10-2 九龍の覚醒~天使との接触~
菅田はメガネをくいと持ち上げると、一度嗤ったように息を吐き出した。
「一度、己の手で撃退した敵を我が物にするなど……キミは本当に、何をしでかすかわからない奴だなあ」
パン、パンと乾いた拍手を鳴らし、
「しかし幸せを掴む、か。その在り方は評価しよう。それは願いにとっては、本来あるべき理想だ」
「そう。願いとは、生命の進化の鍵。欲は本能の発露だが、願いは理性の叫びだ」
コード:インフィニティが菅田の言葉を引き継いで言う。
「時に、人は願う。誰かの死、他人の破滅……己の不幸せでさえも、願う。だがそれは歪められた願いでしかない。本来の願いとは、英治くん。キミのように純粋で、ただ己の幸せを願うものであるべきだ」
言葉を受け止めるコード:ドラグーン――九籠英治は、人間と同じ瞳を揺らめかせた。
「本来の、願い? それは……」
英治は思う。願いに真贋はないのではないか、と。本当も嘘もないんじゃないか。
脳裏に過去、出会ってきた人の願いを思い浮かべる。
最初に出会った天使型の仮想生命体と、絶望に河に身を投げた大学生。
祖父の永遠の命を望んだアキラ。
復讐を望んだいじめられっ子、ワタル。
腐った人間たちを切り刻んだ空城忠。
研究者たちの派閥争いに敗北し夢を絶たれた末、コード:0となって社会を変えようとした台京透。
いずれも彼らは必死だった。自らの願いを果たすため、彼らは仮想生命体に成り果ててまで世界と向かい合っていた。むしろ人間のままでは、このいじめひとつも放置されるような冷たい世界では、生きられなかったのだろう。
その先はすべて幸せには繋がらなかったけれど、そして彼らを削除したのは誰でもない自分自身、九籠英治という人間だけれど。
それでも英治は思う。削除してしまった負い目を背負う英治だからこそ、強く思うことができる。
「願いは、みんな大切で。本来も、偽りも、ないと思います」
故に、すべての人のすべての願いが大切にされるべきだと英治は思う。
菅田とコード:インフィニティはそんな英治を嘲笑するかのように笑い始めた。
「コード:0と同じ事を言うんだな、キミは。しかし、では他人の願いのせいで己の人生を踏みにじられた人間を前に、キミは同じ事がいえるのかい?」
菅田がそう言い、コード:インフィニティが重ねる。
「この男、菅田という人間はね、警察官として様々な人間の不幸を見てきた。そして何故、人は不幸になるのかを思い知った。わかるかね、英治くん。不幸の仕組みとは、何か?」
不幸の仕組み。
英治はわずかな間を置いて、答える。
「他人からの、干渉……」
タケトと、かつて生きていた不良たちの顔を思い浮かべて英治は言う。あいつらさえいなければ、自分は少なくともいじめられっ子ではなかっただろうから。
「その通り。だがもっと大きな視点で言おう。人は、願いの為に不幸になる、とね」
「願いが、不幸に?」
「ああ。いま、キミの大切な人……コード:0と融合した少女を襲わせている、あの斧を持った女性こそ、その具体例だよ。ワタシは具体例を見せつけるために、女性に斧を持たせ、コード:0のもとに解き放ったんだ」
「具体例?」
「ああ。彼女の夫はね、他人の仮想生命体に殺されたんだ。他人の願いを叶えるべく解き放たれた無関係の仮想生命体に、彼女の夫は命を奪われた。何の罪もない人間だったのにね」
世間では自殺と言われているが、しかしそれは仮想生命体による殺人を説明できないために、そう処理するしかなかっただけだ。
菅田は彼女の夫が無残に砕け散ったその現場に足を運び、泣き叫ぶその女性をみたとき、決意したという。
「だから私は、ぜひ考えて欲しいんだよ。本当にすべての願いが、大切なのか、と。その結論ははたして、本当に人間を幸せにするのか、とね。それだけじゃない。叶えられない大きな夢をもったがために、その願いに押しつぶされて自ら命を絶った若者もいる。愛されたいと願って、果たされない想いを抱いたまま命を絶った人間もいる。願いは、呪いにもなるんだよ」
菅田とコード:インフィニティは、やがてひとつになっていく。
「私は警察官として、人を裁いてきた」
「ワタシは調停者として、願いを打ち砕いてきた」
「「私たちは、思う。願いには優劣がある。そして、管理されるべきだと」」
菅田が世界から消えた。
そうして、影で構成されていたコード:インフィニティの肉体が物質化する。
世界で初めてとなる、上位存在の完全融合。
瞬間、コード:インフィニティの全身が漆黒の影でできた球体に包まれた。
影からすぐに青白い輝きが放出され、花ひらく。影が花びらのように放射状に展開され、その中央、めしべの位置に完全融合態となった、全身から金色の輝きを放つコード:インフィニティが姿を現わした。
影でできた死神は、青い翼を持つ天使へと在り方を変える。
背部から青白い輝き――ラショナル・オーラを翼の形に放出しながら、コード:インフィニティは菅田の声でこの世界に宣告した。
「仮想生命体が人の願いを喰い、昇華させ……その仮想生命体を、昇華した人の願いを、この私が生かすか殺すか、決定する。かくて願いは選別され、この世界のすべての願いは管理される。管理された願いだけがこの世界を支配する。不幸を呼ぶ劣った願いは削除され、幸せにつながる願いだけがこの世界に残る。完璧なプランだとは思わないか」
対する英治は、両の拳を強く握った。右手に握った剣がそれで震えた。
「どうしてそんな風に、思えるんですか」
