9-1 無限の咆哮・契機
林の中を一台のバイクが猛スピードで駆け抜けていく。
ハンドルを握る女性と、後部座席には男子がひとり。二人ともヘルメットはつけていない。
事故でも遭えば即死に違いないが、今の二人にとってはそれさえどうでもいいことだった。
「コード:0、クリサリス……初めて聞く言葉だった。すこし、調べる必要がありそうだな」
ココロは呟きながら考えを整理していく。
他方、ココロの背中に抱きつく形で座席にしがみついている英治は、終始無言だ。
(大湖さんが、まさか)
いつも独りで本を読んで、放課後になると話しかけてくれるコウ。アキラとおじいちゃんと一緒にきれいにした公園を、褒めてくれたコウ。そうして優しく抱きしめてくれた感触。
記憶とともに再生されるコウの温かさが、あの不死鳥の姿をした巨大な仮想生命体の姿に引き裂かれていくかのようで。
(そんな、まさか)
ショック。そんな言葉ではけしておさまらない衝撃が、英治の胸に反響し続けていた。
※
バイクが山道を抜け、夜の中央市街に入ったころ。
ぐうう、と英治の腹の音がなった。
エンジン音もあるからまさか聞こえたわけではないだろうが、それにしてはちょうどいいタイミングで、
「腹が空いてきたな。ちょっとご飯にするか」
ココロが独り言を風に流すように言う。
入ったのはファミリーレストラン。駐車場にバイクを停めて、ココロと一緒に商店街を歩く中、「ここにしようか」と決めてしまった。
そこは偶然にも、英治が以前選んだファミリーレストランで。
ナイフの殺人鬼、空城忠を菅田に頼まれて殺してしまった記憶も蘇ってくる。
ずっとその記憶を脳裏に再生し続けるわけでもないが、思い出さなければ何だか申し訳ない気持ちにもなる英治だった。
ココロはたらこスパゲティを、英治はオムライスを注文して食事にありつく。
「約束は、ひとまず守ろう」
英治がデミグラスソースをスプーンですくっている最中、ココロはライダースーツの胸元を少し開けて、そこに手を入れた。
英治はすぐに目を反らしたが、カツン、とテーブル上に音が鳴ってまた視線を戻す。
長方形の小さな電子機器と思しきものがそこにある。横幅五センチほど、縦は三センチほどか。薄さは一センチとない。カードというにはやや厚いが、しかし電子機器としては小さすぎる。
「これは、何ですか」
たまらず質問した英治は、ポケットベル、というネットでしか見たことがない旧世紀の名詞を思い出す。
「言っただろう。あたしの言うことを聞いてくれたら、ムラマサを君から追放する方法を教えよう、と」
ココロはつづいてポケベルのスイッチを起動、緑色のランプを点灯させる。
「このボタンがスイッチだ。この装置が起動している間は、君の脳に向けられるデータ通信はすべて遮断される。つまり、仮想生命体に脳をハッキングされることもなければ、ムラマサも入ってこれなくなる。もっとも、常に電源を入れて持ち歩いておく必要はあるが」
掌におさまってしまうその小さな機器に秘められた、想定外の力。
目の前に置かれたポケットベル型スーパーマシンをみつめて、英治はしかし首をかしげる。
この装置ひとつで仮想生命体から己を護ることができるということは、これを人類すべてに配ってしまえば、仮想生命体との戦いなどすぐに終わるのではないか。
「どうして、それ……たくさん作らないんですか」
英治は相手がココロだからこそ、思ったことを口にしてみる。
だがココロは呆れたように息を吐き出して笑うだけだった。
「たくさん作れないからだよ。これはあの人……透があたしに残してくれた形見で、同時にどうやって作ったのかわからない代物なんだ。ほかの助手に対してどうかはわからないが、少なくともあたしはあいつから設計図を教えてもらっていない。おかげで、あいつが自殺してしまった後、このわけのわからないウルトラマシンだけが残ってしまったというわけさ」
