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11-2 世界に抗う者たち・赤色を造りし者

「ココロは元気にしてるか。ムラマサと絡んでるってことは、あいつとも絡んでるんだろ?」


 意識を取り戻した瞬間、その男のひげ面が見えた。

 おぼろげな靄がかかった視界は、朦朧とした意識によるものだ……英治がそう自覚した直後に、ひげ面の親父は英治の肩を掴むと前後にぐんぐん揺らしてくる。


(交番前にいたはずなのに、ここは……どこ?)


 気がつけば狭い室内のなか。

 床には埃がたまっており、壁も日焼けして黄ばんでいる。かといってゴミや汚れは何ひとつない。きれいに手入れされているというより、ただ誰も使っていないだけという寂れた部屋で見知らぬ男と二人きり。

 はっきり言って、恐怖感しかない。


「おいおい、頭揺らされてんのに無抵抗か? なあ、男かよ。確かに無理矢理連れてきたことは謝るが、立ち上がって拳を構えるなり何なり、もっと大きくリアクションとってもいいんじゃねえの」

 男の顔は覚えている。交番前の電信柱の影で見かけて、即座に手刀をお見舞いしてきた人だ。

 テロリストか、某国の工作員か。

 そんなニュースでしか聞かない単語が何度も頭を通り過ぎるなか、しかし実際に目の前にしている笑顔を見ると、違和感も覚える。

 テロリストにしては、相手にはまったく緊張感がなかった。


「あの……どなた、ですか。それにココロさんって」

 だから英治は口を開くことができた。男がひげ面をぐにゃりと曲げて浮かべる笑顔に吸い込まれていくように。


「ああ、そういえば自己紹介もしないままチョップかましちまったな! いやな、事情があってそうするかなかったんだ、すまん!」

 男は椅子に座ったまま深々と腰を曲げて頭を下げる。

 正直質問に答えて欲しかったが、しかし全力で頭をさげるばかりか勢いあまって前傾姿勢になっている様をみて、英治はそこで目の前の男のすべてを見たような気がした。

 いっこうに頭を上げようとしない男の頭に、英治はため息を吐き出しながらも声をかけみる。

「僕も、黙って尾行してましたから……そこは言いっこなし、ですね。あなたは、あの女の人の関係者、なんですよね。たぶん」

「まあそういうことだ。ところで台京透博士のことは知ってるか」

「ええ、まあ」

 不意に、コード:0・クリサリス――機械人形と化してしまった彼のことを思い出したが、英治はそこまでは言わないことにする。悪い人ではなさそうだが、それでも見ず知らずの人間に漏らして良いこととも思えない。

「彼の四人の助手のひとり、生田元次(いくた げんじ)。それがこの俺だ」

「そう、なんですか」

 相づちをうちつつ、しかし英治は首をかしげてしまう。目の前の男の頭から足先までをみても、とても研究者とは思えなかったからだ。

 頭頂部は禿げかかっているが、あえてショートカットにキメているから潔く、中年なのにいっそ爽やかですらある。肌は色黒、口周りを厚く覆うひげ面も相まって研究者と言うよりは海の男といった印象が強い。体躯は太く、かといって余分に腹が出てるわけでもない。屈強な筋肉で骨身を形作る巨漢だ。