仮想生命体を削除することを完全に自己弁護した存在が、英治の目の前に立っている。
だが死神が天使の形になったところで、本質は何も変わっていない。これからも彼は、仮想生命体を理不尽に削除していくんだろう。何の迷いもなく。
英治は、何の迷いもなく仮想生命体を削除するなんてこと、正直できそうもなかった。
それは何の迷いもなく他人の願いを踏みにじることになるから。
それができてしまったら、何の迷いもなく自分をいじめてきたタケトたちと同じになってしまうとも思った。
そう。何の迷いもなく願いを踏みにじるということは、願いを削除してしまうということは……他人の人生を痛みを感じずに踏みにじるのと同じことだから。
「多くの願いを消してきた、こんな僕が言えることじゃ、ないですけど」
英治は思う。
迷えない人間になんて、なりたくないと。
「願いを消して、そんな世界で、それが完璧だなんて……僕にはそんなこと、考えられないです」
「一緒だなキミは。あの気楽なコード:0と。理解しないのなら、ここで消してやる。何の理解もないままにそんな強大な力を振るわれては、後始末をさせられる私の身がもたないからな」
コード:インフィニティはそう言ってため息をつくと、その手に天使の鎌を出現させる。銀の輝きを放つそれは、直後に人の血潮の色に染まる。
銀色から赤色への、チャージアップ。
英治はその仕組みを理解すると、己の右手に握る剣を黒一色から赤色へと染め直す。
そして英治は目を開いた。人間の目が裏返って龍の眼となる。
九籠英治――コード:ドラグーンはそうして、願う。
「“僕は:幸せを掴む/この現実を:[この手で]打ち破って”」
願いは祈りとなって世界に放出される。
瞬間、校舎裏に咲いた一輪のアオマキグサが揺れた。
花を傍らにおいて、削除の権能を持つ一対の仮想生命体が衝突する。
[脳接続 侵食覚醒]
僕はコード:インフィニティに向かっていく。
話せば、もっとわかりあえるのかも知れない。
でもいくら話したところで、折り合いをつけられないことも何となくわかる。
願いがどうとか、世界がどうとか、そんなことはいっそどうだっていいんだから。
あいつはコード:0、いや大湖さんを消そうとしている。少なくとも、傷つけようとしている。
僕はそれを止めたい。止めて、大湖さんの笑顔が見たい。それが僕の幸せにもなると思うから。
だからどんなに話したって、わかり合ったって無駄だと思う。
「“僕は:幸せになりたい”!」
叫んで、僕は仮想生命体の力を使って世界を変えた。
直後、僕の視界に青白いラショナル・オーラの靄がかかる。そしてこれから起こるすべてのことが視界に表示されて、僕はそれをなぞるだけで良くなる。
一秒先から、はるかな未来まで。あらゆる未来の僕が目の前に表示されて、僕を導いてくれる。
世界改変“幸福”による未来演算。それは僕をあるべき未来に導いてくれる力。魑魅魍魎みたいに、多くの願いがひしめいて、おかげで冷たくなってしまったこの世界のなかを生きていくための力だ。
それを、目の前の敵を倒すために使うのは気が引ける。そんなくだらないことのために僕は、この力を得たわけじゃない。
でも仕方がない。そうすることでしか、目の前の現実が拓けないというんなら……僕はいまこの瞬間だけ、迷いを捨てる。
とはいえ敵も、さすがは現実改変能力をもった完全融合態の仮想生命体。それも、その上位存在。
僕の描いた未来はすぐに歪められてしまう。
「“護りたい”:“この世界を”!」
現実改変“世界”の発現……僕の視界にかかったラショナル・オ-ラの靄に表示された未来が消えて、そうして相手が念じた未来……僕の首が赤い鎌に切断される未来が見える。
それをなぞってしまえば、その通りに僕は死ぬことになる。
加えて僕はその先の未来を見てしまった。
コード:インフィニティが、大和さんと大湖さんの二人を削除してしまうのを。
ますます、その未来をなぞるわけにはいかなくなった。
僕は前に進む。一歩、一歩、ゆっくりと。僕の行く先にはアオマキグサの輝きが広がった。人の願いを現実世界に投影するスクリーンそのもののラショナル・オーラを踏みしめて、僕は歩く。
コード:インフィニティは堂々と構えて、僕がどう来るかを待ち構えてる。
相手は僕が向かってくることを察しているから、決して先に仕掛けてはこない。一方、僕は相手に突っ込まなければ、悲しい未来を止めることはできない。
仕組まれた後出しジャンケンに、僕はすでにはめられているというわけで。
でも、それくらいでちょうどいい。
コード:ドラグーンとなった僕の力ならやれる。
そう思えたから。
僕は一歩ずつ進みながら、その一歩でコンクリートを割りながら、右手に握ったムラマサ・グリップをゆったり構える。
赤く輝く鬼切を持ち上げて、そして僕はもう一度、叫ぶ。
「“僕は:幸せになりたい”!」
直後、未来演算が成功。僕の視界にあるべき未来が表示される。
――鬼切の刃が輝いて、それがコード:インフィニティを切断する。
「“護りたい”:“この世界を”!」
敵の未来改変が、僕の視界の未来をねじまげる。
――血の鎌が、僕の首を切断する。
僕は一歩、一歩、進んでいく。
その間に、何度も僕は叫んだけど、同じくらい敵も叫んで。
僕と敵とが接触する前に、数え切れないくらいの未来が表示されて、そして歪められていった。
終わりのない未来の改変が行われていくなか、僕は天使――コード:インフィニティと接触した。




