6-3 いじめられっ子と破滅の女神・決意
母親の必死の呼びかけによって、ワタルはまた公園に行くことになった。
「まあ、あのお兄さんとも久々に話したかったし、いいよ。今回だけ聞いてあげる、お母さんのお願いごと」
天才小学生は何の遠慮も呵責もなしに、母親にそう返事をしてみせる。
「聞いてくれました……あとは、よろしくお願いします」
「は、はい! わかりました」
母親からの電話を切ると、学校が終わったばかりの英治は早々に公園に移動する。
かくて、決意の時ははじまった。
ワタルはブランコをこいでいた。相も変わらず独りだった。ランドセルの傷はそのままで、しかし服だけが以前とは違っている。いつもぼろぼろに破れていたシャツの袖が、きれいなまま保たれていた。
やはり一歩を踏み出したのか。そう思って英治は嬉しくなった反面、母親から託された言葉の重みを忘れないために気を引き締めて、胸に手をあてて気分を落ち着ける。
そうして、ワタルに歩み寄っていった。
「久しぶり、だね」
英治のとりあえずの枕詞に、ワタルは一切のためらいもなく言葉を返した。
「またそんな言う必要のないこと言って。うん、変わってないね!」
「そういう君も、だね」
「はは、そうかな」
数日ぶりの再会とはいえ、一年もしない間に人間性が変わるわけでもない。互いの間に過ぎた時間がそれほどでもないことを確かめた二人は、しかし以前のように気楽な話ができないこともすでに理解している。
「お母さんに、なんて言われたの」
ワタルにすればそれは英治に対する気遣いのつもりだった。英治はきっと、言い出しにくいと思っているに違いないから。先んじて、そちらの事情はわかっている、と宣言しておく。
しかし英治にとってそれは(やばい、こっちの事情、筒抜けだ)と思わせる一言だった。
こちらから奇襲をかけるつもりだったが、相手は察知済み。隙を見せない小学生男子の笑顔を前に、英治は固めたはずの決意が急速にしぼんでいくのを自覚する。
(こんな状態じゃ、ぜんぶワタルくんのペースになっちゃうよ)
そう考えた英治は、話を一度、違う方向に反らす必要があると判じて人差し指で頬をかいてハッタリを決め込んだ。
「え、お母さん? 会ったこともないけどなあ」
我ながらひどい演技だと思ったが、英治はすぐに「そんなことより」と言葉をかぶせてごまかした。
「最近は、いじめられたりしてないの?」
決意云々は置いておき、英治は気になることを聞くことにする。
袖が破れていないシャツを着ているということは、今日ワタルは誰にも引っ張られず、傷つけられなかったことを意味する。それはつまり、ワタルの生活に劇的な変化があったことに結びついてくる。
「うん、最近はね」
ワタルは「えへへ」と前置きし、
「ボクさ、最近、学校いってないんだよね」
「え?」
「そんなびっくりした顔しないでよお兄さん。不登校ってやつだよ。いじめられっ子の末路としては典型例じゃん。驚くことでもないでしょ」
「でも」
「聞いて、ボクね、それどころじゃないんだ。お兄さんは特別だから、見せてあげるよ。着いてきて」
ワタルは戸惑う英治の言葉を遮って立ち上がり、勝手に歩いてしまう。
英治はただ着いていくことしかできなかった。
ほどなく、二人は街外れの裏山にたどりつく。
小学校の裏手にある、ほんの小さな山の麓。そこにひとつ、お地蔵さんがある。
近隣のおじいちゃん・おばあちゃんには有名な散歩コースの休憩ポイントで、お地蔵さんの傍らで膝をやすめ、感謝の印にお供えをして去るのがマナーと言われている。
ワタルはお地蔵さんに合掌してあいさつを済ませると、その傍らに咲いている一輪の仮想の花――アオマキグサを指さして言う。
「学校とかもうどうでもいいんだ。女神さまを、いまから見せてあげるから!」
目をきらきらさせて、そしてワタルは大きな声で呼んだ。
世界を転覆する力をもつ、その仮想の命を。
「来てよ、女神様」
ワタルは両手を大仰に広げ、裏山に対して呼びかける。
直後、空気が揺れた。周囲の空間そのものが蠕動し、天地が鳴動する。
「女神……?」
その呼び名における印象をけして裏切らない、絶対的な仮想生命体が二人の頭上に君臨していた。
