9-2 無限の咆哮・見えない斧
英治はまた、学校へ行く。
夏休みまであと五日。今日は月曜日で、今週さえ耐えぬけば学校のない一ヶ月に突入だ。
とはいえ、いざ登校してみればその五日間が途方もなく長く思えてくるもので、今日、いやせめて明日、突然終業式にならないかと無為の願いを虚空に解き放ってみる。
(まあ、ありえないよね)
とほほ、と一人で否定し一人で肩をおとしながら通学路をゆく。
そうして英治が驚いたのは、学校に辿り着いた瞬間……突然、終業式が今日行われることになった、という趣旨の告知文が掲示板に貼り出されているのを見た時だった。
驚きのあまり言葉を失って、玄関先の掲示板の前で立ち尽くしていると。
「ほんと、ありえないよね。あたしたち生徒会にも事前通知がなかったんだから」
いつの間にか隣にいたリンが、ほっぺを膨らませて掲示板に文句をたれていた。唇もとんがっており、幼げな怒り顔を隠しもしない。
「まだ予備校の授業だって始まらないのに……浮いた四日、どう過ごそうかな」
夏休みは四日早く始まることになったが、来期の始業式の日程は予定通りとのこと。単純に夏休みが増えただけ、という学生にとっては都合の良すぎる内容だが。
英治は喜ぶより先に、全身に悪寒が走った。
(こんなこと、ありえないでしょ。何の理由もなく、こんな夢のような)
考えられるとすれば、一つしかない。
仮想生命体……それに侵食された人間が生徒の側にいる。
すでに彼らはこうして自分たちの日常生活にその力を発揮するまでに、人間社会に食い込んでいるのだ。
とはいえ、英治はいまから学校中を探し回って仮想生命体が宿った生徒を見つけ出そうとも思わなかった。
仮想生命体を削除する力を持ってはいても、そのすべてを滅ぼす使命を帯びているわけでもない。
コード:0を倒すというココロとの約束も果たしたいま、以前のように彼女から命令されることも、今後もないはずだ。
仮想生命体の問題と自分の人生とはあくまで無関係。
実際、夏休みが早く始まるだけの願いなんて、平和にも程がある。
不老不死、消滅、切り裂き、反転……これまで出会ってきた願いと比べてれば、くだらないとさえ思えるレベルだ。
(普通の願いだな)
一言、そう評価を下した英治は勘ぐるのはやめて、いま目の前にいてくれるリンの横顔をみて。
「遊べば、いいと思うよ。大和さんは、たまに」
話しかけてくれたお礼のつもりで返してみた言葉だったが、効果は想像以上だった。
リンはぷくっと膨らませていた頬を瞬時に整え、同時に倦んでいた瞳に煌めきを取り戻す。その瞳の様子は曇天の夜空に突然軌跡のオーロラが巻き起こったかのようで。
「それもそっか……私、考えすぎなんだね。ありがと、九籠くん」
リンは英治の頭を撫でようとして反射的に手を伸ばしたが、直後には照れてその手を引っこめると、
「ちょっと生徒会室に行ってくるね。九籠くん、もう夏休みも目の前なんだし、サボりはダメだよ!」
言った直後に「えへへ」と悪戯っぽく笑ったリンは、いつもの英治いじりを終えて満足したのか上機嫌に階段を駆け上がっていく。
(まだ、覚えているんだ)
リンは意外と根に持つタイプだとわかって少し怖気がした英治だったが、彼女の笑顔は窓から差し込む朝日のなかに溶け込んで、じんわりあたたかい。
英治は手を振ってリンを見送ると、教室に向かっていく。
「よう、英治」
教室に入るなり、タケトが声をかけてきた。待ち構えていたとしか思えないが、いったいどんな用があるというのか。
返事の代わりににらみつけてやったが、しかしタケトはそれくらいでは怯まない。
「久しぶりに学校に来てみたら今日が終業式とか、さすがにギャグかよ。英治もそう思うだろ」
先週はろくに学校に来ていなかった、典型的な不良ぶりを発揮していたタケトの周囲には今や誰もいない。
