12-1 愛の賛歌~憧れのデート~
夏休み初日の朝一〇時、高校前。雲ひとつない夏の晴天の日。
私服をろくに持っていない自覚はあっても、英治はジーンズに白のシャツを合わせるシンプルなファッションを心がけて臨む。ダサくはならないように、目立たないように。
そうしてしっかり集合時間の五分前に到着したのだが。
「私の方が早かったね、九籠くん」
いったいいつから来ていたのだろう、リンはすでに校門前に立っていた。
「ごめん……」
遅刻ではないとはいえ、待たせてしまったのは何だか悪い気がする。とりあえず謝った英治だが、頭を下げることを忘れた。
妖精と見間違えるほどに可憐なリンに、思わず視線が固定されてしまう。
単なる黄色のワンピースを着ている、実にシンプルなファッション。首には星型トップのシルバーネックレスが輝き、耳には黄色のイヤリング。足下も黄色のヒールで飾っている。
肌はいつもより白い気がする……自然な薄化粧か。
実はカラーコンタクトもしていたのだが、英治は気づかなかった。
とはいえ、制服のときとはうって変わった大人の色香を漂わせているリンを見て、いつも話している同学年の女子とも思えず、つい英治は絶句する。
「どうしたの、九籠くん。口あけたままにして」
リンは「フフフ」と悪戯っぽく微笑むと、
「いこっ」
と、先を歩いてしまう。
「あ、うん」
絶句したまま何とか返事を絞り出したが、つい声がかすれた。
バスに乗って、中央市街へ。
平日だが相も変わらず人通りは多い。それだけカップルも多いのだが、リンの美しさはその中でも際立っているように英治には見えた。
実際、リンはクラスのなかでも可愛らしい方で、故にクラス最大の女子グループに入っても余裕でマウントがとれるレベルだ。
可愛らしい私服で着飾った彼女は、通り過ぎる男はもちろん、何故か女性たちからも少なからず注目された。
だからこそ英治は何だか申し訳ない気分になってくる。
(いや絶対、僕じゃ釣り合わないでしょ……)
できるだけ周囲の人にカップルと間違われないように、けして隣を歩かず常に後につくようにした。
それなのに。
「どうしたの、九籠くん? 背中にくっついて、子どもみたい」
弾ける笑顔でそう言われて、
「何なら手、つないでみる?」
右手を差し出される。英治がその手を握るかどうか迷っていると、
「冗談だよ、冗談」
とまた悪戯っぽい笑みで切り上げられる。
そんな風に街のなかで盛大にいじられながら進む英治は終始顔を赤くせずにはいられなかったが、リンは周囲の視線などどこ吹く風で、むしろ視線の波のなかを優雅に泳いでいるかのように堂々と笑顔を振りまきながらメインストリートを行進していく。
リンにリードされるがまま、英治は入ったこともない女子の世界に足を踏み入れた。
雑貨屋さんに始まり、アクセサリーショップ、ブランドショップ、プチプライスなセレクトショップと、いずれも男子禁制の領域に連行されていく。
二時間ほどの別世界案内の後、
「そろっとお昼食べよっか。私が連れ回しちゃったから、お昼の場所は九籠くんが決める?」
目をぱちぱちさせて、そうして英治の言葉を待つリン。
一方、英治は別に食べ物屋に詳しいわけではなかったのだが……唯一知っているファミリーレストランにリンをエスコートしてみる。
その時だけは英治が前を歩いて、リンが後ろについていく形で。
「ファミレスね、私は別にOKだと思う。九籠くんが行きたいとこなら、全然いいよ」
入店して席に座りなり、リンはそう言ってくれた。
「なら、よかったです」
英治は心底、安心する。“初デートにファミレスなんてありえない”というフレーズは、希にテレビやネットでも聞くからだ。もっともこれはデートではないと英治は考えているのだが。
ココロと一緒に来たことを思い出しつつ、しかし英治は目の前にちょこんと座っているリンを見てドキリとする。
リンは化粧で大人びた雰囲気を演出しつつも、「はあっ、歩き疲れたよー」と思い切りのびをするときはいつもの子どもらしい顔に戻る。
大人っぽいのか子どもっぽいのか、いまいちわからない。
(女の子って、わかんないなあ)
薄化粧の美肌に仄かな色香を漂わせるリンを見て、英治はどこか恐ろしいと感じてしまう。
学校で出会う等身大のリンと、いまの少し背伸びしつつもはるかに自由に輝いているリンと、いったいどちらが本当の彼女なのだろう?