人の背丈など優に超越した五メートルの体躯は、これまでの仮想生命体のように人型をしていなかった。形状でいえば大船の船首部分だけを切断してもってきた、というようなもので、正面には女神像が接合されている。
翼はなく、かといってジェット推進器のような仕組みも見られない。周囲の重力を制御しているのか、それは外見上、何の理屈も根拠もなく浮遊しているように見えた。
その周囲にはさらに小鳥の形状をした光の小型オブジェが同じ原理で浮遊している。まさに小鳥たちと戯れながら大空に鎮座する圧倒的な女神の威容がそこにある。
女神像の部分だけが青色の金属光沢を放つ物質で構成されており、あとの部分は多層化した白い光で形成されていた。ワタルがいまだに取り込まれていないことから、進行度合いは半融合態・フェイズ3とみて間違いはなさそうだ。
そこまで判断した英治だったが、文字通り視界いっぱいをふさいでくる敵の巨大さにしばし絶句してしまう。
他方、ワタルはそんな英治の顔をみてますます瞳を輝かせた。
「お兄さんもこれが見えるの? この女神様が! やっぱりお兄さんは特別だ!」
ワタルは喜びのあまり「やったー!」と英治の周りをかけっこする始末。
だが、いったい彼は女神様とやらをつかって何をしているのだろう?
英治はようやく喉から声を絞り出した。
「これは、何?」
いまさらとぼけた質問ではあったが、しかし高揚しているワタルは次々としゃべりだす。
「女神様だよ! ボクの言うことを聞いてくれるんだ。学校行かなくたって、女神様と一緒に遊んでいれば何でも思うままなんだ!」
ワタルは駆けるのをやめて立ち止まると、女神型の仮想生命体を背景にしてふたたび大仰に両手を広げてみせる、神託を理解した神童のように高らかな調子で言った。
「たとえば、ほら。この山の竹林さ、少しへんだと思わない? お兄さん、気っづくっかなー」
ワタルは笑顔のままだ。
思わず英治は裏山の頭髪さながらに生える竹林をみた。視界を上へ上へとうつしていくと、竹のすべてが不自然に途切れているのが見てとれる。まるで何かにちょん切られたように……。
まさか、と思った英治の顔をみて満足したワタルは、無垢な笑顔もそのままに、
「女神様の力で、薙ぎ払ってみたんだよ。竹林の先端だけね。特別に見せてあげるよ、お兄さん。ほら見てて、いまからあの飛行機さ。あれを、消し去ってあげるから」
「え?」
英治は空を見上げた。黄昏に染まる視界のなかにたなびく飛行機雲がひとつ……その先には、少なくとも数十、あるいは数百かも知れない命を乗せた航空機が飛翔していた。着陸間際なのだろう、高度を徐々に落しているようだ。
やめて。
そう言葉にするより早く、ワタルがそれを指さした。
「女神様。あれを、“消して”」
ワタルの言葉につづいて、女神型仮想生命体――コード:ネメシスが急速回頭、正面を飛行機に対して向ける。
次の瞬間、飛行機は砕け散る。
紫色の破壊光線がコード:ネメシスから放出され、空を一直線に駆け、飛行機を寸断していた。
撃ち落とした、などという生やさしいものではない。瞬時に消滅させている。事実、飛行機があったはずの空には爆煙のひとつも残っていない。機体のネジ一本、乗客の髪の毛一本にいたるまで残される余地もない。
いまや空には最初から何もなかったとでもいうように、あっさりと飛行機の痕跡は消し去られていた。
「ああ……」
英治はそう声を絞り出すのが精一杯だった。失われた命に対する憐憫の気持ちすら起こらない。目の前の現実を理解することができず、それほど簡単に命が刈り取られてしまう無情の極地を見なかったことにしたい思いが胸をズキズキと震わせる。
呆然と突っ立つ英治のかたわらで、ワタルは己の夢――願いを語り始めた。
「ボクね、この女神様の力で学校を吹き飛ばしてやるんだ。みんなが授業受けてる間にさ、登校拒否になったボクをみんながバカにしてる間にね、みんな、吹っ飛ばすんだ……考えるだけでもゾクゾクする。お兄さんだったら、わかるでしょ?」
ワタルはそして、鋭い瞳で英治をひたと見据えた。それ以上は言葉を継がず、ワタルは英治の返事を待っている。
はたして、英治はそのとき思った。