不良仲間や女子たちと群れる生活は終わって、彼は独りになっていた。それは誰でもない英治自身が彼をそこまで落したのだが、タケトの顔はいまや苛立つほどに輝いている。
「周りの奴らは気づいてないけどさ、これ明らかに化けモンの仕業だろ。英治もそう思ってんだろ? 大湖さんもさあ」
タケトは声を大きくして、教室の最後列で本を読みふけるメガネの女子に声をかけた。
返事はないし、彼女はその視線すら動かそうとしない。
完璧な無視をくらったタケトだが、彼のニヤケ面も何ら微動だにしない模様で。
「まあせいぜい楽しもうぜ。自由自在に生きられる、この世界を」
英治もまた無視することにして、視線をタケトから廊下に向ける。
珍妙なスーツ姿の大人たちが歩いていた。
「ん?」
「なんだなんだ、英治」
首をかしげた英治に、タケトも同じく廊下に注目。
「なんだありゃ。誰だよ」
コウもまたその時だけは本から目を離し、視線だけを廊下に注いでその大人たちを視界に捉えていた。
ダークブラウンのスーツに身を包んだ、ビジネススタイルの大人たち。その顔ぶれは初めて見るもので、まずこの学校の教師ではない。
新任の教師だろうか、とも英治は思ったが今日は終業式。突然に決まった式典とはいえ、夏休みも近いこのタイミングで来校してくるというのも妙な話だ。新任の教師なら、せめて来期の始業式に顔を出すのが普通だろう。
こんなときにリンがいれば、と思った英治だったが、彼女はまだ戻ってこない。
スーツ姿の一堂はそろってこちらの教室内を覗いたのも一瞬、すぐに歩き去って行く。
「教育委員会の奴らかな」
タケトがそんな適当な考えを漏らしていたが、英治には彼らの様子が気になっていた。
特に先頭を歩いていた紅一点のビジネスウーマン。彼女の右手には、なぜか斧が握られている。
血のように赤い、大きな斧だ。
そんなものを握って学校に足を踏み入れれば、即通報される。しかしそうはなっていないということは、あの斧は普通の人間には見えない代物、ということになる。
幻にしてははっきり見えることから、これも仮想生命体が絡んでいる事案とみて間違いない。
彼らからは殺気を感じなかった。ただ歩いているだけ、そんな感じだった。
英治は寒気こそしたが、しかしこのまま何事もなく今日が過ぎ去ってくれることを願って、ちらとコウをみやった。
彼女はふたたび読書に戻っている。英治がどれだけ見つめても、その視線が動くことはなかった。
あの夜、あの研究施設に何故かコウが現れた。それは夢だと思いたい。
教室の隅で本を読んでいる、もの静かな少女であるコウに、どうしてもあの赤黒い不死鳥の恐ろしさを重ねることができない。
立ち上がっていますぐ話を聞こうとも思ったが、コウがタケトを平然と無視したのもさっき見せつけられたばかりだ。あんな風に無視されたくない、と思ってしまった英治は結局、何もできずにチャイムが鳴るのを待つしかなかった。
※
終業式には珍しく、来賓がおいでだった。
街の交番で長く勤務している警察官、菅田だった。
校長先生の次に登壇した彼は、体育館に集まった生徒たちの前で、メガネを光らせて挨拶する。
「終業式ということでこのたび、皆さんが集まる機会にあわせて、交番から皆さんにお伝えしたいことがあります。夏休みを有意義に過ごしていただくための注意事項というやつですが、あくびなどせず、ひとまず聞いてくださいね」
何かと思えば、警察官によるありがたい“正しい夏休みの過ごし方”講座。
傾聴すべきなんだろうが、しかし英治は寒くて仕方がなく、菅田の話を聞くどころの騒ぎではなかった。悪寒に耐えるので精一杯だ。
いまは七月下旬で夏真っ盛り。にもかかわらず、体育館に入った瞬間英治は寒くて震えることになる。
原因は室内の気温ではない。菅田とともに登壇している、背広姿の大人たちが五人。
