9-5 無限の咆哮・絶対修正
[脳接続 開始]
俺は学校の四階にある一年の教室の窓から飛び降りた。
普通の人間なら重力に捕まって地面に真っ逆さまのバッドエンドだが、あいにく俺は普通の人間なんかじゃない。
まずは落ち着いて足の裏を壁にくっつけ、そこから落下速度にあわせて必死にダッシュする。垂直に立つ壁の上を地面に向かって一直線、とにかく足を動かす。
転倒など論外として、一瞬たりとも速度を落せば即座に重力に絡め取られる末路をたどる危険行為だが、それで仲間を救えるんなら安全なんか捨ててやる。
そう、仲間だ。
俺は信じている。タケトの野郎はともかく、委員長がアーミー野郎なんぞに敗北しないことを。そして、コウがあの斧持ちヒステリック女の脅迫なんぞに負けないことを。
それならあとは、俺が敵の親玉を討てるかどうかが問題になる。
無論、俺にできないことなどない。
ココロの姉ちゃんが送信してくれた地図座標が、脳接続した直後に頭に入ってくる。まるで昔からコード:インフィニティがそこにいたことを知っていたと錯覚するほど、確固たる記憶として俺の脳に焼き付いていた。
はたして、奴は校舎裏にいた。
俺は壁の上を走りながら菅田の存在をみつけ、思い切りジャンプする。
「とう!」
ヒーローたちがよく口にする決まり文句を吐きながら、俺は菅田の目の前に着地を決めた。俺の足は大して痛まなかったがコンクリートが割れたあたり、俺はけっこうな高さから落下したようだ。
部下のアーミー達が必死に戦っているなか、目の前の親玉は校庭で草花の観賞ごっこ。これは裁きを与えなければならない。
一方、当の菅田は俺が目の前に現れたとわかるや否や、大声で笑いやがった。
「おお、気づきましたか。また読みが外れましたね。子どもらしく、目の前の敵を必死に倒すと確信していましたが」
メガネがキラと光り、奥の瞳が不気味に輝く。いつもそうだ、この菅田という奴の瞳は常に嗤っている。他人を見れば他人を馬鹿にし、現象を観察すれば現象を馬鹿する。そんな風に、常に何事をも嘲笑している風な余裕ぶりが菅田からは感じられた。
心底食えない奴だ。
「しかし私を見つけ出すとは、子どもといえども有能ということでしょうか。もっとも、私は隠れてなどいませんでしたがね」
刹那、菅田の足下の影から無数の腕が伸びる。
脳接続して動体視力を高めていなければ掴まれていただろう。比喩表現でも何でもなく、リアルに銃弾より速かった。
とはいえ、銃弾さえも避けられる今の俺には退屈な攻撃ではあったが。
無数に伸びる暗黒の手を少し後ろに下がっただけで避けた俺は、右手にムラマサ・グリップを顕現させて握り込む。
「子ども子ども、うるせえな!」
グリップを一度だけ宙に振れば、それを規定の予備動作と検知して光刃噴出口から金色の刃――鬼切が噴出する。
真昼の太陽光にも引けを取らない黄金の光の柱が噴水のごとく立ちのぼり、その輝きが校舎裏の影を照らし出したのも束の間、さらに俺はグリップのトリガーボタンを一回押した。
すぐさまチャージアップが開始され、金色の刃は鈍い銀色に錆び付いていく。
「猪突猛進、無我夢中。しかしそれでは見える物も見えなくなりますよ。曲がりなりにも大人をやっている私からのアドバイスです。九籠英治くん?」
菅田はメガネをくいと持ち上げてしっかりとかけ直し、頬を大きく引きつらせていく。
「コード:インフィニティ……顕現を許可します」
呟いた瞬間だった。
菅田の足下の影から人間の体が出現する。正確には人の四肢の形を真似た大きな影が視界を遮った。
俺の大きくもない身長が、ことさら小さく感じられるくらい、そいつはデカい。二メートルはある。
頭二つ分くらい高いそいつ――コード:インフィニティは菅田の前に立ち、完全に彼を覆い尽くしてしまっていた。まるで主人は俺の方だといわんばかりの振る舞いだ。
「おお! やっと出られた。これがシャバの空気……いやあ、酸素がおいしいとはこのことだ」
影が身震いして深呼吸。
そのシルエットはまるで、暗闇に編まれてできた大きめのローブを着用した巨人。
「しかしわたしを出すことを嫌っていた人間の巡査殿が、こうして顕現を許可してくれたということは……相当にこのムラマサという奴が厄介だということかい?」
インフィニティは頭と思しき部位をぬらと持ち上げると、影に隠れていまいちうかがえない顔面部分から、眼光といわんばかりの鋭い白光を向けてきた。
「見た目はただの人間だが、これがコード:0のいっていた“世界で最も無意味な情報”というわけか。人の脳を侵食して支配する、我々とまったく同じ仕組みを持つ存在。しかしながら、我々を勝手に削除する困りものでもある」
「うるせえな!」
何が世界で最も無意味な情報だ!
俺は九籠英治。他に名前はない。
右手の鬼切が赤く染まった瞬間、俺はそれを振り下ろす。
あらゆる情報を削除する赤色の光刃が奴を切り裂く。
「剣筋も、悪くない」
インフィニティは動じることなく呟くと、突然両手に巨大な鎌を顕現させ、握り込む。そうして下から上に刃が振り上げられ、俺の刃をはね上げてくる。
「ちっ!」
斬撃が払われ、俺はすぐにかがんでキックを繰り出す。インフィニティの足を払ってこけさせてやる!
