12-2 愛の賛歌~分かれ道の告白~
捨てられた子犬のような、可愛らしくもかわいそうなあの男の子を導いてあげたい。
私の手でその汚れを払って、どんな男よりも上等な男に仕上げてみたい。
そんなリンの思いは、いつしかただ、彼を“愛したい”という想いに変わっていた。
いつからそうなっていたのかはもう思い出せない。
ただ覚えているのは、彼をそれまで良いように殴っていた不良たちが青い鎧の怪人に殺された日に、彼がはじめて見せた男の顔。
青い鎧の怪人を何故か撃退し、不良のひとりである縁田武人を護った時。彼は笑っていた。授業中はもちろん、休み時間でも教室では滅多に笑わない彼が幸せそうに笑っていた。笑いながら、彼は怪人と戦っていた。
それを見ていたら、足下に青白く輝く一輪の花が見えて。
花から放たれる鱗粉のような青白い輝きに包まれてからというもの、彼を“愛したい”という想いが止まらなくなった。
※
リンは夕日の輝きの影に埋もれた英治の顔をみて、ずん、と心の奥が疼いた。
さっきまでは自分の顔を見ていたはずの彼の瞳が、夕日に向いてしまったのだ。
確かに夕日が綺麗だから見て欲しいといったのは自分だった。けれど、いつも彼のことを見つめているからよくわかる。彼は夕日を見たのではない。夕日に向かってその視線をそらしたのだ。
(また何か、考えてる……)
彼の泣きそうな横顔をみてそう判断したリンは、しかし彼女自身もまた今日のデートで痛感してしまってもいた。
自分と彼はやっぱり、人間として違いすぎる。
はじめからわかってはいた。教室の隅で他人と交わることを避けて過ごしている彼と、クラスの中心にいて羨望の眼差しを浴びたいと思っている自分。どちらが上、という話ではないが、生き方が違えば考え方も理想も違っていくのが人間だ。
だからきっと、彼の考える幸せと自分の考える幸せが異なるものになるだろう。
愛情というのは、異なる理想を抱く者との間に広がる溝さえ埋め合わせることも可能にするのだろうけど、はたして彼は私を愛しているのだろうか――夕日の影に入った彼の横顔は、哀しそうだ。
きっといまの私も同じような顔をしているに違いない。
リンは顔をうつむけた。そして、あの女――大湖コウの顔を思い浮かべてみる。
いつも教室の隅で本を読んでいて、他人と交わろうとしないあの女。前からずっと気にくわないと思っていた。何故かといえば、彼女は本を読むふりをして彼をずっと見つめている時があるからだ。
いや、正しくは本を読んでいたはずなのにいつの間にか彼を見てしまっていて、それに気がついてまた視線を本に戻す、ということなのだが、どっちにしても同じことだ。
コウの視線に気づいているのはクラスの中ではリンだけだ。そしてその事実はコウも把握している。リンが彼を見ているコウの視線に気づいて睨んでやった時、コウは不意にこちらの視線に気づいて……最初は気まずそうに目を伏せたものだったが、何度か繰り返しているうちに、あの女は笑顔を差し向けるようになった。
自分の敵意の瞳とあの女の自然な微笑とが、いったい何度交錯したのだろう。リンはもう数えることを放棄している。
ただ、リンには決して放棄できない直感があった。
(やっぱり、九籠くんにはあの女の方が、いいのかも知れない)
破り捨てたいような直感だが、それはほぼ確信に変わりつつあって。今日デートしてみてそれを変えたかったけれど、しかし変えるどころか確信を深めただけだ。
彼とあの女であれば、生き方が同じだ。生き方が同じということは、目指す理想の未来も重なるのではないか。そうであれば、共に理想の道を目指して支え合って生きる、という最高の幸せを彼にもたらすことができる。
(でも、私は……)
あの女のことを考えるたび、胸が疼く。
輝く夕日に照らされてうつむくリンと、夕日の影に入った英治はしばらく押し黙った。
静寂は、しかし唐突に破られる。
「きゃあああ!」
突然、街中に響き渡る悲鳴。
メインストリートが騒然として、人通りの波は停止した。
「なに?」
「?」
リンと英治は互いに見合わせるなか、突然に英治のスマホが振動する。
英治はさっとリンの顔色をうかがってから電話に出た。
ココロからだ。
『あたしからの電話ということで、察するものはあるだろうが……仮想生命体の出現反応が、キミの近くで検出されている。対処するか、何もしないかはキミに任せるが、一応知らせておいたよ。以上だ、楽しい夏休みを過ごしてくれ』
一方的に電話は切られる。
「いったい、何が起こってるの?」
「仮想生命体が近くで出現したんだって。たぶん、さっきの悲鳴はそれだと思う」
「そうなんだね……九籠くんは、どうするの?」
「え?」
問われて英治は、言葉に窮する。
仮想生命体が出現したからといって、別にどうということはない。無視してもいいだろう。なにせ自分とは無関係なのだから。
せっかくリンと一緒に街を歩いているのに、それを中断してまで戦いに行く必要性もない。
でも。
「きゃあああ!」
悲鳴は、止まなかった。