彼らはさきほど英治たちが廊下で見たビジネススタイルの一団で、そのうち一人だけの女性は、やはり斧を所持していた。壇上に置かれたパイプ椅子に座りつつ床に斧を置いているその景色は非常識を通り越してシュールで、しかし英治はとてもじゃないが笑えなかった。
菅田とともに登壇しているということは、あの斧をもっている女性もまた警察署関係の人間とみていいだろう。
そんな女性が仮想生命体と関わりのある赤い斧を所持しているとなれば、どこかに菅田――コード:インフィニティの思惑が潜んでいると思うのは自然だ。
「特に山登りなどでぜひ注意していただきたいのが、毒性のある植物や菌類です。最近では人の脳に悪影響を与える草が雑草に混じっている、という報告も多いので学生の皆さま、ご注意を。特に、青く光る草をみかけたら極力触らないよう、お願いします」
一時間ほどで終業式は終わり、学生たちはいったん教室へと戻る。
そしてホームルームで担任から宿題をメインとした連絡事項が伝えられるや否や、学校はついに夏休みを開始した。
ただ、四人の生徒だけを残して。
「これから名前を呼ぶ生徒は、すまないが追加で連絡事項がある。何でも今日お越しの警察の方から、直々に指導があるそうだ」
「はっ! それどんなことした奴だよ」
タケトが真っ先に反応し、つづいて他の生徒たちも笑いのざわめきを巻き起こす。
「ほんと誰だよ」
「警察から直々に指導とか、やばいだろ普通に」
そんな声が響くなか、担任が宣言する。
「大和リン」
瞬間、笑いのざわめきが消滅した。
クラスの委員長がまさか……その衝撃がおさまらないなか、
「それに、縁田タケト」
「って、俺もかーい!」
タケトがおどけたおかげで教室内の緊迫感はいくらか薄まったが、
「大湖コウ、そして九籠英治」
二人の名前が呼ばれたとき、また静まり返ってしまう。
真面目なクラスの委員長、不良、読書好きの無言女子、かつていじめられていた男子……傍目からみれば何一つ共通点のない彼らが、どうして一括りにされて警察から呼び出しを食らうのだろう。
「以上の生徒は、警察の方がくるまでこの教室で待機になる。ほかの生徒はだから、浮かれてないで早めに帰っとけよー。残ってる生徒がいるって偉い人から叱られるの、俺なんだからなー」
場の空気を少しでも和やかにしようと担任が精一杯気楽な文句を並べて締めようとするが、その努力も空しく学生たちは緊迫しながら立ち上がり、物々しく教室を去って行く。
「リン、終わったら連絡ちょうだいね」
「ファイトだよ」
普段リンと話している最大派閥の女子たちが順々に声をかけるが、リンの顔は固まったまま。
その表情は何も知らない生徒からしてみれば、無実の罪に糾弾された委員長が絶望している顔にしか見えなかった。
しかし、当のリンは絶望と言うより驚愕に震えていた。
(大湖さんに、九籠くんに、あのクソ不良……私も含めて、“あの力”が原因ね)
リンは取り残されたメンバーを順々に見回しつつ、思う。
(私の力……せめて九籠くんには隠しておきたかったんだけどな)
他方、英治もまた残されたメンバーの共通点には勘づいた。
(大湖さんも、やっぱり……そして、大和さんまで?)
仮想生命体による侵略が、まさかこのクラスにまで及びはじめているとは……。
衝撃とともに、しかし英治は思う。
(やっぱり僕は、あのポケベルを手にしなくて良かったのかもしれない)
ココロにファミレスで見せられた、ムラマサに接続できなくさせる装置。
あの時迷っていなければ、いま頃はそれをポケットに入れていただろう。
これから戦闘が起こるかどうかはわからないが、しかし決意せざるを得ない。
こうも知り合いが仮想生命体の影響を受けているのであれば、自分だけ逃げるわけにはいかないのではないか。
英治はそんな想いを胸に抱きつつ、ただ菅田がくるのを待った。