技術は解明できないが、使えるから紹介した。そういうことか。
しかし英治はそんな事情より、形見という一言が胸に刺さった。
戦闘が終わってから、まだ小一時間ほどしか経っていない。コード:0、いや台京透の遺した声はまだ生暖かく、要らぬ鮮度を保って脳裏に焼き付いたままだ。
おかげで、目の前のポケットベルに彼がココロに対して抱いていた優しい想いが伝わってきてしまう。
自殺してもなお、ココロが仮想生命体との戦いに巻き込まれないよう、せめてもの罪滅ぼしに彼は装置を作り、遺したのだ。英治にはそうとしか思えなくて。
「もらえませんよ、それは。形見だったら、余計に」
「気にしなくて良い。君は充分、戦ってきた。だからもう戦いたくないなら、この装置を使うと良い。どうだ」
「どうだって、言われても」
英治は言葉に窮する。
仮想生命体を削除できる唯一の存在・ムラマサ。人類にとってそれは反逆の切り札であり、まさに世界の命運を左右する力に他ならない。
一方英治にとってそれは偶然手にした力でしかなく、おかげで不用意な戦いに巻き込まれてきたことも事実だ。
だが、草むしりよりもずっと楽しい体験ができたのも事実だし、戦いを楽しんでいた自分がいたのも事実で。そんな自分が嫌で自殺も考えることになったけれど、しかし先ほどの戦闘が終わった後、ココロがかけてくれた言葉も忘れてはいない。
胸を張って良い、己の行いを正しいと思って良い。
本当にそうか? という疑念はあれど、そんな言葉をかけてもらった直後に、これまでしてきたことをすべて放り投げていいものかどうか、なおさら戸惑ってしまう。
「まあ、いいさ」
ココロは一言。すぐにポケベルを胸元にしまってしまう。
「あ」
途端に選択肢がなくなった気がして、英治は思わず声をあげたがココロは「迷えばいい、高校生のうちは」と、突然の年上発言だ。
「どのみち、世界には仮想生命体があふれかえっている。今後、奴らによって世界がどれほど変わるかはあたしにもわからない。人類はすでに、奴らに滅ぼされる道の途上にあるのかも知れない。君が戦おうが、ここで辞めてしまおうが、大勢に変わりはない気もしてくるよ」
はは、とココロはすがすがしく使命を諦めてしまった吐息をもらした。
そんな彼女の態度に、これまで自分に戦いを押しつけてきながら……とわずかな怒りを覚えた英治だったが、しかし同時に共感してしまう。
仮想生命体は人の願いの数だけ存在する。いまこうして話している間にも、どこかで確実に完全融合態はうまれているだろう。半融合態フェイズ1の状態の個体など、もはや正確な数を把握することさえできないはずだ。
ココロが匙を投げてしまう気分もわかる気がする。
とはいえココロの口元は自嘲気味ながら、それでも天井を見つめる瞳はいつもながら凜としている。諦めながらも、まだ切り離してはいないのか。
彼女でさえ迷っているのだと何となく察した英治は、いったん話を打ち切るべくドリンクバーに逃げた。
「気が利くな」
立ち上がってコップを握ったところで、不意にココロにそういわれた。
「え?」
と、空いたコップが突き出される。
「英治くんスペシャルで頼む」
「すぺしゃる?」
こちらが立ち上がるなり当然のように飲み物を持ってこいと指示するのも正直どうかと思うが、しかしスペシャルとは何か? 首をかしげて固まっていると、ココロはふっとクールなドヤ顔スマイルを浮かべて、
「五種の飲み物をイイ感じにブレンドさせるんだよ。ドリンクバーといったらこれだ。絶対やるだろう、やらなきゃ損だ。楽しみにしているよ」
「は、はあ」
英治はそうして、コーヒーコーラウーロンメロンアップルソーダ玄米茶をお見舞いしてやった。
それを一口飲んだココロは直後、無言で立ち上がると、カツカツと乾いた靴音を鳴らしてドリンクバーに向かっていった。
そうして“ココロちゃんスペシャル”が誕生し、英治はそれを飲むことになった。
アップルジンジャーウスター醤油オレの強烈な芳香が英治を襲う。
