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1-2 そんな不良はヴァニシング

 朝。

 登校するときはいつも独りだった。


「おはよっ、九籠くん」

 教科書の詰まった重いリュックサックを床に降ろし、席に腰掛けて呆然とホームルームまでの時間を過ごしていると、不意に声をかけられた。

 クラスを仕切る委員長、大和輪(やまと りん)だ。ミドルヘアの黒髪美少女で、清楚系という言葉が何よりも似合う。明るく物怖じしない性格で、誰とでも仲良くしゃべっているかと思えば、なんと不良男子たちをたしなめたりもしてくれる。

 英治がいじめられている時も間に入ってストップをかけてくれるただ一人の人間であり、そういう意味では恩人といってもいいのだが。


「お、おは、よう」

 英治は彼女を正面から見つめることができない。

 好きなのだろうか? きっとそうなのだろう、と英治は思う一方、まぶしすぎるとも思う。道ばたの雑草のように教室の端に沈み込み、いじめられていたとしても誰にも見つけてもらえない自分と、太陽のようにクラス中を照らしている彼女。

 まさに最下層民たる自分とは天と地の開きがあるスクールカーストの上位者が、いったいどんな思惑があって自分と接触してくるのだろう?

 警戒を通り越した猜疑心さえ英治はもっているのだが、しかし恩人である事実も変わらない。実際、昨日だって陽の沈む前に帰れたのも、彼女が言葉ひとつで不良どもの暴行を止めてくれたからだった。

 感謝の念を表明するためにも話しかけられたら返事だけはするようにしているのだが、いまだに彼女の瞳を正視することができない。

「あの、昨日は……」

「大丈夫だった? 痛かった、でしょ」

 リンは心の底から心配している、とでもいうようにまっすぐな哀れみの視線を九籠の頬に向けている。内出血はおさまったらしいがまだ腫れていた。

 そんな醜いものを見ないで欲しい、とも言えず、英治はそっと顔を背けることで彼女の無垢な視線から逃げた。

「あ、ごめん」

 察してくれたらしい彼女は、一度うつむいたが、直後にその視線を教室の隅でたむろしている不良グループに向けた。

「あいつら、九籠くんをこんな目に遭わせておいて……馬鹿笑いしてる。ほんと、許せないよ」

 そう口走るリンの瞳は、彼女の前髪のせいで見ることができなかった。

 英治もつられて不良グループ――縁田武人(えんだ たけと)を中心とする男子グループを見た。


「はは! そいつマジでぶっ殺してえな!」

「だろ? 店員じゃなかったら俺、正拳突き繰り出してたわ!」

「気晴らしにセンコーひとり捕まえてブン殴りてえー」

「は? 一緒に休学なんてしたくねえよ」

「俺もだバカ!」

 愚にも付かないおしゃべりを毎日、教室中に響くような大笑いとともに繰り広げている。授業中でも教師たちにタメ口で話しかけ、しかし体育の時間では等しくヒーローとなる彼らは底抜けの明るさから、クラスから許されていた。

 リーダー格の武人がクラス中で最大の派閥を形成する女子と付き合っているのも大きい。上位の女子からの許しを得てしまえば、スクールカーストの天下を獲っているも同然であり、その状況はクラスをまとめるだけの力をもつリンであっても容易には崩せないらしい。

 リンには恋人がいないため、武人に比べるとどうしても男子に対してマウントがとりづらいのだ。


「ほんと、最っ低」

 吐き捨てるように呻いたリンは、次には舌打ちしていた。

 それは彼女が英治にだけ見せる側面で、彼女の不満そうな態度などおよそ他の状況では見たこともない。

「大和さん。その、いつも、ありがとう」

 英治はそんなときいつも、お礼を言うようにしている。緊張で声が震えるけれど、しかしそう声に出して言えばいつも彼女がにこっと笑ってくれることを、英治は知っていた。

「九籠くん……。ふふ、ありがとね」

 英治が把握しているとおり、リンはそのとき笑顔になってくれた。顔はこちらに向けていないから、不良グループを見ているままに笑顔になっているようだ。彼女の表情は何となく英治からも見えるのだが、やはり前髪のおかげで瞳の色までは覗けない。

「私、時々思うんだ。こんな世界なんて、なくなっちゃえばいいのにってさ」

 そしてリンはふたたび英治に顔を向けてきた。

 英治は息をのんだ。

 彼女の慈愛に満ちた、まぶしい笑顔を見て。

「九籠くんも、そう思うでしょ?」

 ね? と小鳥のように首をかしげてみせた彼女は、そのまま立ち上がって女子グループの輪に戻っていった。



 放課後はいつも、英治を独りにはしない。

「今日も、バイトまで顔貸してくれよ?」

 武人からそう言われた。ぽん、と肩に手を置かれて、そして武人は黙って教室から出て行く。

 五月からはじまった、案内のサイン。

 肩に手を置かれて声をかけられたら、校舎裏に行くことになっている。いつの間にか決まっていた暗黙の規律。

(行くしかない、よね)

