7-2 ナイフの男・路地裏
『皆さま、こんにちは。お昼のニュースをお伝えします』
『いまから二時間ほど前となります、午前十時ころ、街中で女性の遺体が発見されました。路地裏を通行していた近隣住民が警察に通報したとのことです』
『遺体の全身に傷跡が見つかっており、今朝に発見された遺体と同様の手口によるものとみられます』
『連続殺人の線で捜査するとともに、近隣住民の方はひとりでの外出をさけるなど、警察が注意を呼びかけています』
『それでは次のニュースです……』
※
路地裏のゴミ捨て場の右隣に咲くアオマキグサの前で、空城は口元をにやけさせて質問してくる。
「それ制服だろ? 学校はどしたの」
なら見ればわかるでしょ……サボりだよ。そう言いたい気持ちを抑えて、英治は下を向きながら、
「ちょっと、色々あって」
嘘をつく余裕もなく、かといって素性の知らない相手にこちらの事情を打ち明けたくもない。
そもそも見知らぬ誰かに話しかけられること自体、英治にとっては災害に遭うようなものだ。得体の知れない人間に対しては警戒するしかなく、まともに視線を合わせることもままならない。頭のなかは常に真っ白になってしまい、ともすればさっき自分が口にしたことさえ忘れてしまいそうになる。
「色々、ねえ」
対して空城は、そり残しのヒゲがそこここに浮かぶけして綺麗とは言えない顔を依然としてにやけさせると、
「俺もそうだよ。俺も色々、あったな」
独りごちた。
そりゃそうだろう、色々なければホームレスなどやってない。そう言いたかったのも抑えて引き続き下を向いた英治だが、空城は話を止めようとはしなかった。
「人と話したり、とにかく関わることが嫌でさ。こじらせて仕事やめて、ついにプー太郎になっちまった」
興味もない回顧録を聞かされるほど退屈なことはない。
しかし英治は、空城の声を耳に入れてはいる。
「でもいまは全然、楽しい。心根ひとつ、受け取り方ひとつで人生変わるよ。だから色々あっても大丈夫だ、少年!」
下を向いて猫背気味にすらなっていた英治の背中を、空城はどーんと思い切り叩いた。
「うえっ」
その力強さに思わず腹の底から息を吐き出した英治は、恨みを伝えるべく空城を睨もうとしたが、彼はすでに英治から離れ始めていた。
「引き留めて悪かったな、少年。だが人生山あり谷ありだ。どんなにつまんなくても、いつかは楽しいときが来るってもんよ。それにな、人はひとりでだって生きていられる。だがまあ、せめて人の眼をちゃんと見れるようにはなってほしいけどな」
路地裏に声を響かせるようにして、空城はゆったりと去って行く。
その間際、英治は睨むついでに背中を向けつつある空城の横顔とその瞳を覗きこんだ。
やけに鋭利な視線がそこにあった。英治は急いで目を反らしたが、しばらく全身の肌は粟立った。
(いったい、何だったんだろ?)
突然はじまった会話の、忽然とした終わりに唖然として、ついに彼の背中が見えなくなるまでその姿を目で追った英治はひとり、首をかしげた。
最初にアオマキグサが見えていることを訊ねられたのに、ついにその話はされなかった。興味もない人生観を聞かされるだけ、という無駄な時間以外の何ものでもない時を過ごした英治だが、しかし肩にはいまだに空城の握力の痕跡が残っているし、叩かれた背中も痛い。
英治は殴られ慣れているからわかる。あの男の怪力はとても凡人のものではない。特殊な訓練を受けている可能性さえある。
そんな相手を終始刺激することなく、本気で殴られるような展開にならなかっただけでも良しとするべきか。
できればもう二度と会いたくない相手だ。ホームレスの割りにはやけに鋭い瞳をぎらつかせているし、やはり普通じゃない。裏でいったい何をやっているのか、知ってはいけない気もする。
いっそそう思うことで自ら思考を停止した英治は、まさに災害以外の何ものでもなかった不審者との遭遇など忘れることにし、自分がいまどこにいるのかを再確認するべく路地裏から抜け出した。
アオマキグサのことも、もうどうだっていい。
影から脱してメインアーケードに躍り出た英治は、晴天の下、太陽光をめいっぱいに反射する数多のウィンドウに目をやった。
歩道に面するガラス張りの空間の向こうには女性物のバッグや夏物ファッションの数々が披露されている。あるいは店舗によっては笑顔で見つめ合うカップルがティーカップを持っている様子も公開されている。
それはおしゃれな喫茶店。
英治はいまここに、生まれて初めてひとりで喫茶店に入る決意をした。
時刻はちょうど正午。お腹の虫も騒ぎ出した頃で、つまりは何かが食べたくて仕方がないのだ。
とはいえ、英治はいかにもおしゃれなそのカフェのドアの前に立った瞬間、制服を着ている自分がやけに浮いているような気がして早々に入店を断念する。
その代わりに、はす向かいのファミレスに目をつけた。