が、俺の足はむなしくも空を切った。奴には足が、ない。
「わたしは死神タイプなんでね。残念、きままに浮かんでいるというわけだよ!」
俺の目の前に鎌が振り下ろされた。その刃の色は血の赤……奇しくも俺の鬼切とまったくの同色。
嫌な予感がした俺は、大げさに後ろに飛びすさり確実に避けてやった。
「流石にかすりもしないか。しかしどうだい? 人の血と同じ色をした不気味な刃を向けられる気分は。キミが我々にしてきたことと、同じことだよ」
「だから、どうした!」
攻めなければ勝てない。
俺は奴の鎌が空を切ったその瞬間を狙って突撃する。思い切り地面を蹴り込み、前へ!
つま先がコンクリートを割ったが構う物か。鬼切を両手で握り、突きを繰り出してやる。
赤黒い刃が空間を突き進み、まっすぐインフィニティへ向けた。奴はいま鎌を振ったばかりだ、隙丸出しで避けられるはずもない。
「“護ってみせる”!:“この世界を”!」
菅田の声が響いた。己の願いを仮想生命体に託す肉声だ。
直後、インフィニティの全身が青白く輝く。
俺はそのまま奴を鬼切で貫いた。確かな手応えが両手を伝って感じられる。そのままムラマサ・グリップを握って押し込む。奴の体を構成する情報に深い欠落を与えるべく、刃を最深部に到達させるつもりで押す。
赤い刃はそうしてインフィニティの腹部を貫通、背中をも突き破る。
俺とインフィニティは自然、密着していた。身長差があるせいで俺の目の前には奴の胸にあたる部分がある。
俺は不意に顎をあげて奴の顔をのぞき見る。だが、ローブの闇に埋もれたそこには暗がりしかなく、顔など断じてうかがえない。
そしてその暗がりから声が響くのを間近で聞いた俺は、訳もなく寒気に襲われた。
嫌な予感という奴だ。困ったことに、そういうものは大抵当たる。
「“応えよう”:“その意志に!”」
菅田の声に連動してコード:インフィニティが言葉を重ねる。
瞬間、インフィニティの周囲に展開されていた青白い輝き――ラショナル・オーラがひときわ強く輝いて。
そこから俺の記憶は飛んだ。
いや、記憶というより……俺の周りのすべてが飛んだ、といった方が正確か。
俺の目の前にいたはずのコード:インフィニティは夢に消え、俺はいままさに学校の壁を垂直に駆け下りている真っ最中で。
「!」
握っていたはずのムラマサ・グリップもない。いやそもそも今は、そんなことを気にしている場合でもない!
重力に捕まらないように、俺は必死に壁を駆け下りなきゃいけない!
「意味わかんねえな」
やり直し?
不意にそんな気だるい一言が頭をもたげた。
そして俺はやはりその後、壁を駆け下りながら菅田を見つけて。
「とう!」
跳躍して着地を決める。コンクリートにヒビが入るがお構いなく、俺は右手にムラマサ・グリップを顕現させる。
コード:インフィニティはそこにいない。
ただ菅田がにやついた顔で立っているだけだ。
「いかがです、九籠英治くん。あなたは果たして、私に勝てますか?」
その一言だけが、この世界に新しく響いた言葉で。
流石に俺の頬に汗が流れる。夏真っ盛りの暑さで流れた汗だと思いたいが、認めざるを得ないか。
俺は冷や汗を垂れ流しながら、怖気に震えた。
びびってるわけじゃない。そのはずなのに、本能が叫んでいるとでもいうのか。
「何が何だかわかんねえが、退くつもりもねえんだよ!」
体の震えをそのまま喉に集めて一気に叫ぶ。
全身を声にした雄叫びが世界を振るわせ、同時に俺の肉体を震わせる寒気を取っ払って熱に変える。
ムラマサ・グリップを一度空振りさせて予備動作を完了させ、マニュアル通りに金色の刃、鬼切を再展開させた。
「おや? また向かってくるのですか、この私に?」
菅田はメガネをくいと持ち上げてニヤケ面を向けてくる。
明らかに俺を嘲弄しようという馬鹿面だが、構っていられるか。
あいつを倒さなければ、いま戦っている委員長とコウを助けることができない。
俺に逃げ道はない。
「斬ってやる!」
横一閃、鬼切を振りぬいた。
その刃先はしかし、菅田の足下の影から再顕現した暗黒のローブをまとう死神――コード:インフィニティと、それが握る鎌によって防がれる。
ギン! 刃同士がぶつかる音が響いた。
ギリギリと互いに刃を押しつけ合うつばぜり合い……俺は鬼切を全身全霊をかけて押し込んだ。押し込みながら、グリップのトリガーボタンを押す。
光刃の色が金色から銀に錆び付き出力が低下、敵の刃に逆に押される形となってしまうが関係ない。
俺は鬼切を押しに押してどうにか敵の刃を留めつつ、そうしてチャージアップ完了まで時間を稼ぐ。
はたして、刃の色が赤色に変わったその刹那。
出力が急上昇した鬼切は敵の刃を砕いてみせる。そして血のように赤黒い刃先がコード:インフィニティのローブに触れようとする、直前。
「“この世界を”:“護ってみせる”!」
「“応えよう”:“その意志に”!」
対句のようなその台詞が奴らの口から漏れる。
直後、また俺の記憶が飛んで……。
俺は学校の壁の上を駆け下りている最中で。