 英治は従うしかなかった。逃げてもいいのだろうが、しかし武人とは小、中と同じ学校だったから家の電話番号も住所も把握されているし、英治の家には両親が不在であることもすでに知られていた。

 一度、逃げようとして家に帰ったが、そのまま侵入されて引っ張り出されたこともある。そのときに英治の部屋のゲーム機が壊されたこともあって、従っておいた方が損失が少ないことはすでに心身に叩き込まれていた。


 案の定、英治は蹴られ殴られることになる。


 校舎裏の暗い影のなかで、英治は武人を中心とする五人の男子たちにもてあそばれた。

 教師たちに発覚されないよう、まず制服を脱ぐことから命令される。そうして肌着のシャツとパンツだけになった英治を、彼らはひたすら笑いながら痛めつける。

 所有物を痛めつけることはない。特に制服といった高額な学校指定の物品を破壊してしまえば親を巻き込む問題に発展してしまうことを熟知している彼らは、まさにいじめのプロだった。

 内出血に留まる状態で遊びを中断し、けしてエスカレートしないよう自分の心をコントロールするクセまで身につけている彼らは、自分が一度殴った場所を覚えるばかりでなく仲間たちが内出血させた場所も把握していた。

 血が表にでることはなく、全身をくまなく痛めつけられる英治は、しかし悲鳴をあげることもなかった。

 五月からはじまったこの遊びのなかで、コツを掴んだのは不良たちだけではない。英治自身もまた、傷を最小限に抑える方法を身につけていたのだ。


 抵抗せず、ただ我慢する。そうすれば彼らの心の地雷を踏むこともなく、予定調和のうちに事を済ませることができる。

 悲鳴をあげてしまえば彼らが逆上し、それこそ内出血では済まない大けがを負わされる可能性だってある。

 再起不能のケガだけは負いたくない英治と、教師や親に発覚されないまま遊びたい不良たち――現在、その遊びは両者の利害が一致する完璧な形に昇華していた。


 間の悪いことに、今日はリンが止めに入ることもなかった。というのも、リンにはリンで生徒会の活動があった。生徒会の会議が長引く日はリンはそちらを優先する。

 それについて、英治はリンを恨んだりはしない。むしろ助けてくれることは奇跡であり、こちらから望んではいけないことだと思っている。

 午後五時にはじまった遊びは、わずか十五分で終わる。

「今日もありがとな、英治」

 武人はそう言って、奪い取った制服を叩きつけるようにして英治に返却した。

 シャツとパンツを皺だらけにした英治は曖昧な笑みでそれを受け取り、着用する。


 それがいつものこと。


 だが今日は、そんないつも通りの流れにはならなかった。

「ん……?」

 英治は見た。ズボンをはきながら、足下に青白い輝きが生まれていることに。

「これは、花?」

 それは道ばたに生えていた、あの青白い花。コンクリートを突き破って咲いていた、不可思議な輝きを放つ一輪の花。確かに引っこ抜いてやろうと思ったのに、なぜかそうせずに済んだ幽霊のような花。

 花はいつからか英治の足下に咲いていて、そして、その茎を伸ばし、花弁をどんどんと大きくしていた。

 成長している。

「どういう、」

 呟くことで現実を理解しようとしたが、しかし英治は次の瞬間、さらに混乱することになる。

 青白い輝きを放つその花は、次には爆発した。膨張するように肥大化していた花弁が破裂し、青白い光の粒子となって空間を満たしていく。

 不良たちの背中がどんどんと遠くなっていく、その刻一刻、青白い光の粒子はしだいに人の形を帯びた。


『いま、この現実を転覆する。人の願いを叶えるために』


 声が響いた。そして人の形となっていた青白い輝きが、そっと英治の頬にふれた。まるでケガをした子どもを、優しく撫でて励ます母親のように……。

(あったかい)

 英治がそう思った、瞬間。

 青白い輝きのベールは剥がれ落ちた。

 そうしてただ一人の騎士が姿を現わす。

 英治は言葉を失った。

 全身に鮮やかなディープブルーの甲冑をまとった“闘士”が、目の前にたっていた。

 黄昏の陽光を受けて輝く鎧には傷ひとつなく、直立不動の精悍な出で立ちはまるで騎士の立像のようだった。

 それは英治に背中を向けて、そうして不良たちを見てこう言った。

「手始めに、奴らを”裁く”としようか」

 そうして闘士は悪を裁くヒーローさながら、まっすぐに不良たちを追いかける。

 英治はただその光景を眺めるしかなかった。

 不良たちが一方的に、悲鳴さえあげて断罪されていくその光景を。

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