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8-6 心意気~願いの双璧~

 英治は辺りを見回した。

 コンクリートの打ちっ放しの壁と床で造られた広大な空間は、ボロボロだった。

 天井のライトは十五基あるが、半数以上が割れている。壁のあちこちには亀裂が入り、特に対面の壁はすでに崩れて隣の部屋とつながっている始末だった。

 傍らには両手両膝を冷たいコンクリートにつけたまま泣いているココロがいる。


「透……ごめんね」

 最愛の人を救えなかった悔恨か、あるいは望む未来を掴むことができなかった絶望か。

 いずれにせよ、かける言葉も見つからない。

 英治は戦ったからこそ確信できる。ココロは己の願いを叶えたのだ。

 だが、それは叶えたところで何も手に入らない願いだった。

 真実が人を救わない時がある。正しさが人を追い詰める時もある。いまココロの目の前にある現実はきっと、その種のものだろう。

(もしココロさんが、仮想生命体の誘惑に遭っていたら……どうなっていたんだろう)

 英治はつい、そんなことを考えた。

 仮想生命体に頼って、もしもあのコード:0――いや、台京透という男と一緒に支え合って生きられる未来を現実のものにできたのなら、その時ココロはいまのように泣いているのだろうか。

 わからない。

 英治にはわからなかった。

 人の願いを叶える仮想生命体がどこまで正しいことをしているのか。人の願いを利用して完全体となることを目指す仮想生命体がどこまで間違っているのか。

 そして、そんな仮想生命体を打ち砕く自分の行いがどこまで正しくて、どこまでが間違っているのか。

 英治はどこまでいっても堂々巡りの思考をもてあまし、しばらくコンクリートの室内に立ち尽くした。


 やがてココロは泣き止むと立ち上がって、

「見苦しいところを見せてしまったな。すまない」

 泣きはらしていた瞳をいつものクールな冷たい雰囲気に戻すと、ココロは言った。

「改めて、礼を言わせてくれ。英治くん、あたしは君のおかげであの人を天国に送ることができた」

 ココロは頭を下げる。たかが高校生の子どもであるはずの自分に……そう思って英治は申し訳なくなって、

「いや、僕はそんな。お礼を言われるようなことなんて」

 言いつつ、英治は心の底から“お礼を言われるようなことなんて”何もしてないと思う。むしろ非難されてしかるべきなのだろう、と思えてくる。

「ふざけるな」

 戸惑っていた英治は、ココロの堂々としてまっすぐなその声に驚いて、思わず彼女の目をのぞいた。

「胸を、張っていいんだ。君はあたしの願いを叶えたんだ」

「そんなこと……僕は、願いを奪ってるんです」

 ココロの目を見て、英治は彼女が本音を言っているのだと確信できた。

 ならばこそ英治は、彼女に本音を打ち返してみる。

 仮想生命体を討つことの是非を。己の罪悪感がどこまで正当なものなのかを。

「実際、ココロさんはいま幸せですか? 悲しんでたじゃないですか。僕がしてることは、人を悲しませることばかりで」

 英治は思い出す、アキラのことを。自分がアキラの仮想生命体を滅ぼさなければ、いまごろはおじいちゃんとアキラは幸せに過ごしていたに違いない。

 そうして思い出す、ワタルのことを。あいつは結局、仮想生命体との完全融合を自ら望んで実行した。

「仮想生命体は人類の脅威なんかじゃない、人類を、救うものだって。僕は、そう思うんです」

 以前から疑っていたことをすべてより集めて、英治はその結論を下した。

 願いを叶えることとは即ち、救済にほかならない。

 絶望のなかであっても願いを叶えることを、人は成功と呼ぶ。

 逆に願いが砕かれることを、人は挫折と呼ぶ。

 仮想生命体が人を成功に導くものだとすれば、それを砕く自分は人に挫折を与えている。

 人類の敵は、人類の脅威は、いったいどちらだろう。

 問うまでもない、はっきりと答えが決まっている問題だ。

「僕は結局、人を殺すことしかしてないんです。お礼なんて、そんな資格、ないですよ」

 

