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7-5 ナイフの男・鏡像

【脳接続 継続】


「あんたを見るまでは、俺さあ、どんなつまんねえ奴なんだろうって思ってたんだよ。仲間たちを次々と殺してるってこと知った時、この腐った世界を護ってるクソ野郎もいるもんだって。反吐が出るほどムカついたさ」


 構うものか。俺は鬼切を振り下ろした。

 グレムリンはただオモチャのナイフを軽く振る。

 それだけで鬼切は簡単に弾かれた。

「くっ!」

「でも実際のあんたをみて、昔の俺みたいだって思ったよ。あんた、思ったことウチにためちゃうタイプだろ?」

「知った口、聞くな!」

 俺はたまらず舌打ちして、鬼切をまた振り下ろした。

 だがそれも簡単に弾かれる。

「お前に俺の何がわかるってんだよ!」

 足を踏ん張って、もう一度鬼切りを振る。今度は右から左に横一閃。

 グレムリンはターンして避け、そのまま踏み込んできた。ナイフの間合いに俺を捉えるつもりだ。

 俺は鬼切を空振りさせながら半歩引いて距離をとりつつ、ムラマサ・グリップをすがるように握りこむ。

「殺人鬼のくせに!」

 言葉とともに再度の斬撃を繰り出した。

「俺とあんたは、きっと話が通じると思うんだけどなあ」

 対してグレムリンは身をかがめて頭上に斬撃をやり過ごすと、そのまま突っ込んでくる。

 正直、俺は絶叫したくなる。

 堪えて、両足を踏ん張ってそのまま突きを繰り出してやる。

 血のように赤くたぎった刃が空間を切り裂いてグレムリンに向かっていくが、しかし奴は器用にも肉体をくねらせ空中で横に左回転、突っ込む勢いを減退させることなく避けてくる。

 すばしっこいったらない!

 グレムリンの顔が俺の手首を通り越して、ついに俺の目の前にやってきた。

 奴の左手が俺の頬を撫で、空城の瞳が俺を見据える。

「俺とあんた、ともにこの腐った社会に居場所はねえ。そうだろ?」

 そうしてグレムリンは右手に握ったナイフを俺の首筋に突きつけてきた。

「人様と上手に関われねえやつはさ、みんなから嫌われちまう。それどころじゃなく、変人扱いされて排除されちまう。俺もあんたも、そうやって馬鹿にされてきたクズ人間同士だろ。違うかい?」

 瞬間、一切の時間が停止したんじゃないかと思えるくらい、俺もグレムリンも動きを止めた。

 首筋にナイフを突きつけられたんじゃあ俺は動きようがない。

 だが、グレムリンも何故かその姿勢をキープしたまま動かない。嗤ったように輝く両目を俺に向けたまま、俺の返事を待ってる。

 奴はまだまだ遊んでいるのか。

「俺は……クズ人間じゃ、ない」

 せいぜいそう返事をするのが精一杯だ。絞り出した声が知らずに震えた。

 だが気にしてもいられない。俺は頭を巡らせる、この状況、この危機……いったいどうやって乗り越える?


「ホントにそうかよ。制服きたまま街に繰り出すなんてこと、不良でもなけりゃあクズ人間にしかできねえ芸当だぜ」

 だろう? とグレムリンは笑いながらペチペチと俺の頬にオモチャのナイフの鎬部分を当ててくる。

 頬を軽く叩いてくるナイフの感触は、オモチャのはずなのにひんやりとしていた。

 せいぜい遊んでいろ。とはいっても困ったことに、状況を打開する手段は皆無だが。

 だから俺は奴の問わず語りすら止められないでいる。


「あんたはまだ若い。しかも手足はガリガリだ。とてもじゃないが、喧嘩で鍛えたタマじゃあねえ。でも何故かあんたはさ、俺をこの姿にさせるくらいにはよく戦えてる。わかるよ、俺にはわかる。あんた、その力を手に入れてからさあ、力を使うことを楽しんでたんだろ? 楽しみながら、俺たちの同胞を殺し尽くしてきたんだろ」

 グレムリンの口元はにやけていたが、その両目はすでに笑っていない。かといって鋭い色を帯びているわけでもなく、ただ奴は暗黒の眼で俺を見据えているだけだった。

 まっすぐなその黒い瞳孔は、俺の視線をブラックホールのように吸い尽くす。その瞳の色をみて、俺は憐憫という言葉を思い浮かべた。

 奴は俺を、憐れんでいる……?


「俺もわかるよ、あんたの楽しみ。人を傷つけて、殺すのって気持ちいいよな? 一度やったらくせになっちまうくらい、最高だよなあ。なのに、この腐った社会を護ってたんじゃ矛盾してるってもんだ。あんた、自分で自分の人生、辛くしてるよ?」

「どうして、そんなことがわかる?」

 俺はとうとう、黙っていられなくなる。

 聞いてもいない自分語りに満足せず、あまつさえ俺を憐れんで人生相談だと?

