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4-3 草むしり少年とゴミ拾い老人・同盟

 月曜日の朝。

 ホームルームが始まる前、英治はいつも独りで席に座っている。

 そうしているとリンが話しかけてくる。

「おはよっ」

 ひょこっと視界に現れたミドルヘアの黒髪美少女は、例によって空いているすぐ前の座席に腰掛ける。

 彼女は元気そうに輝く瞳を英治の瞳に合わせて、

「最近、九籠くんいい顔してるよ。やっぱりクラスが静かになって良かったね」

「そう、かな」

「うん。前は結構しょんぼりしてたけど、いまは割と明るい感じ」

「そうなの」

「まあ正確には平和ぼけして安心しきってボケーってしてる感じ?」

「……そうなの?」

「うん!」

 ぱっちりウィンクを決めると、リンは席を立とうとした。日課である英治いじりを終えて満足したのだろうか。


 その時。

 教室全体が突然、ざわめきはじめた。

 森の木々が風にそよぐように、周囲の生徒たちが何やら落ち着かない様子で教室の入り口に視線を集めている。

 特に女子生徒たちがそわそわしており、

「え、高田先輩?」

「どうして……?」

 そんなひそひそ話も聞こえる。

 立ち上がろうとしたリンも、膝を中途半端に伸ばした姿勢で固まっていた。

 クラスメイトたちの視線を英治も目で追ってみる……すると、ひとりの男子生徒がゆっくりと歩いてくるのが見えた。

 学生服がよく似合う真面目そうな印象の男子で、フォーマルスーツあたりも似合いそうである。髪型はショートの部類だが前髪は適度に長く、爽やかで凜々しい外見を演出していた。

(誰だろう?)

 身長はそれほど高いわけではないが、優しそうな顔とすらりと伸びた背筋が印象的で、どことなく気品が感じられる。英治は生まれて初めて、誰かをみて紳士という言葉を思い浮かべた。

 彼はにこっと笑みを投げかけると、熱い視線を注ぐ女子生徒たちの面前で、リンではなくなんと英治に向かって声をかけてきた。

「おはよう。キミが、九籠くんかな」

「は、はい……」

 彼が履いている内履きには、赤いラインが入っている。英治たちの高校は学年を内履きのラインの色で判別できるようになっており、白地に赤いラインは二年生の証だ。ちなみに英治たち一年生は緑で、三年生は青。

 赤の他人、それも上級生に声をかけられるとは高校に入学して以来一度たりとも思っていなかった英治は、口をぽかんと開けたまま頷いた。

 一方、リンをはじめとした周囲の女子たちもまたぽかんと口を開けていたのだが、ともかくその涼やかで凜々しい男子生徒は気にせず言葉を継いでいく。

「ボク、高田明(たかだ あきら)っていうんだけど。あの、土曜日さ。ウチのおじいちゃんがお世話になったみたいで。ほんと、ごめんね」

 まぶしい笑顔が、恥ずかしそうなはにかみ顔に変わる。

 その男子生徒――アキラは謝りながら頭を下げた。それは間違いなく謝罪の姿勢なのだが、動作が美しすぎる上に堂々としていたので謝意よりはむしろ気高さが発散されていた。

 瞬間、またクラスが騒然としたのだがアキラは相手にしない。

 対して英治は首をかしげた。

「おじいちゃん?」

「そう。ほら、公園のゴミ拾い手伝ってくれたの、キミだよね」

「あ、あの人の、お孫さん?」

「そう! おじいちゃんが言ってたんだ。ボクと同じくらいの男の子と一緒に戦った、ってさ。それから情報を集めて、やっと今日、キミに辿り着けたってわけさ」

「は、はあ」

 あの強引で剛直だった老人と、目の前のまるで王子様のような美少年との間にはまったく繋がりがなかったが、とはいえそこで英治はやっと相手の意図が理解できて安心する。

 さっきまでは相手の意図がわからなくて戸惑っていたし、なぜかクラス全体がざわめいているし、もうわけがわからなかった。

 わざわざお礼と謝罪をしに下級生の教室にたった独りで降りてくるなど礼儀正しいにも程があるが、それがアキラという人間なのだと思えば、警戒心のレベルを一段階下げてもいいかも知れない……そう判断した英治は、ぎこちないが笑みを浮かべてみる。

「確かに僕は、一緒にゴミ拾いしましたけど。とっても楽しかったですよ、僕は」

「へえ。そうだったんだね。道理でおじいちゃん、とっても楽しそうに語ったわけだよ。二人で一緒に楽しんだというわけだね」

 そう言うアキラの顔が、一瞬だけ少しさみしそうな影を帯びていたのを英治は見逃さなかった。だが、それを即座に指摘するのはさすがに気が引けたので、ただアキラの言葉を聞くことになった。

「あのさ、もしよかったら。その話、もっとボクに聞かせてくれないかな。今日のお昼休みにでもさ」

 アキラがちょうどその誘い文句を終えた直後、ホームルーム開始のチャイムが鳴り響く。

「いけない、戻らないと。じゃあ、そういうことで!」

 涼風のような声を響かせながら、アキラは急いで教室から出て行った。返事を待たずに出て行ったのは計算なのか、それとも天然なのか。

 英治は彼の背中を見てため息をついた。

 こうして英治ははじめて武人たち以外の人間と昼食を食べることになったのだ。


「あのさ、九籠くん。高田先輩と知り合いだったの?」

 ホームルームが終わった瞬間、英治はリンに詰め寄られた。リンの後ろにはクラスを仕切っている上位グループの女子たちが控えており、一堂、英治の答えを待っている。たくさんの女子に包囲されるなんて普段では考えられない光景である。