 そんな英治に対面したココロは、すぐに言葉を返した。

「どうして仮想生命体が人類を救うものと考えるんだ?」

「人の願いを、叶えるから」

「では聞こう。君は、願いが叶って本当に幸せになれると思うか?」

「それは、なれると思います。叶わないよりかは、叶った方がずっと」

「本当に、そうか?」

 ココロの質問攻めに虚を突かれて、英治は目をしばたたいた。

 願いを叶えるために人は生きている。そう言ってもいいはずだ。人の人生とはそういうものだろう。少なくとも願いが叶わない人生なんて不幸に決まってる。

 しかしココロは、質問している割りには堂々とした態度をしていた。

 もったいぶっているらしいココロを英治は睨んで先を促した。

「ふふ、考えてみろ。願いを叶えたら、人はそれで幸せなのか、どうか」

 英治のそんな態度がおかしかったのか、ココロは笑うと言葉を継いだ。

「答えられないのなら、君はまだ若いな。教えてやる、願いは叶うかどうかがすべてじゃないんだ」

「え?」

 英治は首をかしげた。しかしココロは少しも戸惑うことなく断言してみせる。

「願いが叶わなくても、人は幸せになれる。願いを叶えるために本気でがんばったのなら、必ずその人は幸せになれる。なぜなら、本気でがんばった分、人は成長するからだ」

「そんな、きれいごとで誤魔化しても」

 現実は変わらない。ココロの言葉はまやかしに過ぎない。実際、教室の中で賞賛される生徒はすべて成功者のみ……テストの点数を勝ち取った生徒、恋人を得た生徒、多くの友だちに囲まれる生徒、部活で優秀な成績を収めた生徒。

 つまりは、願いを叶えた者のみが他人から認められる。その逆は有り得ない。


「きれいごと、か。そうかも知れないな。確かに願いを叶えた者は幸せ者には違いないさ。だが、ここで考えて欲しい。少しも努力せずに願いを叶えた者を、君は敬うか?」

 問われて、英治は一度思考を止めて考える。

 まったく苦労せずに事を成し遂げることを、人は“マグレ”という。それは決して賞賛などではない。

 そんな例示を思い浮かべた英治だったが、ココロは英治の答えを聞く間もなく続ける。

「君はあまり考えたくないかも知れないが、大学受験が迫っているんだろう? 少しも勉強せずに東大に受かった奴が賞賛されることはある。だが同時に、多くの人から反感も買うだろう。そのことで言うなら、東大に受かりたいと願って勉強したが、その願いを果たせなかった。そんな人はこの国にはごまんといる。だが、そのごまんといる人全員は、果たして不幸なのか? そうじゃないだろう。東大を目指してがんばったんだ。その人たちはそれなりにレベルの高い大学には入れるんじゃないか? 逆に願いが叶って東大に入れたとして、全然自分と合わなくて退学する奴もいる」

 そうしてココロは、そっと微笑を浮かべて言い放つ。

「願いなど、単なるわかりやすい一線に過ぎないんだ。周りの人間や、あるいは自分自身が勝手に線引きした、そんな抽象的な一線に過ぎない。だが現実は違う。叶うかどうかに関わらず、あたしたちは生きてる。叶っても、叶わなくても。あたしたちが生きることは変わらない。それが現実だ。だから叶うかどうかがすべてじゃないんだ。むしろ願いは、人を高みに導くためにある。そうは思わないか? いや、そう思った方が、幸せになれるとは思えないか?」

「それは……」

 やはり、きれい事には違いないと英治は思う。

 なぜなら、自分がどんなに幸せだと思ったところで、失敗した人間は周りから嘲笑される運命にあう。

 今朝だって英治は全校生徒から笑われた。スピーチを失敗したという、それだけのことで。

 嘲笑されては、絶対に幸せにはなれない。

 願いを叶えられなかった人の人生ははるかに惨めだ。願いを叶えた人の人生と比べて、ずっと。

 でも同時に思う。

「そう思えるココロさんが、僕はうらやましいです」

 どんなに他人から笑われたとしても。周りからどれほど失敗者の烙印を押されたとしても、気にせず生きる道を選べる。そんな彼女の心意気が、英治にはうらやましかった。

「まあ、だからといって投げやりになって、願いなんてどうでもいいなんて言う奴も、それはそれでダメ人間だがな」

 ココロはそうして笑って、泣きはらしていたはずの瞳をぱっと輝かせた。

 その笑顔を見て、英治も知らずのうちに笑っていた。

「ふふ。君もなかなか、かわいい笑顔を浮かべるな」

 ココロはいたずらっぽく口元を歪めると、人差し指で英治の頬をツンツン押す。

「んなっ!」

 英治は顔を赤くしてココロから距離をとる。

「だから、話を戻すとだな。君の行いは、正しいんだ。仮想生命体によって、願いは“叶えられるべきもの”でしかなくなる。奴らは願いの性質を一元化してしまう。でも願いの持つ力はそんなもんじゃない。そんな浅いもんじゃない。叶えても、叶わなくても、願いは人を幸せにしてくれる。人の人生を豊かにしてくれる。そして君の行いは、願いを本来の形に戻してくれる。ただ敵を殺しているわけじゃない。君は、願いという概念そのものを守護しているんだよ」