 ふざけるのもいい加減にしろ。

「俺は、俺の好きなように生きてる。毎日毎日、クソッタレな毎日を必死に、」

「毎日がクソッタレだって言うんなら、どうしてそこにいつまでも囚われてるんだ?」

 俺の言葉を遮って、グレムリンは俺に言葉を押しつけてくる。同時にナイフをくるくると掌で回転させ、そうして改めてその刃先をのど元に突きつけてくる。


「毎日がクソッタレっていうんなら、この世界が、この社会がクソみたいなもんだと思う心がまだあるんなら、抜け出しちまえ。それが一番、楽だぜ。実際さ、学校サボってどうだった? 楽になっただろ。一緒だよ。道義とかさ、常識とかさ、そんなもンから解き放たれて、この社会もサボっちまおうぜ」

 いったい何のアドバイスか。

 だが俺は困ったことに、そんな殺人鬼からの助言を否定しきれない。

 現実に俺は、俺の好きなように化け物どもを殺してきた結果、あのおじいちゃん思いなアキラを死なせ、天才に成長したかも知れないワタルをも殺してしまったのだから。

 仮想生命体を殺すことと、俺の人生を満たすことは本来、イコールで結ばれるはずだった。草むしりする感覚で敵を殺せばいいんだから。

 でも俺は、そう思い切ることができなかった。敵を殺すことで、願いを殺すことで、他人を殺した。それが草を引っこ抜くのと同じくらいのことだと思うことができなかった。言葉を飾って言うなら、俺は他人の命を軽んじることができなかった。

 目の前の殺人鬼みたいに、すべてを割り切れてしまえばどれだけ楽だろう。


 俺は、俺自身に問わずにはいられない。

 俺に生きてる価値なんてあるのか? そう俺自身に問えば、俺は言葉に詰まる。

 でもあの教室に――いや、この社会に――俺の居場所はあるのか? この問いには即答できる。

 俺はだから、自殺を考えていた。

 それなのに目の前の小悪魔(グレムリン)は俺をもうひとつの道に誘惑しようとしている。

 そうとわかって俺は、しかし反駁の言葉も重ねられない。

 誘惑は確かに俺を惹きつけてもいるからだ。


「罪を犯して、重ねて、後戻りできないところまで行っちまえ。その時わかるよ、人はひとりでも生きていける。親や友人がいないとさびしくて死ぬなんてこと、妄言だってわかるよ。この世界がクソみたいにできてるならさ、俺たちもどんなにクソみたいに生きてたって良いんだぜ? 成功者って奴が、俺たちを出来損ないって笑う奴らが現にそうやっているようにな」

 グレムリンはそこで、なあ、と一押しする。

 ナイフの先端が俺の喉の表皮だけを切り裂き、薄い真皮を剥き出しにさせる。切られたのに痛くないし血も出ない。

 どこまでも奴は俺をもてあそんでいる。


「俺たちでこの世界を覆してやろうぜ、なあ。俺たち仮想生命体ならそれができる。人の願いを叶えた末に、腐りきった現実を変える力が与えられるんだ。そしたらもう何でもありだ。現実を思う存分変えられる。最高の日々がやってくる……あんた、こっちに来いよ」

 俺の喉を舐めたナイフの刃先が、つぎには別の箇所の表皮を“切り裂き”始める。

 ついでとばかりにグレムリンは、泣いている子をあやすみたいな優しい手つきで俺の頭を撫でていた。

 その時気づいた。

 俺は、顔を泣きはらしていた。


「そんな、都合のいいこと!」

 ナイフが首筋に当てられているのも構わない。

 俺は反射的に叫び、滲んだ視界のまま鬼切を振るう。

「よっと!」

 触れるものすべてを削除する赤い刃が空間を疾走した。

 たまらずグレムリンは後方にステップを踏んだ。

 刃の残像が、俺と奴との間に距離をつくった。

 俺は、そして叫んでいた。

「どう変えたらいい? どうすればいいんだよ! 現実を変える力が与えられる? そんなもの手に入れたって、俺は……使い方が、わからない!」

 こうしていま握ってる鬼切だって、いま俺に宿ってるムラマサだって、俺は正しく使えているかがわからない。

 仮想生命体を殺すことが正しい使い方だと、そう言われている。

 だがその正しい使い方とやらで、俺は大切な命をも消去してしまっている。

 そんな俺が仮想生命体になったところで、きっと俺は、また大切な命を消し去ってしまうだろう。

 俺は何が大切なのかも判別がつかないクズなんだ。

 そんな俺は。

「俺は、死ぬしかないんだよ!」

 どうあっても救われる未来が見えない。どんな言葉で言い訳したって、俺の人生は許されない。誰が許したところで、最後は俺自身が許してくれない。

 そして俺の人生を生きるのは俺なんだ。その俺自身が俺の生を許してくれないんだから、もうどうしようもない。

「邪魔をするな!」

 叫び、真っ白になった頭で、最高にクリアーになった頭で目の前の現実を見る。

 瞬間、俺の脳に大量のアドレナリンがぶち込まれた。


『何も考えるな、思い悩むな。自分を苦しめるな、己にかけたクビキを外せ……ただ、奴を倒すことだけを考えろ。悩み事はその後で、いくらでもできる』


 声が響いた。地底の奥から響いてくる、電波みたいに受信可能な声。

 それが俺の気分をハイにして、運動能力さえ高めて、すべてを楽しませてくれる!