「……ソースから選ぶの、ちょっとひどくないですか」
「お互い様だろう。飲めないものを作ってきたという意味においてはな」
ピシャリといわれて、ぐうの音もでない。
二人は苦しさを互いに分かち合って、最後まで飲みきった後、謎のハイタッチをかわした。
※
夜中の交番はただ静かだった。
菅田は業務日誌を片付けつつ、突然の来客を迎えた。
平和な街の交番に、暗黒を引き連れた少女が訪れたのだ。
「おや、これはこれは」
スカート丈も髪色も校則違反すらしていないとわかる、制服を着ただけのどこにでもいそうな女子高生。しかしメガネ越しにのぞく目の前の無感情な瞳のことを、菅田は知っていた。
「コード:0、いや、大湖コウちゃんといえばいいのかな。まあいいか。こんな万年暇の交番に何の用かな」
いいつつ、菅田は目の前のノートPCを閉ざし、全神経を目の前の少女――大湖コウに向ける。
「ここに用はないけど、あなたには用がある」
コウは使い古されて修繕もされていない動きの悪い引き戸をしっかり閉めると、
「あなた、ムラマサと九籠くんを監視してるんだって?」
瞬間、菅田の全身に鳥肌がたった。コード:インフィニティと会話しているおかげで仮想生命体に関する知識は充分知っていて、当然コード:0のこともよく知っている。だが、実際に会うのはいまこの瞬間が初めてなのだ。
そしてこれまで、自分のことが外に漏れているなどとは露とも考えていなかった。
「事情を把握済みとは……まあ、お互い様ですかね」
菅田はそうして、笑みだけは忘れずに保持する。そうしていなければ、喉が凝り固まって何もしゃべれなくなりそうだった。
「まさしく。私は彼らを監視しております。我らが唯一の敵である彼らがいかなる存在か、見極めるべくね」
「クリサリスが倒されたわ。これもあなたの計画のうち、ということ?」
クリサリス……その一言を聞いて、要件はこれか、と菅田は確信する。
かつてコード:0だった存在にして、原初の仮想生命体であるコード:0・クリサリス。
それは現在コウに宿っている新生のコード:0に比べれば圧倒的に出力の劣る旧式に過ぎないが、そうはいっても世界最初の仮想生命体である“彼”から現在のコード:0がうまれた、という歴史的事実に変わりはない。
そしてどのようなメカニズムによって“彼”から現在のコード:0が生まれたのか? これはいまだ解明されていない。仮想生命体のことを脅威に感じた国家の上層部が、愚かしくも研究施設もろともすべてを凍結させてしまった為である。
保存する価値のある存在だったが、しかしムラマサの宿る九籠英治はこれをついに削除してしまった。
正直、菅田にとってもそれは不本意な結果だ。
九籠英治が台京心とともに凍結された研究施設に向かったことは把握してはいた。だが、彼らは敗北するに違いないと、そう思って交番勤務を優先してしまったのだが……運悪く、読みが外れた。
失態といえる結果であり、これを責めに新生のコード:0本人がわざわざやってきたのだろう。
同時に、お前がここにいることはわかっている、と言外に脅迫されていることも理解して、菅田は表面上はおどけて弁解する。
「私はただ、コード:0。あなたの計画に乗るだけのコマに過ぎません。今回はしかし、あのムラマサとやらが想定外の働きをしてしまった。私はあやつの力を、読み違えてしまいました。クリサリスにはすまないことをしてしまいましたがね」
「そう」
コウはまったく表情を変えず、しかし足下の巨大な影はゆらと蠢く。
「今回は許してあげる。でも、次はないから」
言い残し、そうしてコウは去った。
その背中を見送って、菅田はため息をついた。
直後、思い切り目の前の机を蹴る。
「ふざけんなよ……コード:0。俺のインフィニティで、いつかお前らを、滅ぼしてやる」
菅田は仮想生命体の侵略を阻む者としての決意を、そうして胸に抱き直した。




