7-1 ナイフの男・中央市街
『皆さま、おはようございます。午前七時となりました、ニュースをお送りいたします』
『今朝未明、山中で男性遺体が発見されました。体にはナイフで斬りつけられたものと思われる傷が見つかっています』
『警察は他殺の線で鋭意捜査中とのことです。それでは次のニュースです……』
※
午前七時半、英治は家から出発して通学路を歩く。
向かう先は高校……のはずだった。
しかしいまや高校とは逆の方位に足先を向けて、歩き出している。
もう誰とも会いたくないし、話したくない。正直、家の中で両親とあいさつをかわすことさえ怖かった。
朝、ベッドから起きた瞬間アキラやおじいちゃんの死体が脳裏に蘇った。そうでなくとも、今日は夢の中でもワタルを永遠に探しつづけていた。裏山の竹林にひとりで取り残され、ずっとワタルの名を呼んで彷徨う夢だ。
悪夢以外の何ものでもないが、それは実際、現実に起こったことでもある。
(僕は、ひとりで生きるべきなのかな)
その確信がずっと胸中に残っている。
実際、自分と会わなければ彼らはいまごろ生きていられたに違いないのだから、自分が他者を不幸にしてしまう人間であると英治が考えるのは、当然の論理的帰結である。
(最悪、自殺もしないといけない、かも)
高校とは真逆の、中央市街に向かう道を歩きながら英治はそこまで考えていた。
多くの車が走っているだろう中央市街のメインストリートであれば、歩道橋から落ちるだけで簡単に旅立ちができそうだ。
「あれ。九籠くん、学校じゃないの」
「え?」
不意に英治は聞き慣れた女子の声を聞いた。ずっと下ばかり向いてコンクリートしか見ていなかったから、往来にどんな人間がいるのかさえ把握していなかった。
見上げれば、メガネをかけたミドルヘアの美少女がいた。相変わらず感情のうかがえない落ち着きすぎた瞳を浮かべるクラスメイト……コウだ。
一切揺れ動かない確固とした視線と同時に、コウは抑揚の乏しい口調で言う。
「どうしたの」
言葉としては疑問形なのだろうし、実際コウはちょこんと小鳥のように首をかしげている。だが抑揚がないせいで、それは質問というよりも非難のように英治には聞こえる。
事実、英治は学校をサボることに後ろめたい気持ちはある。それも親にも教師にも無断で。
誰とも話したくないし、何も考えたくない。それに朝がくれば学校に行かなくてはいけないという全自動的な習慣も嫌になった。そういうわけで自然と学校をサボる結論に至ったのだ。サボってしまえばついでに自殺もできる。サボるという行為には一石二鳥の効率があった。
今だって、本当はコウともあまり話したくはない。
しかし、彼女を見る度にやさしく抱きしめてくれた記憶が蘇ってくる。そのせいで、邪険に扱って嫌われるのも怖い。
「どうしたのって、言われても」
コウを邪険にあしらいたくないものの、しかし学校をサボるなんてことを堂々と言うわけにもいかない。嫌われたくない気持ちが二重の足枷となって英治の心に引っかかり、言葉に窮した。
それは両手をもじもじとくっつけたり離したりする動作になる。
「見ればわかるけどね」
そんな英治をみてコウはふっと微笑を浮かべると、無感情だった瞳に少しあたたかな色を宿した。
「聞いた私が悪かったよ。サボるんだよね、九籠くんは」
「い、いや、そんなことは!」
「別にいいと思うよ。九籠くんがそれでいいんなら」
抑揚のない声でそう言ったコウは通学を再開してしまう。
彼女のなかではもう話が終わったのか、歩き始めてしまっていた。
突き離された、と思った英治は「ちょっと、」と何とか嫌われないように言葉を取り繕うとしたが、
「先生に言っておいてあげるから。ゆっくり、休んでね」
コウのその言葉にも、やはり抑揚はなかった。
しかし同時に一度だけ振り向いてくれたコウは、やさしそうな微笑を浮かべていた。その表情で嫌われたわけではないと思えた英治は、ただ「ありがとう」と呟いていた。
無断欠席するつもりだったが、しかしコウのおかげで後ろめたい気持ちもすこし薄らいだのも事実だ。
先ほどよりは早い歩調で中央市街へと向かっていく。
バスを使わなければ、家から街までは一時間かかる。バイトをしていない英治の財布の中身は決して充実しているとは言えない。ましてサボりのためにバスを使うなどという選択肢もなかった。
結論、ひたすら歩く。
そうして初めて平日の街に足を踏み入れることになった。
(意外と、にぎわってる?)