「振り切っちまうか。さすがに、男だ」

 グレムリンはにやりと笑うと、瞳に浮かべていた一切の色を消し去って。

「残念だよ。話があうと思ってたんだけどな。どうやらあんた、俺以上の分からず屋で、夢想家で、頑固なクズ野郎みたいだぜ!」

 キヒィ! と喉を鳴らしてナイフを赤い舌で舐めやがる。

 それで準備は終わりか、奴はその場でナイフをぶんぶん振り回す。

 刹那、俺の視界をナイフの軌跡が埋め尽くす。

 その直後だ、俺の全身が“切り裂かれた”のは。

「ぐっ!」

 手が、手首が、腕が、足が、足首が、胸が喉が髪が鼻が背中までもが切り裂かれていく。

 俺は、しかし耐えた。

「これくらい!」

 奴の一撃は、ただ俺の表皮を削り取っているだけに過ぎない。

 このまま永遠にそれを喰らい続ければさすがに全身血だらけになって大量出血で死ぬだろうが、命を落す前に俺が一撃を返せればそれでいい。

 俺が力尽きるのが先か?

 はたまた、俺が奴を切断するのが先か?

 ドッグファイトの始まりだ。


「痛くねえのか、なあ!」

 グレムリンはナイフを振りまくる。

 文字通り、俺は満身創痍になる。ナイフの嵐に見舞われているようなものだ。

 だが、俺は殴られ慣れている。タケトの野郎にいじめられたおかげで、俺は痛みには耐えられる!

「斬ってやる。確かに俺は、それを楽しんでた。でも!」

 俺は渾身の一撃を見舞うべく、赤い刃を振り下ろす。が、刃先はむなしく空を切った。

 奴の動きは俊敏に過ぎる。そして無駄がない。半歩体を退けただけで俺の刃をやり過ごし、そうしてナイフを向けてくる。音すら超える、超速のひと突きだ。

 あまりの速度に空気が破裂して風が吹き、俺の頬に一文字の傷が付く。ついでに喉から血が出た。


「俺は悔やむことを止められない。お前みたいな殺人鬼には、俺はなれないんだ!」

 恋人のいる奴が、いない奴にアドバイスするのと同じだ。

 趣味をもっている奴が、そうでない奴にアドバイスするのとも変わらない。

 奴は自分自身を許す術を知っている。物事の割り切り方を知っている。

 だが俺はそれを知らない。

 持っている者が持たざる者に言葉をかけたって、それはうるさい言葉にしかならない。

「満足してるからって! それを俺に、押しつけるんじゃねえ!」

 俺は全身を声にして叫んだ。

「そっとしておいてくれよ……黙っていてくれよ!」

 再び視界が滲んだ。

 刃を振りながら、俺は見た。

 グレムリンが笑顔すらけして、歯を食いしばるような苦しそうな表情を浮かべるのを。

「目上の人間の助言は聞くもんだぞ? この、分からず屋のガキが!」

 グレムリンはナイフを振るのも飽きたのか、自ら向かってくる。俺にトドメを刺すつもりだ。

「なら俺が殺してやる。殺人鬼と誰もが認めるこの俺が、その苦しみ尽くしのクソ人生から楽にしてやるよ、クソガキ!」

 オモチャのナイフをめいっぱいに構えて、グレムリンは俺の刃を思い切り弾いてくる。

 その動きは素早く、数多の残像を空間に生み出している。分身と勘違いするほどの威容をもって、奴はすぐに反撃を繰り出してくる。

 狙いは俺の首筋……あの突きがまた、俺に繰り出される。

「そう何度も、喰らうもんかよ」

 俺は奴の動きを向上した動体視力で捉える。

 もうすでに見切った。

 俺は鬼切を握っていない左手で、奴の手首を思い切り掴んだ。

「なっ!」

 突きを繰り出そうとしていたグレムリンの体勢は崩れ去り、そうして動きさえ封じられる格好になった。

 奴はばたついて俺から逃れようとするが、俺はけっしてその手を離さない。

「斬ってやる……そのお前の、願いを!」

 鬼切が赤く輝き、そうして俺はグレムリンの首を切断した。

「ただ滅びを待て。お前はすでに、“裁かれた”」

 瞬間、人間の血がグレムリンの首からほとばしる。その生首がコンクリートの上に落ちて、俺が手を離せば首を失った肉体も倒れ伏す。

 肉体が地面にくっつく直前、グレムリンを構成していた物質のすべてが青白い輝きの粒子に変換されていく。

 路地裏を汚していた血も輝きに生まれ変わり、そうして粒子は天に昇っていった。

 その粒子がそのまま星になったとでも言うように、闇に染まった世界は星空を浮かび上がらせる。

 俺はそんな空の下、両膝を地面につけてくずおれた。

 星空が俺の視界のせいで滲んでいく。俺がみっともないばかりに、この完璧なはずの星空は歪んでいく。

 

 殺人鬼にすらなりきれない俺はいったい、どうしたらいい?



【脳接続 解除】

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