表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/92

7-6 ヴァニシング後日談~ニュー・ヒーロー~

 勝った。

 しかし殺した。

 完全融合態となった仮想生命体を削除したことは、とりもなおさず、英治があの空城忠を文字通りこの世から抹消してしまったことを意味する。

(僕はまた、殺した)

 脳接続を解除し、アドレナリンの分泌促進効果も消失してしまった瞬間、英治はまたも悩みの谷底に突き落とされることになる。

 両膝を地面につけ、両手をコンクリートに当てた。ゴミ捨て場の目の前でくずおれた英治は瞳を閉じる。

 滲んでいた視界が闇に消えた代わりに、涙が熱くしたたり落ちていく。

 

 あの殺人鬼は言った。彼と自分とが同じだと。

 仮想生命体を削除することが人殺しになるのだとしたら、結局彼の言うとおりではないのか?

 何ひとつまともな反論ができないままに相手を殺したことが、英治の胸に澱となって沈んでいく。

 もしもこのまま仮想生命体を殺し続けて、そうして一生を終えてしまったとしたら?

(僕も殺人鬼に、なってしまうのかな)

 その問いに答えてくれる人は、英治の他には誰もいない。


 不意に、パチパチパチ、と乾いた拍手が鳴り響いた。


 星空の下、路地裏のゴミ捨て場で響くその音は林立する商業ビルの壁に反射し、木霊する。

(誰か、くる……?)

 英治が目元をぬぐって顔を上げると、点灯をはじめた街灯の白い輝きの向こうから背広の男がやってきた。

 カツ、カツとゆったりとした靴音を鳴らすその男は、菅田だった。


「いやあ、実に見事でしたよ。九籠英治くん」

 メガネをくいと持ち上げた彼は、英治に手をさしのべた。

「インフィニティを呼び出して救助しようかとも思いましたが、最後まで戦ってくれましたね。感謝いたします」

 月明かりのような電気の光を背にした彼は、あたたかな笑顔を浮かべていた。


 一方、英治は光の中からさしのべられた手を握り返そうとは思わなかった。

 コンクリートについたままの両手をぐっと握って、拳を震わせる。

 もともと殺人を依頼してきたのは菅田その人だ。

 警察官の手を汚すわけにはいかないからという、ただその理由だけで一般人に殺人を頼み込んできた。

 そんな人間の手を握り返してしまったら、今後の人生はどうなってしまうんだろう。それを懸念せずにはいられない。

 さしのべられた手を振り払いはせず、しかし握ろうともしない。もう菅田の言葉には従いたくはない。

 英治は相手の手を無視し、代わりに己の両手を握って拳をつくって何とか立ち上がると、菅田と目を合わせた。

「殺しましたよ、言われた通り。これで、満足ですか」

 思わず睨んだ。

 それで英治はもう精一杯で……次の瞬間、また両膝を地面につけていた。

「なっ」

 全身に力が入らない。足が凄まじい勢いで震えていた。

 両手を地面について受け身をとろうとしたが、しかしそれさえできなかった。

 ぱたり、とその場に倒れた英治をみた菅田は「まあ、そりゃそうですよね」と独りごちる。

 英治の体は空城、いやコード:グレムリンのおかげでことごとく切り刻まれている。

 脳接続が実行されている間こそ肉体は機能していたが、全身の傷が治癒されるわけではなかった。脳接続が解除され、その力が消えた瞬間、肉体は本来の人間並のスペックに戻る。

 文字通りボロボロの肉体はすでに限界に達しており、出血もつづいている。

 出血についてはカサブタが形成されつつあるから血の海ができることはないが、ズタズタに“切り裂かれた”筋肉はすでに機能不全。

 動かない体をどうにもできず、英治はただ睨む目線だけを菅田に注ぎつづける。

 一方、菅田は視線を受け流しつつ警官用の携帯電話を懐から取り出しつつ、ちらと英治をみやった。

「今回は特別です、英治くん。空城の存在を抹消することはしません。もっと異なる形で、現実改変を行ってあげましょう」

「特別?」

「まあ、明日の朝を楽しみにしておいてください。私の依頼をしっかりこなしてくれたお礼だと思っていただければと。それでは、救急車は手配してあげますから。しばらくここで横になっていてください」

