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8-2 心意気~闇の地下から~

「久方ぶりとなるが、元気にはしていたか」


実際、幾日ぶりだろう。

 アキラの一件以来、顔を合わせていなかった。

 とはいえココロは出会ったばかりの時と何ひとつ変わっていない。

 顔立ちは大学生くらいか。それでも異様に落ち着いている物腰から、見た目よりは多くの歳を重ねてきたのだろうか、とも考えられる。

 年齢を判別できない美しさを全身から放っている女性だが、しかし目の下には濃いクマができているし、肌もかさついている。薄いライダースーツはぴっちりとしていてボディラインを浮き立たせているが、それも誰の視線も意識しないからこそ着用できるのだろう、と英治には思えた。


「ちなみにあたしは、ずっと考えていたよ。キミのことを」


 彼女はバイクのハンドルを両手で支えながらしゃべっている。

 バイクといえば、初めて会った時もそうだった。それで一緒に夜道を疾走した記憶が蘇ってくる。

 今日もまた連れ出すつもりなのだろう。それでいったいどこへ向かうのかはわからないが、英治には予想がつく。また仮想生命体を倒せと言われるのだろう。

 正直、無視するべきだと思った。でもそうしなかったのは、ココロにこう言われたからだった。


「あたしはキミを利用していた。あたしの目的の実現のためだけに。だが、キミが必死に戦っているのを見て、キミにも人生があることを思い出した。今日は、しかしその上でキミをまた利用させてほしい……そのお願いを、しにきたんだ」

 ココロは英治の手を掴み、バイクにまたがる。

「今日だけでいい。今日が終われば、あとはキミが判断してもらってかまわない。何ならキミの内にやどってしまったムラマサを追い出し自由になれる方法も教えよう。だから頼む。今日だけは、あたしにまた利用されてくれ」

 英治はその言葉をきいてどう答えようか戸惑っていたが、しかし瞬時に断ることもできなかった。

(今日だけ、か)

 それは嘘なのか、どうか。判断できるほど英治はココロのことを知らない。

 ココロはすでにバイクのエンジンをふかしていた。ブルン! と排気ガスが吐き出される。

 ココロは何も言わず、こちらを見もしない。まるで英治がその後部座席に座ることがすでに定められていることだと言わんばかりに、ココロの背中は無言を貫いていた。

 何も強制力のないはずの背中。

 英治はため息をつくと、

「今日だけですよ」

 呟いて、バイクにまたがった。

 瞬間、スタートダッシュとばかりに急発進する。

「わ」

 反作用で体がもっていかれそうになり、反射神経だけでココロのお腹に抱きついていた。

 直後、その柔らかい感触に英治は驚いて、ココロが女性であることを再確認する。瞬時にコウに抱きしめてもらったときの記憶も蘇り、自分が男でしかないことを自覚させられる。

 好きでもないのに柔らかいと感じてしまう自分に呆れつつ、しかし高速で駆動するマシンに乗っている現状では彼女にしがみつくより他にない。


 法定速度を明らかに無視したバイクは通学路を駆け抜けて、街さえ抜けて……英治の経験の外にある世界に躍り出る。


 爆走しているにもかかわらず、ココロはヘルメットをつけていない。偶然警察が通りがかるだけで一発アウトだが、しかしココロは気にしていない様子だ。

 そのおかげか、エンジンがうなりをあげている中でもココロの呟きが耳に入ってくる。


「あたしはこれまで、ごまかしてきた。そしてキミに説明してこなかった。うやむやにしてきた、あたしが何故、奴らの存在を消し去りたがっているのかを」

 その口調は呟きそのもので、誰に向かって問いかけているのか判然としないくらいぶっきらぼうだった。言葉に熱を感じない、とも言える。ただ言葉を風に流しているだけのようで。

 だから英治はその言葉を耳にいれるだけで、こちらから返事することはおろか相づちをうつ必要さえないように思えた。

 人に言葉を投げていながら、会話をする気がない。会話をする気はないのに、それでも言葉を投げている。矛盾していながらそこに存在している彼女は、言葉を引き続き風に乗せていく。


「キミにとってはどうでもいいことかも知れないが、しかしあたしの研究成果である対情報兵器“ムラマサ”がキミに宿ったんだ。そのよしみというのも勝手な話だが、理解してほしいと思う、あたしの事情を」

 バイクは田んぼ道を抜け、ぐんぐんと山の方へ向かっていく。

 人の生活風景から遠ざかり、動物たちの縄張りでもありそうな自然が支配する領域に入っていく。


「あたしは台京透(だいきょう とおる)という男の助手をしていた。婚約もしていた。あたしが信じられるただ一人の人間だった。研究テーマは“仮想生命体の創造と、それが補助する人間の新たな生活の構築”。簡単に言おう、人を助けるAIをより高度なものにして、それを人の生活にもっともっと馴染ませていくための技術や社会構造、システムを生み出そうとしていたんだ」

 バイクは山道に突入し、ついにコンクリートも敷かれていない土が剥き出しの林を進むようになる。

 だが林は不自然に途切れていた。そこから先は、コンクリートがまた蘇る。

 バイクは林のなかに隠された、とある施設へと向かっていたのだ。

 英治はココロの肩越しに純白のセメントでできた広大な施設を見て、次にその門がかたく閉ざされているのも確認した。高さ五メートルはあろうかという鉄柵が部外者の侵入を拒んでいる。

