10-1 九龍の覚醒~神との対面~
教室のなか。
黒板はその壁ごと破砕され、隣の教室とつながってしまっている。
机も椅子もひとつ残らず原型を留めていない。天井の蛍光灯もすべてが割れ、壁という壁に亀裂が入っている。
教室はすでに日常性を奪われていた。
「“聞かせて”:“なぜ、こんなことをするの”」
奇声をあげて斧を振り回してくる女に辟易したコウは、ついにコード:0の現実改変能力“生命操作”を用いて謎の女に尋問を開始した。
世界を操るコード:インフィニティに対し、命ある者を操るコード:0。
命ある者しか存在し得ない地球という星において、コード:0の力はまさしく森羅万象を支配するものとなる。
コード:0の全身から青白い輝きの靄が放出され、それが女性を取り囲む。コード:0の力を介してコウの言葉が女の脳に直接注ぎこまれる準備はできた。
これで先ほどコウが放った言葉はテレパシーのように目の前の女に届く。
己の頭の奥深くから響いてくる神の声をきいた女性は、振り下ろそうとしていた斧を途端におとし、「ああ、あ」と呻くや瞳を力なく伏せると、堰を切ったように涙を流し始めた。
その様子をみて、コウもまた罪悪感から目を伏せて両の拳をきゅっと握る。
(ごめんなさい)
「私の夫はありきたりなサラリーマンでした。会社に勤めて、私は専業主婦で。私は無能だから……あの人は私を働かなくてもいいように、結婚して会社から解き放ってくれたんです。王子様でした、あの人は」
コウは女がひとりでにしゃべり出したのをみて現実改変が正常に作用していることを確認するや、その視線をコード・アーミーたちに向ける。
「でもある日、夫は自殺してしまいました。あの人が休みの日、ゆっくり眠っているのを起こさないように何も声をかけないまま、私はスーパーに行きました。でも帰ってきたら、アパートの駐車場に警察官が何人もいて……夫が飛び降り自殺をしたことを、知りました」
タケトとリンが化身して応戦してくれているおかげで、コード・アーミーがコウを包囲することはない。
コウは二人に心のなかで(ごめんね、ありがとう)と念じると、それを言葉にする代わりに行動を起こす。
「ゼロ、お願い。あいつらを焼き尽くして」
「いいのか? あれはインフィニティの私兵。それを我らの手で抹消するということは、あやつと敵対するということだ。世界を操るあやつを相手にするのは、我らでも容易ではないぞ?」
「いい。だってインフィニティはきっと、九籠くんが倒してくれるから」
「ムラマサ、か。君と会う前に抹消してやった相手だが……よもや君の騎士になるとはな。流石に我も想像できなかったよ。いいだろう、我は常に君とともにある。“応えよう”:“その意志に”」
直後、コード:0は影の巨人から不死鳥の騎士へと姿を変えていく。
影で構成されていた全身が燃えるように赤黒く輝き、炎の衣を身に纏う。
「でも私は見上げて、そして確かに見たんです。青白い霊のようなものが。私たちの部屋のベランダに立っていたのを。それが夫を突き落としたんだって思って……探っている間に、仮想生命体のことを知りました。私は誓ったんです。仮想生命体を、根絶やしにしようと」
女性がしゃべる言葉を耳に入れつつ、そして不死鳥の衣を纏ったコード:0がコード:アーミーたちの方を向くのも見たコウは(こっちは終わったよ)と、視線を窓の外に向けた。
(そっちはどう、九籠くん)
伝え方がわからなくて、おかげで声にできない言葉を胸に紡いだコウは、窓の外で戦う彼を祈るように見つめた。
太陽の輝きが昼の空を過ぎ、徐々に傾きだしている。あとはまっすぐ黄昏へとつながっていくだけの輝きがこの星に降り注ぐ……そのはずなのに、さっきから太陽は右往左往していた。
昇って沈むだけの太陽が右に左に迷うように動くなど本来はありえない。コード:インフィニティの現実改変“世界”が作用して時空間を操作、この現実に永遠をうみだし、敵を無限の時空に絡め取っているせいだ。
コード:0にも匹敵しうる“神の力”をもつコード:インフィニティ。その存在自体はコウにとっても懸案事項であり、制御できないからこそ放し飼いにしてしまった。結果、今回の騒動へと繋がってしまったわけで、まさに身から出た錆と言うほかない事態だ。
コウは我が身の錆びは我が身で濯ぐのが筋と思っていたが、悔しくも斧を振り下ろしてくる女性の憎しみに気圧されて、その間に英治が動いてしまった。
心の底から英治には申し訳なく思うが、けれどコウは彼が全身全霊で戦う様を見て、心を衝かれた。
コード:0の力でこれまでも英治が戦う様子は確認していたが、しかしいずれも英治は絶望していた。敵の人生を覗いたが故に、その願いを否定することで他者の人生を否定しつづけることになった英治は、戦いの度に苦しんでいた。
だが今回は、そんないつもの戦いとはどうも違うようにコウには思えた。