商店が建ち並ぶメインストリートに入れば、土日ほどではないがそれなりに通行人がいる。
平日といえば若者は学校、大人は会社に行っているとばかり思っていたが、英治の予想に反して街道はにぎわっていた。
可愛らしいワンピースを着て笑顔でショッピングバッグを手に歩く若い女性たちやシルクハットをかぶって杖をついて歩く老紳士たちが横断報道をよこぎるのもみて、英治はまばらな人混みのなかに入っていく。
「よっと、って英治か!」
アーケードを歩いていると、不意に肩を叩かれた。振り返るとタケトがいる。高校の制服ではなく、ジーンズにポロシャツというラフな私服を着用し耳にはキラと輝くシルバーアクセサリーがちらついていた。
不良学生らしいといえばそうだが、彼もまたサボっているクチか。
「へえ、お前もサボることあるんだな。意外」
タケトはさも親しげに話しかけてくる。
その笑顔をみると、英治は不意に殴りたくなってくるほどの衝動に駆られる。たまらずにらみ返すと、しかしタケトは笑って言う。
「そんなことより、また“話そうぜ”、英治」
瞬間、英治の体が固まった。
完全融合態となったタケトは、強制的に相手と対話する現実改変能力をもっている。いまは人間の姿になっているが、その気になればいつでも化けの皮を剥がして仮想生命体に変貌する。
「冗談だよ、英治」
タケトがまた笑ってそう言うと、とたんに英治の肉体は自由を取り戻す。
呼吸さえ止まっていたから肩で息をすることになった英治は、「じゃあなー」と背中を向けて手を振るタケトをしばらく睨んだ。
街に入った瞬間に最悪の遭遇をした英治は、大きくため息を吐き出すとまたアーケードを歩き出す。
思えば、平日に街にやってきたのも初めてだったが、そもそもたったひとりでこの中央市街を歩くのも初めてだった。
街といえば親と一緒に歩くのが通例で、最近は両親ともに土日にも仕事がある。
およそ一年ぶりとなる中央市街の様子に戸惑いつつ、さらに目的地も定まらないままぼんやりと歩く。
一年前に親と一緒に街を巡った記憶が順々に再生され、しだいに自分がいま街のどこにいるのかも把握できるようになってくる。
次第に緊張も薄れ、景色を目に写す余裕もでてきた。
整然と並んだ街路樹の緑色と、空高く伸びるビルの灰色。空は青く、地上ではまるで虹のように多種多様な色をした車が道路を行き交っていく。
景色に注目しすぎて何人かとぶつかり、「ごめんなさい」と言って頭を下げることさえ新鮮で、英治は知らずのうちに笑顔になっていた。
しかし景色をみていれば、異常な情景というのも真っ先に視界に入ってくるものだ。
アーケードの商店や立ち並ぶビルの群れを眺めているなか、太陽とは明らかに違う色の輝き――青白い光の靄が目に映る。
それはビルの狭間、路地裏から放出されており……目的地もない英治は吸い寄せられるように路地裏に入っていく。
光溢れるメインストリートとはごく近くでありながら、路地裏はまるで別世界だ。
ビルが作り出す影がすべてを覆っているその道を進み、やがてゴミ捨て場に辿り着く。
背の高い雑居ビルが太陽光を阻み、生ゴミの臭気が立ちこめていた。パンパンになったゴミ袋が山と積まれた鉄製ケージの、向かって右隣。
コンクリートを突き破って咲き、薄暗い路地裏をほのかに照らすアオマキグサがそこにある。
青白い輝きの靄――ラショナル・オーラを放出しているその花は、一部の人間にしか見えない。
ゴミ捨て場の前を幾人かの通行人が通り過ぎていくが、誰も青白い輝きを視界に収めていない様子だった。
だがしかし、英治はすでにひとり、その例外となる人間を視界に収めていた。
アオマキグサの前に立ち、明らかにそれを凝視しているひとりの男の姿を。
「何見てんだよ? って、まさかアンタ……この花が見えるのかい?」
視線に気づいたその三〇代前半とおぼしき男性は、驚いたように英治を見る。
英治はといえば、別に男をみたわけではない。むしろ男の奇妙なファッションに視線をやらずにはいられなかっただけだった。
上は黒いTシャツ一枚、下は同じく黒いスラックス。全身黒一色の簡素な服装に身を包んでいるその男は、英治にはホームレスにしか見えなかった。
男の足下には破かれて中身が出ているゴミ袋が置かれてある。物色していたのか。状況証拠さえあるとなれば、もうホームレスと断定せざるを得ない。
「いや、花なんて見えないです」
この不審人物と関わると面倒だ。
そう確信した英治は適当に言葉を切り上げ、とっとと歩き去るべく足に力を込めた、のだが。
体が前に動かない。足は動くのに、上半身にストッパーをかけられたかの如く、一切の動きを封じられていた。
「皆まで言うな、ちょっと話をきかせてくれよ」
ガシリ、とすでに肩を掴まれていたのだ。
いったいいつの間に肉薄したのだろう? そう疑問に思うほどの素早さでその男は英治の目の前に立っていた。
「空城忠っていうんだ。アンタは?」
聞いてもいない名前を教えられ、英治は頬を引きつらせつつも思う。
(あ、もう逃げられないな)
かくして英治は諦めてその男――空城と言葉を交わすことになる。