 バイクの速度はまったく落ちない。鉄柵に激突せんとばかりに直進している。

 英治はさすがに危険を感じ、ココロの肩を叩いたが当の本人はそれさえ無視しておしゃべりに夢中だ。


「だがすべて、ダメになった。叩き潰されたんだ、この社会を支配する者どもの利権によってね。人間嫌いのあたしが、あの人と出会って変われたと思ったんだけどね。結局、振り出しに戻って余計に人が嫌いになってしまった。だが、あたしはどうしても諦めきれなくて、閉鎖された研究所に時たま、こうしてやってくるようにしている」

 それどころじゃない、バイクはもうすぐ鉄柵にぶつかる。

 英治は目を閉じたが、しかし同時に何も起こらない違和感もおぼえる。

 再び目を開けると、英治はバイクが真っ暗闇のなかを爆走していることを知る。地下道に入っているのだ。

 もう何が何だかわからないが、しかし相変わらずココロは状況を説明してくれない。

 代わりに彼女は、彼女のことを説明するばかり。


「あたしの夫は、この研究所の所長は自殺した。研究者たちの派閥争いに敗れた彼は研究が続けられなくなり、そればかりか国家を転覆するテロリストとして糾弾された。裁判さえ行われ、あたしも努力はしたが、結局は出来レースだった。一度定まってしまった運命からは逃れられないというわけだ。あたしは夫によって助手を解任されて無関係の人間とされて、おかげで裁かれずに済んだわけだが」

 ふっ、と自嘲気味に息を吐いた瞬間だけ、彼女の言葉に熱が宿る。

 バイクは一寸先も見えない闇のなかを進んでいたが、ココロの運転に迷いは見られない。彼女にとってはもう走り慣れている経路ということか。


「助手を解任されても、あたしはあくまで研究者だ。だからあたしは隠れてこの施設をつかって、とある研究を始めた。自殺することで仮想生命体としての新たな人生を歩んでしまった彼を、成仏させてあげる方法を」

 キュッ! とバイクが急停止する。

 英治は思わず鼻先をココロの背中に思い切りぶつけた。

「痛ッ!」

 しかしその背中はすぐになくなる。

 ココロは無言でバイクから体を離すと、そのままスタスタと歩いて行ってしまった。

 光の入らない闇のなか、ココロの背中だけが唯一視界におさまるものになる。

 離れては永遠にこの闇のなかで過ごすことになる……そんな予感が鳥肌となって英治の全身を苛み、結果、英治は指示もされずに彼女についていくことになる。


 しばらく歩くと、彼女は不意に立ち止まっていた。目の前に一際濃い闇が現れ、ココロがその闇の一端を掴んでひねった。

 ドアノブを握ったのだと思ったとき、英治はあふれる光を見る。

 そこは閉鎖されていたはずの施設の、とある室内。蛍光灯のもとに照らされた数々の電子機器がランプを点滅させているのがまず目に映った。

 コンピュータとモニターが大勢を占めて部屋を埋め尽くしているなか、その中央に鎮座する棺桶のような柱がある。

 それは床と天井をつないでおり、さらに正面には扉があった。扉にはドアノブが存在しないが、電動で動くのだろうと予想がついた。エレベータとそっくりだったのだ。

 英治の予想は的中し、ココロが柱の表面に埋め込まれているタッチパネルを操作すると扉は左右に自動開放され、円筒形のスペースをのぞかせた。

 ココロはそこへ入り、英治も続くしかない。

 それは真実、エレベータだった。

 二人が中に入った瞬間、扉は自動的に閉ざされ空間全体に加圧がかかる。エレベータが上昇をはじめたのだ。

 隠し通路である施設の地下道から、目的地となる地上階層へ。


 扉が開いたとき、すぐに英治は目をそらした。

 鎖につながれた人型が見えたからだ。

「紹介しよう。あたしの夫だ」

 ココロは言いつつエレベータから出る。

 英治もそれに続いて、そうして広大な空間へと足を踏み入れた。

 床も壁も天井も、すべてが灰色のコンクリートの打ちっ放しの、だだっ広いだけの部屋。いやそれは部屋と言うより、単なる空間と呼ぶ方が自然だった。

 何の思考も工夫も法則性も必要としない、ただ何かを収容できればそれで良しとする、いわば牢獄の冷たさ。

 室内はやけに明るかった。天井全面に配置されたライトのせいだ。その光度は強く、あふれる白色光がよりいっそうコンクリートの灰色を浮き立たせている気もする。

 無味乾燥の輝きに洗い流された灰色の室内の中央に、人型の何かが立たされている。

 人間では、なかった。

 英治はそらしていた視線を戻し、歩きながらゆっくりとそれを観察する。

 肌色をしているが、あきらかにそれは染色された色であり人のものではない。実際、金属光沢が各所に見えた。


「自殺した夫の脳に流れていた電流が、ちょうど研究用に造った人型機械に流れてしまった。そうして、それは起動したんだ。実験の機会を与えてもらえなかったせいでこの世界に顕現できなかった仮想生命体の、はじめの形――コード:0」

 ココロは言い放ち、左右の壁から伸びる鎖に手首を縛られたその機械人形の前に立った。

 瞬間、人形のちょうど瞳の位置に青色のランプが灯る。

 青白い仮想の花と同じ色をした機械の瞳が、いま現実世界を映し出す。

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