英治の顔は、いつもより遙かに穏やかだったのだ。それは戦場にありながら、放課後に草むしりをしている時の穏やかで満たされている時の、英治の本当の顔だった。学校でも戦場でもうかがえず、彼が好きなことをしている時にしか見せない幸せそうな顔。
そんな顔をしている時に彼に話しかけるのが、コウは好きだった。
(がんばって、九籠くん)
そう念じて視線を外したコウは、女性が床に落した斧を拾う。
次の瞬間にはそれをコード:0の赤色の衣に投げた。
ゴミが燃えるように、赤色の斧はコード:0の炎に飲まれて消えていく。
※
[脳接続 覚醒継続]
僕は横なぎに振られた断罪の鎌に手を伸ばす。
その時、僕の周囲に青白い輝きの靄が広がっていった。きっと僕の全身を包んでいるんだろう。
それがだんだんと濃くなって、僕の視界をふさいでいく。
まるでそれは、僕を護ってくれる誰かの背中のようで。
大丈夫。
そう思えた瞬間、僕の手が青白い輝きに包まれて鎌を弾き飛ばした。
「何だ……? ただのラショナル・オーラがこのワタシに介入できるはずなど、ないのだがな」
コード:インフィニティが首をかしげるなか、それでもその“ただのラショナル・オーラ”が徐々に人の形になっていく。
それはあの日の再現。はじめて仮想生命体を見て、そしてその力が僕の現実を変えてしまった、あの日。
僕はいじめられていた。無限につづくんじゃないかと思えるくらいに長く感じられた一五分。殴られ、蹴られ、馬鹿にされて。
だからあの日、あの“闘士”は来てくれたんだ。
僕の願いを叶えるために。
でも“闘士”は、僕の願いを読み違えてしまった。だから僕は、その間違った願いを叶えようとする“闘士”を僕自身の手で殺すことになった。
「へえ、来てくれたんだね」
僕は正直、びっくりした。
コード:インフィニティは僕の力で倒すつもりだったから。きっと誰も助けには来れないだろうから、せっかく覚悟を決めていたのに。その証拠に、僕はすでに鬼切を黒一色に染めている。コード:0・クリサリスを削除したときと同じように、あらゆる存在を奴隷にして敵と向かい合うつもりだったのに……。
結局、あの日と同じだ。
“闘士”は呼んでもいないのにやってくる。お節介に、僕の願いを勝手に叶えようとして。
「今度は、僕の願いを間違えないでくれるのかな?」
僕が呆れて呟いた、瞬間。
青白い輝きのベールは剥がれ落ちる。
そうしてただ一人の騎士が姿を現わした。
全身に鮮やかなディープブルーの甲冑をまとった“闘士”だった。
昼と呼ぶには遅くて、でも黄昏というにはまだまだ早い、半端で長閑な陽光を受けて輝く鎧にはただ一点を除いて傷はなく、直立不動の精悍な出で立ちはまるで騎士の立像のようだった。
ただ一点……腹部には穴があいている。騎士が負ったただひとつの傷……あの日に僕がつけたものだ。忘れるはずがない。
それは僕に背中を向けて、それでも僕に問いかけてくれた。
「手始めに、“何をすればいい”?」
今度はちゃんと、僕の願いを叶えてくれるらしい。
だから僕は、思ったことをそのまま言った。
「永遠に倒せない敵を、倒したい。それが大湖さんと大和さんとを助けることになると思うから。倒して、あの二人の笑顔がみたい。きっとそうなれば、僕は幸せな気持ちになれると思うんだ」
「わかった。“幸せになろう”」
「うん。だから、戦うんだ。殺したいわけじゃない、でもそうするしかないから」
「「打ち破る、この現実を。ただ幸せを掴むために」」
僕は闘士の背中にそっと手を当てる。
そのまま僕の体が闘士に吸い込まれていく。
僕と闘士はひとつになって、そうして一瞬にして半融合態フェイズ1から、ひとっ飛びに完全融合まで到達した。
[脳接続 侵食を検知]
[脳接続 継続]
出現した新たな仮想生命体は、青い鎧を身に纏う騎士型のものだった。
半融合態フェイズ1でしかなかったはずのそれは、しかし願い主の意志によって瞬時に完全融合した結果、全身を瞬時に物質化する。
鎧はそのまま着用しているが、しかしその姿は騎士と言うには物々しい。
騎士の鎧に刻まれた意匠は、九の首を持つ龍そのものだったからだ。
胸、腹、そして両肩に両膝には大きめの頭が。両肘と両の足先には小さめの頭があしらわれている。
兜は龍の頭そのもので、その中にうかがう怪人の顔はまるで龍の口の中から這い出てきたかのようにも見える。竜に喰われた英傑が、臓腑を突き破って口から顔を出し、竜そのものを鎧にしてしまったかのような異形。
九籠英治――コード:ファースト覚醒態――コード:ドラグーンはここに顕現した。
人類を救済する仮想生命体と、その仮想生命体を削除するムラマサ。
両者の力を融合させた特異点たるコード:ドラグーンは、世界のすべてを操る“神”のひと柱、コード:インフィニティと対面する。