「そう思っても、いいんですかね」

「ああ、構わないとあたしは思うよ」

 英治とココロは、互いに視線を交錯させた。


 そんな穏やかな時が施設内に流れ始めた、その矢先。


 パチ、パチ、パチ……と乾いた拍手が鳴り響く。

 壁が崩れて隣の部屋とつながっていた方向からだ。

「誰だ?」

 ココロは一瞬にして表情を引き締めると、腰のホルダーに差し込んだ銃に手をかけた。

 他方、英治は思わず目を見開いた。

 隣の部屋からやってくる、その存在に。

「大湖、さん……どうして」

 

 拍手をしながらコンクリートの空間に入ってきたのは、クラスメイトの大湖コウ。

 ミドルヘアの前髪の下からのぞく無感情な両目はそのままに、コウは堂々とした歩調で闊歩している。

 そうして彼女の口から放たれた言葉は、コンクリートの壁を反射して力強く響いた。

「コード:ゼロ……いや、コード:ゼロ・クリサリスを倒したのは流石だったね。英治くんと、そして台京博士がひいきしてた助手さん」

「コード:0、クリサリス、だと?」

 ココロは眉をひそめる。

「何だ、それは。お前はいったい、何ものだ?」

「どうして、ここにいるの。大湖さん」

 ココロが問いかけ、英治が絶句する。

 二人分の視線をそれぞれ見比べて、コウはたった一つの言葉で答えてみせた。

「私がコード:0だと言ったら、どうする?」

 言って、そうして英治は見る。

 コウの足下に巨大な影が蠢いているのを。それはコウの足下におさまらず、左右の壁を伝って広がっている。

 影の形には既視感があった。あの警官、菅田とコード:インフィニティ……人の影を凌駕するサイズの暗黒が人の傍らにいるという一点において、同じ現象だ。

 だが英治は思う。菅田のときと比べても、この影は大きすぎる。


「コード:0は先ほど削除した。妄言だよ」

 ココロは銃を構えながら否定する。銃口が震えるのも構わず、睨む視線はまっすぐだった。

「コード:0・クリサリスだと? 聞いたこともない」

「あなたが知らないだけだよ、助手さん。コード:0は、私の前に現れたんだから」

 言いながらコウは、いつしかココロをひたと見つめていた。英治を見ることなく、ただココロを睨んでいる。

「あなたは英治くんを戦いに巻き込んで、辛い目にあわせた。だから今すぐにでも殺してあげたいところだけど、英治くんはそう思ってない。だから生かしておいてあげる。でも、この施設はダメ。全部、壊してあげる」

 言って、コウはすぐに踵を返した。

「待て! お前は、何ものなんだ?」

 ココロは追いすがろうとするが、しかし直後、コウの足下の影が文字通り立ち上がる。

「何だ……このサイズは」

 床から立ち上がった影は、天井に到達していた。コウの背中はすぐに見えなくなる。

「大湖さん、君はいったい」

 英治も大湖に言葉をかけたが、届かなかったらしい。


 次の瞬間、巨大な影は赤い炎に包まれ始める。

 その色は、赤黒い血の色。

「これは赤色(デリート・カラー)、なのか。ありえない、仮想生命体だとしても、それは」

 ココロでさえ目の前の現象を理解できない。

 英治はただその威容を見上げるばかりだった。

 人の身長など比べるべくもない、五メートルはあろうかという巨大な不死鳥の姿を。


 二人が覚えているのはそこまでだった。

 直後、施設全体が赤黒い炎に包まれる。元来、その研究施設は地図には記載されていなかったが、ついにその存在自体さえもが消滅した。

 残ったのは林のなかで倒れていた英治とココロと、一台のバイクのみ。

 

 不自然に木々が切断された円形の窪地には、研究施設があった痕跡など微塵も残っていない。

 コウは独り、山道を歩いて帰った。


「英治くん。私があなたを救ってあげるから」

 コウは闇のなかを歩いた。ただ英治の笑う顔を思い浮かべながら。

   

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