首をかしげて彼女を見つめていると、目があった。
「ん? どうしたの、九籠くん」
にこっと笑ってくれるリンから慌てて目を逸らした英治は、
「べ、別に」
とだけ返すので精一杯だった。
「へえー」
リンはそんな英治の様子を前にして、満足げに吐息をもらした。
「九籠くんってさ、好きなものって何?」
「ええと……草むしり、です」
「へえ! そんなことしてるんだね。でも九籠くんっぽいかも。想像できる!」
「僕っぽいって、どういうことなんですか」
「学校でも人とあまり話したりしていないでしょ。スポーツとかもしてなさそうだからさ、草むしりが好きって言われて……少しびっくりだけど、納得もできるかなって」
「そう見えてるんですね」
「うん! でもその通りでしょ?」
「はい、図星です」
「素直でよろしい!」
英治は緊張しながら。リンは絶えず笑顔で。
二人は言葉を交わしながら食事をして、互いに笑顔を交換していく。
学校では話さない趣味のこと、お互いの家族のこと、休日の過ごし方。少しずつ、心のドアを開いて互いを招き入れていく。
話しながら英治は自然、笑顔になっていく。
(た、楽しい……)
リンは休みのとき、ピアノを習っているという。くわえて毎日勉強を欠かさず、両親も優しくしてくれるという。ただ、料理の修業をするときだけは厳しくて、そこだけが悩みなのだとか。
いままで知らなかった彼女のことを教えてもらって、その上で自分のことを打ち明けてみる。リンはちゃんとそれを聞いてくれる。目と目を合わせて、相づちを打ってくれる。それだけじゃなくて、掘り下げるような質問をしてくれるのだ。
「へえ、お風呂掃除も好きなんだ! 家庭的だね……お母さんから褒められたりしない?」
「うん。正直それが、ちょっと嬉しくて」
「ふう。まだまだお子様なとこもあるんだね」
「なっ!」
「ごめん、冗談!」
本音を徐々に見せていく。
相手もそれに応えてくれる。
一言一言が、心を開く鍵になる。
話すことがこんなに楽しいことだなんて。自分のことを理解してもらうことが、こんなにも満ち足りることだなんて。
英治はただただ、話すことが楽しく思えて仕方がなかった。
「大和さんは、でも色々お手伝いとかしてそうです」
「ズバリ! けっこうダメだしもされるけどね。私って面倒くさがりだからさ、お母さんからよく言われるんだ。この前だってね、お塩とお砂糖間違えそうになっちゃって。お母さんに叱られたり笑われたりで」
「大和さんでもそんなこと、あるんですね」
「そうなんだよー。クラスの委員長やってるけど、ホントは杜撰な女の子なんです。どう、意外? 幻滅したでしょ」
「いや、ちょっと嬉しいかも知れないです」
「何それ! 意味わかんないって、九籠くん」
ファミレスから出れば、一緒に公園に行って散策。街路樹を見上げたり、植えられている草花を眺めてその説明書きのプレートを一緒に読んでみたり。はたまた、突然のクモに遭遇して涙目になっている彼女を、その時だけは男らしく護ろうとして前進したところ、進みすぎてクモが頭に当たって笑われたり。
太陽の動きを確かめる間もなく時間は過ぎて、黄昏時になってもまだ気づかないほどで。
公園を抜けて、メインストリートに戻ってウィンドウショッピングに精を出すリンを後ろから眺めながら、英治はふと思う。
(僕はいったい、何をやってるんだろう?)
気持ちは幸せでいっぱいだった。
リンとの距離が縮まったように思えて、前を行く彼女の手が自然、目に入る。ともすればその手を握りたくなって、彼女の細い肩を抱きしめたいとも思ってしまう。
幸せな気持ちでいっぱいで、でもそれがあまりに薄っぺらくも感じてしまう。
(こんなに僕は、幸せになっていいのかな)
別に、何か努力をしたわけではない。
たとえば、世の中の男子は思いきって意中の女子に声をかけるとき、勇気を振り絞るという。幸せを手にするために、覚悟をもって一歩を踏み出すという。
自分はどうだろう? 今日、彼女と一緒に街を歩いているのは何故か。別に勇気を振り絞って彼女を誘ったわけではないのだ。むしろ彼女から声をかけてもらった。自分は勇気を出すどころか、何の覚悟もしていないし、明らかに一歩を踏み出してもいない。
それなのに、目の前にはリンがいて。彼女はこの上なく可愛らしくて、話しているだけで楽しくて。
(やっぱり僕は、釣り合わないよ)
改めて英治はそう思う。思わずにはいられない。
委員長として、女子の派閥のなかでもマウントをとって。勉強もさることながら、今日で料理もがんばっていることがわかった。
そんな輝くような彼女と、何の努力もせずに毎日をやり過ごしている自分とが、はたして並んで歩いていいのだろうか。
首をかしげるまでもなかった。
「九籠くん、見て見て! とっても綺麗な夕日だよ!」
子どもっぽく太陽を指さして笑う彼女の眩しい笑顔をみながら、英治は曖昧に笑顔を返した。
(こんな風に幸せになって……いいはずが、ない)
自分の手で掴み取っていない幸せを、得て良いのだろうか。それで喜んで良いのだろうか。
英治は彼女の顔を見ることができなくなって、そっと視線を夕日に逃がした。