(わかる、とってもよく、わかる)
ともすればワタルの言葉に頷いてしまいそうだった。なぜなら、英治もまたいじめられた経験を持っていたからで……かつて殴られていたとき、殴っていた相手の存在をこの世から消し去れたらなんと幸せだろうと、そう夢想していたこともあったからだ。いや、その夢想はなおも胸を過ぎ去らない。いまだって、あのタケトの野郎がいなくなってくれたらと、そう夢に思う。
英治のそんな夢想が青い鎧の闘士を生み出し、不良たちを惨殺してしまう事態を作りもした。
(わかるから、僕は、この子に教えてあげなきゃいけないんだ)
英治はワタルの母親から託された言葉を思い起こした。
『あの子の言葉に、あなたの言葉を返してあげてほしいんです』
そして同じ事を、実はワタルからも言われている。
約束としていつか語ると小指と小指を結んで誓った、己の考え。
その約束を果たすときは今だと、英治は直感した。
目の前の敵の、あまりの強大さに足が震えた。飛行機一つ簡単に消し去ってしまうワタルのまっすぐさに喉が固まった。
しかし英治は両手を握りしめ、そして言葉を紡ぐ。
「ワタルくん。君の気持ちは、よくわかる。僕もいじめられてたから」
「だよね! お兄さんなら、そう言ってくれると思ってたよ! それじゃあ」
「でも、ちょっと……待って欲しいんだ。学校は、きっと消しちゃダメだよ」
「ん? んん? それはどういうこと? ボクは学校を消して気持ちよくなりたいんだよ!」
「それじゃあ、何の解決にもならない」
英治は振り返る。あの青い鎧の闘士が不良たちを惨殺したところで、己の願いは果たされたのか?
あの不良たちが死んで、いじめが消えて……自分らしい人生が歩めるようになったのか?
あるいは、歩めるようになったのかも知れない。いじめられていた時と比べれば。
しかし英治には、やはり断言できない。不良たちが消えて、いじめが消えて、ではそれで、自分は幸せになったのか。いまの自分は、自分が満足するほど幸せか?
正直、毎日が堂々巡りだ。
いじめが消えた喜びをかみしめる一方で、それでも授業中にヘマをしてみんなから笑われることも絶えない。いじめられなくなったことで無駄な時間を過ごす必要がなくなった一方で、ではその空いた時間をはたして有効に使えているかといえば、けしてそうとは言い切れない。
ワタルは天才少年で、頭も切れるしかっこいい。正直、いじめられっ子同士とはいえ自分とはまったく違う人間だ。
だからこそ英治は思う。ワタルにはきっと自分が成し得なかったことを、実行するだけの力があるのではないか、と。
英治はその願いを、精一杯に言葉に変えてワタルに伝える。
「学校を消す前に、やってほしいことがある。君をいじめたそいつらに、一回、やり返したらどうかな。きっと君なら、できると思う。君の考えを、はっきりと、堂々と、そいつらに伝えてやれば良い」
ワタルは「え?」と、そこではじめて笑顔を消した。わずかに戸惑う様子さえ見て取れる。
「僕にはそれができなくて、だから……僕は、君が今操っている女神様と同じ力で、僕をいじめていた奴らを殺してしまった。でもあいつらを殺したって、いじめがなくなったって、僕は、僕のままだったんだ。いじめられてる間と何も変わらない、ダメな僕のままだった」
だから。
英治はただひとつ、年上の者として目の前の天才少年に教えられる精一杯のことを伝える。
「君は、僕のようになっちゃいけない。目の前のことに立ち向わずに、がんばらずに、時間を引き延ばしていくような人間には、君はなるべきじゃない」
「そんなこと、ないよ。お兄さんは、立派な人じゃないか! このボクが認めた、ただひとり認めた、立派な人なんだよお兄さんは! ボクのことをわかってくれた。いじめられてるのに、馬鹿にしないでいてくれた。友だちになって欲しいんだ。そんなこと言わないでよお兄さん」
ワタルはうっすらと涙を浮かべて、英治を励ましてくれた。
だが英治はその言葉を耳に入れるより先に、偽りの願いを打ち砕く決意を胸中に抱く。
瞬間、大地の奥深くに眠る超兵器の魂に接続する。
「お前のそんな願いは、この俺が打ち砕いてやるよ!」
[脳接続 開始]




