始。俺の体を俺の意のままに上昇させてくれる。
ムラマサ・グリップを再び変形させて赤色の光刃を引きのばし。
俺はいま一度、大空を泳ぐ人魚に挑む。
いまから敵を打ち砕く。
リンを願いの苦しみから、解き放つために。
「私がリンちゃんを苦しめている、ですって? この子が苦しむ前に、あなたがこの子をすぐにでも抱きしめて上げれば、それで良かったのに……それだけで、この子は苦しまずに済んだのに。恥を知りなさい!」
コード:ウェヌスはしかし、断じて退く気がない。
泡の鎖を放出し、俺に立ち向かってくる。
なら望み通りにしてやるよ……俺は、泡の鎖を簡単に避けてやるとさらに上昇。一気に人魚に詰め寄った。
「斬ってやる!」
俺はリンに手を伸ばして、そうして鬼切を振り下ろした。