 携帯電話を操作しつつ、菅田は言葉を継ぐ。

「それと、あの男……殺人鬼のわりには、否定しがたいことを言っていましたね。もちろん、警察官としては受けいれがたい論理ではありましたが。ただまあ、そうは言ってもこの社会が腐っているということだけは、正直、同意するしかありませんがね」

「警察官、なのにですか」

「ええ。だからこそ、ですよ。犯人を捕まえたのは良かったものの、実は被害者の方が人間として腐っていたという事件も、割合としては少数ですがなくもないんです。そんな事件を担当した時はいつも、腐った奴さえ護るしかない自分の立場が嫌になるものです」

 菅田は携帯電話を閉じて、再び懐にしまい込んだ。

 一度咳払いをはさむと、

「余計なことをしゃべりましたね。とはいえ、世の中というのはそういうものなのですよ。学生であるあなたにはまだまだ理解したくないことかも知れませんがね。ですが、理解してしまいそうになった時、どうか空を見上げてみてください」

「そ、そら?」

「ええ。私もあなたも、同じ空が見えるでしょう? 私たちだけじゃありません。この世界に住む者にはひとしく、同じ空が見えるのです」

 英治は思わず言われた通りにする。

 首が動かないから目玉だけを動かして遠くの空を視界に映してみた。燦々と星が瞬いている。明日は晴れか。

「晴れも雨も、私たちは分かち合っている。この世界に生きている限り、私たちには等しく苦しみが与えられる。まったく等しいわけじゃあありませんがね。そのことをどうか、覚えて置いてほしいのです」

 菅田はそうして、踵を返して去って行く。

「ちょっと」

 英治は菅田の背中に手を伸ばそうとしたが、それさえできなかった。

 

(そんなこと言ったって……僕に殺しを頼んできたことは、変わらないのに)

 それでも星は綺麗で、空はそういえばいつだって世界を包み込んでいて。

 夜の闇のなかでも輝く星々の小さな、しかし絶対的な輝きだけがやがて英治の瞳に映り込んでいく。


 瞬間、英治の意識は途絶えた。



 英治は病院のベッドの上でそのニュースを聞いた。

 隣の入院患者のベッドに備え付けられたテレビから、音だけが漏れてきたのだ。

 全身の傷は治療されて出血は止まり、体もどういうわけか元通り動くようになっている。わずか一晩で、だ。

 それほど現代医療が凄まじいものになっているとも思えず、治療中の記憶がないことが恐ろしくも思えてきたが、とはいえ体が自由に動くのはありがたかった。


『皆さま、おはようございます。今朝は安心できるニュースからお伝えいたします』


『昨晩、あの連続殺人犯が警察によって現行犯逮捕されました』


『空城忠容疑者は犯行を認めており、専門家によると死刑が適用される可能性もある、とのことです』


『なお、この逮捕は現場に居合わせた男子高校生の助力がなければけして実現できなかった、と警察が発表しています』


『ちかく、市はこの男子高校生に名誉市民賞を与えるとして手続きを行うとのことです』


『高校生の名前は、九籠英治くん。新しいヒーローの誕生ですね』


『さて、それでは次のニュースです。雲の上に住宅を建造する新技術が導入されて約一年が経過しますが……』



 英治はただ呆然と、窓を見た。

 地面は見えないから、それで高層階にいるのだとわかる。

 どこまでも広く、澄んだ青空が窓一面を覆い尽くしていた。

 英治はベッドから起き上がると、床に足をつけた。ひんやりとした感触で寝起き頭の目も覚める。

 窓のロックを解除し、フレームに手をかける。一気に引いて窓を開いた。

(ここから飛び降りたら、いつでも死ねる)

 そう思う。

 窓枠はけして高い場所にあるわけではなく、英治の胸ほどの高さでしかない。

 だから窓の向こうに行くことは、そう難しいことでもなかった。

 英治はフレームに手をかけて、そうしてしばらく青空を見ていた。

 冷たい風が頬を撫でた。切り傷がじんと痛む。

 英治は見た、はるか空の彼方に浮かぶ黄金の太陽を。


 また今度にしよう。

 まだ、がんばってみよう。あの二人がそれを許してくれるかどうかは、微妙なところだけど。


 英治はそっと、窓を閉めることにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