 それが白衣を着るなど、冗談はブ厚いひげ面だけにしてほしいものだ。

「まあ、研究つっても実験体といった方が正しかったけどな。実際、俺は論文をひとつも書いたことねえし!」

「え?」

「やっぱりな、って顔してんなお前。素直なのか? 顔にもろでるタイプなんだなお前」

 ひげ面の男――ゲンジはそうして勝手にドッと笑う。

 室内の空気が蠕動したのではないかと思えるほどの大きな笑い声に、英治は耳栓したくなったが生憎その用意はなかった。

 おかげで緊張感も警戒心も薄まって、英治はつられて笑顔になっていたのだが。


 カレンダーがないばかりか物のひとつもない殺風景な部屋で、男と男が二人きり。

 ゲンジはかまわず英治に語る。


「ココロは透の恋人で、あいつらうまく支え合っていたよ。そんで、俺はあいつの友だった。親友、って言っても良かったと、いまじゃそう思うよ」

 台京透は仮想生命体を生み出す研究をしていた。あくまで、人の人生を助ける補助AIの延長にある存在として。

 しかしその一方で、彼は仮想生命体を削除する方法についても同時並行で研究していた。青白い電子の触媒たるラショナル・オーラをかき消す“赤色(デリート・カラー)”の研究を受け持っていた助手こそ、ゲンジだった。


「あいつは夢想家でさ、仮想生命体で人を救うと、本気で志していた。だが同時に頭の切れる奴でもあってな。仮想生命体を制御する方法も考えていたようだ。他の助手は違う制御方法を研究していたらしいが、俺が指示されたのは直接削除してしまう技術を定着させることだった」

 現実世界に投影可能な情報体という特殊な構造をもつ仮想生命体は、当然、削除する場合にも特殊な手順を実行する必要がある。

 ゲンジの言うには、それはもう試し切りの連続で。削除するために生み出した無数の仮想生命体を、試作した装備で斬っていくだけの作業をやらされたという。

 研究者というより実験体だった、というゲンジの弁はそんな作業内容からきた言葉か。


「いまでこそ“赤色(デリート・カラー)”は安定して動作するようになってな、仮想生命体の構成情報を痕跡も残らず削除できるまでに至ったが、そこまで行くにはとても長い道のりがあってだな……」

 それから小一時間、ゲンジは昔話をやりだした。

 部屋には窓もなく、制服からスマホを取り出そうにもノンストップで話してくるせいで画面ロックを解除するタイミングさえ見つからなかった。

 相手が熱意をもってしゃべってくる手前、それを聞き流すというわけにもいかず。

 結局英治は時間を確認することさえできず、加えて飲まず食わずのまま、ただただ相づちを打ち続けた。

 ある種の拷問だ。本人にはそのつもりがないのだろうが。

「は、はあ」

 英治は呆れて何も言えなかった。


「そうしてまあ、赤色関係の技術が完成したとき……それぞれバラバラに研究させられてた助手が集められてな。そこで始まったのが、ムラマサ計画だったんだ。その成果であるムラマサ本体がお前に宿っていると思うと、ものすんごく感慨深いよ、ホント」

 うんうん、と腕組みして何度も頷きつつ言うゲンジは、どうやら全力でその思い出を懐かしんでいるらしい。

 もはや英治を見てすらもいないゲンジをみて、そろそろ英治も限界に達する。

 とりあえず、お腹が減った……その本能の叫びを引き受けた英治の脳が勇気をうながし、実は相手の話などまったく聞かずにただただ練りあげていた言葉を、はるかなタイムラグで言い放つ。

「帰って、良いですか」

 我ながら直接的な物言いになったな、と思ったが、そんなことも気にならないほど英治は危機に陥っていた。

 せめて水が飲みたい、その為にも早く帰りたい!

「ん? ああ、すまん」

 英治が放った言葉を耳にいれた瞬間、ゲンジもようやく我に返ったらしい。

 本題を切り出してから、彼は英治を外に出してくれた。


「我々は近々、蜂起するつもりだ。仮想生命体を根絶する戦いを仕掛ける。その時はぜひ、戦力になってはくれないか? 考えて欲しい。答えは要求しない。ただその時になってキミがどう動くのか……それを答えの代わりとしてもらって構わない。それじゃあな。拘束して悪かったよ」