そもそもおしゃれなカフェの扉は自動ではなく、自ら押し出す必要があった。だから余計にプレッシャーを感じてしまう。
他方、このファミレスはガラス張りの自動ドアを採用している。おかげで店の前にたってしまえば迷う間もなく入店することになるし、客層もおじいちゃん、おばあちゃんや親子連れが多く、若いカップルは少なめだ。
(ここなら、落ち着くかも)
何の根拠も確証もない感想にすぎなかったが、しかしそれで迷いさえ消してしまえば英治を縛るものは何もない。
英治の入店を祝福するかのようにピロリロリロと来客を告げる電子ベルが響けば、給仕役を務める女性店員が笑顔で席まで案内してくれる。
「では、おきまりになりましたらボタンでお知らせください」
着席したが最後、店員に声をかけずともボタンで呼び出せるとあれば、すでに英治にとってこのファミレスは最高クラスの設備を備えた店舗も同然で、むしろこちらから声を発しなければ給仕が来ない高級レストランは下劣な店の部類に入る。
ひとり悠々とメニューとにらめっこした英治は、そこから三〇分の時を経てようやく注文を決めると、次に財布の中身を確認して金額が予算をオーバーしないかもチェックする。そこまでの工程を完了すると、満を持してボタンを押した。
結局オムライスとヨーグルトパフェとドリンクバーを注文し、英治はおよそ一年ぶりとなる外食の喜びをただひとり、独占して満喫する。
ファミレスとはいえ、外食は外食である。
ふわふわの卵がケチャップライスを包み込むその妙味を堪能しつつ、ドリンクバーで好みのジュースを選ぶことができる。夢のようだった。
「ごちそうさまでした」
身も心も満足した食事を終えた英治は自然と空いた皿の前で手を合わせ、そうしてしばらくジュースをおかわりしつつ余韻を楽しむ。まだ口の中に残るヨーグルトの酸味とチョコレートのほろ苦い味わいとが溶融した旨味の残滓をお茶とジュースの大波小波で流しつつ、不意にスマートホンを起動してデジタル時計を確認する。
時刻にして午後三時。
(ちょっとゆっくりしすぎたかな)
店内を何度も往復する店員さんの姿をみて密かに反省した英治は、立ち上がって会計を済ませようとする。
「いけませんねえ、事情がどうあれ学校をサボってしまうとは」
聞き慣れたとはけして言いたくない声が、英治の耳朶をうつ。
まさかこんなところで会うことになろうとは、欠片も予想していなかった。
見上げてみれば、背広にメガネをとりあわせている男性――警察官の菅田が立っている。そればかりか、英治の隣に腰掛けるべく身をかがめ始めているではないか。
「な、なんです?」
そう言いつつ急いで立ち去ろうとした英治だが、
「少し付き合ってください。お話があります」
言うと同時に菅田は懐に手を伸ばし、一枚の写真を取り出した。
「この男に見覚えはありますよね?」
立ち去ろうとしたが、その写真に目が釘付けになる。三〇代前半と言った若い顔立ちに、そこここに剃り残したヒゲのある男の目が、こちらを無言で捉えていた。
さっき路地裏で会ったばかりだ。空城忠その人だった。
「見覚えはないとは言わせませんよ? なにせ私はあなたを監視している身なのですからね」
退路を断つ言葉を一方的に放ちながら、菅田は微笑を浮かべて英治の瞳を覗きこんでくる。
「この男、実は殺人犯なんですよ。すでに五人もの罪なき人々を殺害している。あなたが接触したとき、実は彼、後ろ手にナイフを握っていましてね。途中で気が変わったようなのであなたは殺されずに済みましたが……正直、見ていてひやひやしましたよ」
「な、ナイフ?」
「ええ。彼はどうやらナイフの達人みたいでして」
空城に意味不明な話をされた理由がそのときに飲み込めた。どうでもいい話を始めたのは、あくまで獲物をその場に固定するためだったのだ。そうやって彼は殺人を犯していたのか。
正直、英治は菅田が気に入らないのでその言葉を信じたくはなかったが、不思議と空城と殺人犯という言葉はすぐに結びついた。
空城の雰囲気は常人離れしていた。路地裏でゴミをあさっているだけだったはずなのに、やけに鋭い瞳をもっていた。
見る者の肌を無条件に粟立たせる視線は、普通の生活をしている者の目ではなかった。かといってただ落ちぶれているだけの人間が、はたしてそんな目をするものだろうか。
「僕は殺されかけていたってことですか?」
「そういうことです」
なのに菅田はただ見ているだけだったのか。英治は目の前の警察官を自称する男の立場を疑ったが、しかし菅田はあくまで飄々と言葉を継いでいく。
「だからこそ、あなたが適任だと思って話をするんですがね。要件を伝えますと、あなたにこの男を殺していただきたいのですよ」
「こ、ころ?」
「ええ、殺していただきたいのです」
警察官が民間人に殺しを要求する。
英治はしばらく目をしばたたいた。呆れて言葉もでなかった。