「え、いや、そういうわけじゃないんだけど」

「じゃあなんで、先輩が九籠くんの元に来たの? 言っとくけど、あの高田先輩が下級生の教室にわざわざ来るなんて奇跡、いままで有り得なかったんだから」

「そんなこと言われても、僕だってわからないよ」

「ふうん。まあ、九籠くんにもわからないなら仕方ないか」

 リンがそう言うと、後ろに控えている女子たちはがっかりしたように肩を落しつつ、三々五々各自の席に戻っていく。

 まるでアイドルの熱狂的なファンが裏情報を聞きそびれて退散していくかのような光景だった。

 その光景は高田明という生徒が持つ影響力の大きさを物語っている。

「そんなに凄い人なの?」

「ええ、それはもう、ね」

 そうしてリンはアキラについての基礎知識を教えてくれた。

「高田先輩はね、一言でいえばこの高校で一番、かっこいい男子だよ」 


 

 アキラは全校女子生徒たちのあこがれの的になっている生徒であり、その存在はもはや教室内の序列関係を超越していた。

 その雷名はクラスメイトを超えて、次に学年全体に渡り、さらには他の学年にまで伝播した。スクールカーストの頂点に登り詰めただけでは飽き足らず、階層という概念自体からも突き抜けた神に等しい存在である。

 対してスクールカーストの最底辺に位置する英治のことを知っている生徒など同級生くらいのもので、たとえ他の生徒に知られていたとしても、“あのいじめられていた男子”という汚名がつく。

 アキラが英治に話しかけたということ自体、まさに神がドブネズミを昼食に誘うに等しい奇跡であり、ビッグニュースとして素早く全校生徒の間で噂されることになった。


 だが問題の昼休みになると、当のアキラはというとお弁当を片手に涼しい顔をしてさも当然のように英治のクラスに行く。

 噂だとか、周囲の視線やひそひそ話などお構いなしだ。まさに神の威容だった。

 朝にリンが座っていた英治の前の席にアキラが腰掛けると、周囲の注目をなかば無視して話し始める。

 上級生が下級生の教室で弁当を食べること自体が珍妙なことであり、それがアキラほど有名な生徒であれば珍妙を通り越してシュールな光景でさえあるのだが、当の本人は平常運転でしゃべっている。

 おかげで英治は、周囲の視線を浴びつつアキラの話も聞かなければならないという二重苦を味わった。

「おじいちゃん、ウチじゃ結構、困りものでさ」

 話題はどうやらアキラの家の事情であり、一見、英治には無関係のことだった。

 だから英治は、正直興味のない話をされて戸惑ったのだが、とはいえあの老人のことは強く印象に残っていた。また会いたいとさえ実は思っていたのだから、興味は徐々に湧いてくる。

「ゴミ拾いやってるけど、いつも中途半端にしかできなくて。たぶん九籠くんも見たんじゃないかと思うんだけどさ、おじいちゃん作業効率悪かったでしょ? いつもいつも朝から始めて、夕方になっても終わらないんだ。だからお母さんが毎回、わざわざ迎えにいって連れ帰ってるんだけど。けっこう、お母さんもストレスになってたんだよ」

 アキラの母はけして怒りっぽい人間ではなく、穏やかな性格だという。しかし、そんな母をして祖父はストレスの要因だった。

 母と祖父の仲が次第に悪化していくのを見て、アキラはしかし何もできなかったという。

 そんな中、先日の土曜日はどういうわけか祖父がとても満足げな顔をしていて、なんと母が出発する前に帰ってきたというのだ。

「正直、びっくりしたよ。我が家の一大ニュースさ。それで色々聞いてみたら、なんとキミが手伝ってくれたって話で。あの日の夜はお母さんもおじいちゃんも上機嫌でさ、久しぶりにゆっくり夕ご飯が食べられたんだよ」

 英治はふと、あの老人のニカッ! とした笑顔を思い出した。

 次に目の前のアキラの笑顔を覗いてみる。

 その二つの顔はまったく似ていなかったが、素敵な笑顔という一点においては共通しているような気がした。

 最初はイラつきもした勝手な笑顔だったけれど。

「そうだったんですね。まあ、明るくて、率直で、良いおじいさんだと思いましたよ。僕は」

 英治はあの老人をそう評することにした。

 アキラはその言葉を聞いてきょとんと目を大きくしたが、次の瞬間には瞳をわずかに潤ませ、先ほどまで浮かべていた笑顔とは異なる種類の、もっと自然でもっと暖かな、心の底から滲んできたようなやわらかな笑顔を浮かべた。


「あのさ。ひとつ、お願いがあるんだけど……今度、おじいちゃんとキミとボクとで一緒にゴミ拾いしない? ひとりじゃ恥ずかしいけど、キミとならできると思うんだ」


 かくして英治は高校に入学してから初めて、上級生の友だちを得た。

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