 ゲンジから指示されたドアをくぐると、そこは交番の駐車場だった。

 どうやら先ほどまで交番の一角にいたらしい。

 裏口から出るように指示されたということになり、それはそれで気になるところがアル英治だったが、そんなことより水が飲みたい。

 激しく運動させられたわけではないが、やけに体が疲れていた。水分不足と緊張のせいだろう。

 斧を持っていた女性のことを探れなかったのも気がかりだが、ひとまず太陽は沈んで団地は夜に包まれ始めている。これ以上踏み込むには時間が遅い。

 なにせこれから、親が帰ってくるまでには風呂掃除がしたいから。

 電灯がそこここで灯り、白い光の円をくぐっては抜けて自宅に向かっていった。


「ん?」


 ようやく自宅に辿り着いたかと思えば、その前にひとり分の影……。

 立ち去るまで待つ、という気持ちの余裕もない英治はいっそ無視して家の中に入ってしまう強行策を選択。競歩選手並みの速度にまで到達する早歩きを開始した。

 だが。


「こんばんはっ、九籠くん!」

 聞き知った女の子の声が、影から響いた。

「大和、さん?」

 とたんに足を止めて、よくよくその影を覗いてみる。電灯の輝きも届かない闇のなかに溶けたリンの顔が、星のように輝く笑顔を浮かべていた。

 煌めく両の瞳が伏せられているのに気づいた英治は首をかしげたが、リンは少しもじもじしながらも打ち明けてくれた。

 どうして彼女がいま、ここにいるのかを。


「あのさ、九籠くん。今日の朝のこと、覚えてる? 終業式が始まるまえさ、学校の玄関先で会ったとき」

「え?」

 言われて、さっきからかしげていた首をさらにかしげた英治が記憶をたどる――コード:インフィニティとの激戦があったせいで時間感覚が麻痺している感じはあったが、しかし今朝、終業式が唐突に掲示物で予告された衝撃はかろうじて頭に残っていた。

 そのとき、リンと話したことも。

 ただ英治はリンと話したその内容についてははっきりと覚えていない。返事に窮した英治だったが、リンが言葉を継いでくれた。

「あのね、九籠くん言ってくれたよね。私はもっと、遊んで良いんだって」

「ああ、そうです、ね。そんなことも言いましたっけ」

 頬をかきつつ、助け船を出してくれたリンに英治は心中で感謝した。

 英治の感謝の眼差しと、リンの輝きを増した瞳が瞬間、闇のなかで交わった。

「それでさ。急に終業式が始まったからさ、私一週間も予定がない状態なの。だから九籠くんが言ってくれたみたいに、遊ぼうかなって思ってるんだけど……」

 リンは直後、また瞳を伏せてもじもじし始める。英治をちらちら見ながら。

 一方、英治は首をかしげるばかりで。

 リンはなぜか一瞬だけ、英治のそんな態度に頬をぷくっと膨らませたが、さらにその一瞬後には「ぷっ」と笑って、「いつも通りだね」と勝手に納得すると、英治には信じられないことを口にした。

「よかったら、明日から一週間……私と一緒に遊んでくれない? 九籠くん」

 英治は首をかしげたまま固まったが、真っ白な頭のままかろうじて返事だけはできた。

「は、はい。僕で、よかったら」

 どうして僕なんかと。

 そう思ってしまったが、瞬間的に漂白された頭では何も考えられず、おまけに緊張で喉が固まって何も言い返すことができない。

 その間にも現実は動き出す。

「それじゃあ、明日の朝十時にいったん学校に集合しよ。お願いね」

 リンは流れ星のようなウィンクをして、嬉しそうに走り去ってしまった。

 彼女の背中が見えなくなるまで目で追って、そうして家の中に入った英治は。

(デートって、こと?)

 遅れてその事実に気がついて、ひとり顔を赤らめるのだった。


(まさかな、僕なんかと。でもじゃあどうして、僕なんだろ)

 英治は風呂掃除を開始。スポンジでひたすら汚れを抹殺することに喜びを感じつつ、そんな答えのない問いを己のなかでぐるぐると循環させた。

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