リンは迷っている英治の手を掴む。そして、悲鳴のする方へと連れて行こうとする。
「待って!」
英治は戸惑うが、リンの力は存外に強い。無理矢理一歩を踏み出させられた英治は、夕日の影から黄昏の輝きのなかに連れ出される。
彼を黄金の光の道に連れて行くリンは、ただ思う。
(私が、導いてあげなくちゃ)
そうしてリンは、言った。
「私は英治くんに戦って欲しくないけど……私に気をつかって苦しむ誰かを放り捨てるような人には、なって欲しくないよ」
「でも僕は楽しかったよ、今日。それを、戦いで終わりにしたくなんか」
「!」
リンは思わず立ち止まってしまった。そのまま英治を抱きしめたくなったが、踏みとどまって告げる。
「なら、終わったらまた話そ。それで、明日も。明日も遊んで。それなら、いいでしょ?」
光のなかで見つめ合う二人は、互いにうなずき合った。
「すぐ、終わらせてくるよ」
英治は一言もらすと、瞬時にメインストリートを疾走していった。
さっきまでとは体の動きがまったく違う。仮想生命体を刈り取る時の状態に移行したのだろう。
英治はリンを置いて、はるか向こう……無関係の誰かが叫ぶ悲鳴の根源へと駆けていく。
リンが追いついたとき、英治は血のように赤い剣で仮想生命体を切り裂いていた。
青白い輝きで形作られた三つ首の番犬、ケルベロスの姿をしたその個体はまだ半融合態フェイズ2といったところか。
完全融合態のコード:インフィニティさえ打ち破った彼にとっては、すでに敵とさえ見なされないレベルの相手だろう。
すぐに終わらせるという彼の言葉には嘘偽りはなく、赤黒い光の剣で両断されたコード:ケルベロスは瞬時に霧散して消滅。その傍らにいた女性は意識を失って倒れている。
悲鳴はおさまって、事態は収束している。
リンは英治の顔を見て、絶句した。
笑っていたのだ、彼は。血で汚れたような色をした剣を握りながら、人の願いに応えて出てきた仮想生命体を打ち砕いて。ただ楽しそうに笑っていた。
自分とは関係がないからこそ、か。相手の願いもわからずに戦ったからこそ、いっそ何も考えず相手を消去することに集中できたのだろう。
(私もいつか……あなたが消すの?)
英治は戦士ではない。戦うことが好きというわけではないのだろうが、それでもリンは思ってしまう。
笑って剣を振るって、敵を消滅させるとより一層笑みを深くする英治の姿に、同じ仮想生命体を宿すリンもまた、身を震わせてしまう。
リンはしばらく声をかけられなかったが、しかし英治はリンに気がついたようだ。
彼は右手に握っていた剣の柄を消失させると、ふっと笑みを消して。そればかりか目を伏せながら歩いてきて。
「終わったよ」
けして目を合わせようとせず、それでも彼は声をかけてきてくれた。
いったい彼が何を考えているのか、完璧に把握することはできないけれど、その表情から想像はついた。何も考えずに敵を切り裂いてしまった己に対する自己嫌悪、といったところか。
「お疲れさま。かっこよかったよ、九籠くん」
リンは嘘偽りない感想を伝えると、しかし男の顔から普段の子犬の顔に戻ってしまった英治の両手をぐっと握った。
そして告げる。
「好き。九籠くん、私、あなたが好き」
手綱を握るように、リンは強く英治の手を握った。
「え?」
英治は戸惑うが、しかしリンは言葉を重ねる。
「好きな人がいないんなら、私と付き合って欲しい、です。どうですか、九籠くん」
「どうして、僕に? 僕なんか、大和さんとは絶対」
「あなたしか、いないから」
英治の言葉を遮って、リンは強く言葉を継ぐ。
そうしなければ、英治がどこかに行ってしまいそうで怖かったから。
ここで告白しなければ、永久に溝が埋まらないと思ったから。
胸に疼く、“愛したい”という想いが止まらない。
リンは、「お願い」とだけ重ねると、次には英治の体をぎゅっと抱きしめていた。
一方、英治は衝撃と嬉しさとに震える瞳を伏せると、リンの背中に手を回していた。
「本当に僕で、よければ」
「あなたしかいないの」
リンは泣いていた。むなしさと、愛しさとの狭間に揺れる感情が制御できなくて、理由もわからずに泣いていた。
ただ彼の体があたたかい。抱きしめ返してくれる彼の優しさが、そのまま体からしみ出ているかのように思える。
「ありがとう、九籠くん」
太陽は沈み、頭上の夜空は曇天に覆い尽くされている。星なんて何のひとつも見えなくて、月の光さえ隠れてしまった。およそ光明など何ひとつ残されていない、雨を予兆するだけの空こそが、二人の頭上に浮かぶ空模様。
それでも構わない。
リンはそっと英治の胸から顔を離すと、愛しい彼の唇をそっと塞いだ。
胸のうずきはやっとおさまって、しかし息を継いでからもう一度、唇を重ねる。
互いにやわらかさを感じ合って、二人は次には見つめ合った。
嬉しさと戸惑いに溢れた視線を交わしあった二人は、次にはまた唇を重ね合う。
それでどこまで、異なる生き方を埋め合わせられるのかはわからない。どこまで行為を重ね合ったら、目指す理想の違いを塗り固められるだろう。
リンはただ、願いを込めてキスをつづけた。




