3-4 こんな現実ヴァニシング!
放課後になっても武人は戻ってこない。
とはいえ、どうでもいいことか。
英治は教科書類をリュックに詰めると、ぱんぱんに張った重いそれをかついで帰る。
大抵の生徒たちは教科書類をロッカーに置いたままにしたり、粗雑な奴は机に入れたままにしているのだが、英治はできる限りの教科書類をリュックに詰めるようにしている。
それは英治が家で猛勉強にいそしんでいるから、ではない。ロッカーの予備鍵を武人に握られており、そこに入れっぱなしにした物は決まって小細工された経験があるからだ。
表紙だけを破られるのはまだ良い。一見何もなさそうなのに中途半端にページが破られていたり、ページ同士がガムでくっつけられていて開かないこともあり、そうした場合は授業にも実害をもたらす。それで一度、教師に当てられたときに指定された箇所を読むことができず、なぜか『読むことさえできんのかお前は!』とひどく怒鳴られた。
武人たちからすればいたずらなのだろうが、英治にとっては成績を左右する重大事案だ。
もっともすべての教科書類をリュックに入れられるはずもなく、重く分厚い地理公民の資料集などはロッカーに預けることになるから、どのみち小細工は避けられないのだが。
重いリュックを担いでいれば肩に力がかかる。いつもの感覚を味わった英治は、そこで思い至った。
(あれ……もう、僕はロッカー使って良いのかな)
都合良く不良男子四人が消滅し、武人からも校舎裏に連れ出されない現状、大きなリュックを重くして登下校を繰り返す必要は果たしてあるのか?
その疑念はすぐに解放感に変わり、英治は足早に教室から出て廊下のロッカーを開けた。同時にリュックを床に下ろしてファスナーを開け広げた英治は、手早く教科書類をロッカーに放り込んでいく。
そうして軽くなったリュックを背負い直せば、体が軽くなった。その感覚には顔を綻ばさずにはいられない。
あるで足を引っ張る枷が外れたかのようだ。いまなら、どこへでも行ける気がする。
スキップしたくなった気持ちを抑えて、英治はロッカーの鍵を閉めると放課後の夕日のなかを下校した。
あの日に青い鎧の闘士がその手で殺した四人が、遅れて今日、文字通り消え去ったことには驚いた。
だが、それで“普通の日々”を勝ち得たことが英治には何より嬉しい。
もしあの日、青い鎧の闘士が来てくれなかったら、いったいどうなっていたのだろう。いや、考えるまでもない。いつものように五人の不良たちにおもちゃにされただけだ。
(僕は結局、助けられたんだな)
英治はあの事件を振り返ってみて、その結論に辿り着くしかなかった。
いじめ自体はすぐに終わるから、だから別にあのままでもよかった。ただ、かといって殴られるのも好きではなかった。無闇に抵抗して火に油を注ぐのが嫌だったから、現状維持のためにいじめられっ子の役を引き受けていただけに過ぎない。
できることなら、そんな損な役回りからは降りたかったのが本音で。
あの青い鎧の闘士は、そんな自分の本音を聞き入れてくれたからこそ来てくれたのだろうか。
そう思った、刹那。
英治はふと幻を見た。
太陽の輝きに似た閃光が目の前で炸裂する。それは光の円環から大輪の花になり、ちょうどつぼみが開花したようだった。
花の名前は、アオマキグサ。
光は青白く変色し、英治の脳が一時、ハッキングされることになる。
英治が気づいた時には、面前に青い鎧の闘士が立っていた。
あの日、自分の本音を受け止めてくれたかも知れない存在。しかし、己の手で撃退した存在でもある。
闘士は微塵も変わらない態度で、言葉を放ちはじめた。
「私は確かに、貴様の願いを叶えた。そうだろう? そのはずだった」
まるで呪詛のように、青い鎧の闘士は声をもらす。
その腹にはまだ、あの日に英治が穿った穴が開いていた。そこから青白い燐光……仮想生命体を構成する基盤情報を埋め込んだ電子の輝きが漏れ出している。
「だが、貴様は私が願いを成就するのを拒んだ。止めた。貴様は矛盾している。私が行った裁きは、確かにいま、貴様を幸福にしている。何が不満なのだ、いったい現在、何が実現されていない?」
闘士はやはり全身を鎧で覆っている。かといってその中に肉体はなく、冑の瞳の位置には人の眼光ではなく赤い輝きが二つ、人の眼と同じ配列で並んでいる。
西洋甲冑そのままの姿をしている魔人が、唐突に現れては言葉を放つ――鬼気迫るとはこのことか。赤い輝きが英治をまっすぐに捉えている。
それは答えを迫っていた。無言の間が、英治と闘士との間を駆ける。
逃げる、という考えはしかし英治の頭をかすめもしなかった。
なぜなら英治の脳はすでに、地核に眠る最終兵器に接続されていたからだ。
[脳接続 開始]
俺は狂喜乱舞した。
不良どもがまとめて消え去ってくれただけじゃなく、こうして鎧の闘士様までもが現れてくれるだなんて!
「できるものなら会いたかったぜ、お前!」
叫び、俺はすぐに右手に“ムラマサ・グリップ”を顕現させる。
ずっしりと重い感覚が右手に装着され、俺はその柄を勢いよく握って宙を切り裂く。
瞬時にグリップに空いた穴から金色の光の刃“鬼切”が展張され、鎧の闘士様を切り裂くべく中空を滑らせた。
あの大学生を自殺に追い込んだことは悪かったが、しかしやっぱり、この脳接続ってやつは最高だ。
「死に損ないが、斬ってやるよ!」
この手で命を失わせること。
草むしりとは比べものにならず、風呂掃除などとるに足らないと俺に気づかせてくれた、この快感。
誰かを傷つけること、その尊厳を踏みにじること。それは快感になるのだ。あの不良たちはそんな最上の快楽を、いままで俺をいじめることで味わってきた。
俺はいままで損な役回りを奴らによって押しつけられてきたが、いまは完全な役得状態だ!
主役は俺で、俺に対峙する奴は悪役。俺はヒーローとして正統な権限を行使し、面前の敵を堂々と消し去ることができる!
何の罪も背負わず、快楽に浸ることができる……最高と言う他ないだろう。
「終わりだな!」
「貴様はいったい、私に何を願った?」
金色の刃は、しかしふざけたことに白羽取りで止められた。思い切り首を吹っ飛ばしてやろうと思ったのに、サンドイッチよろしく両手で挟まれてストップだ。
「ふざけんじゃねえ!」
俺は舌打ちして雄叫びをあげてやると、するりと刃を抜き取り、突きの構えをとる。
だがさすがに敵もバカじゃないらしい、俺が構えてる間に一歩後ろに引いて間合いを取ってくる。
ほんの一歩離れただけだったが、これじゃあ突きを繰り出しても届くまでに時間がかかって防がれちまう。
「そうこなくっちゃな!」
歯ごたえのない料理が飽きやすいのと同じだ。
手応えのない敵なんざ経験値稼ぎにもなりゃしない。
俺は笑い、そして手にしたムラマサ・グリップのトリガーボタンを一度押す。
先回、あの年上の女から教えてもらった機能――チャージアップだ。
鬼切はその光刃から金の輝きを失い、まるで錆びたように銀色に染まっていく。だがそれはお楽しみの余興に過ぎない。
それに敵が自ら距離をとってくれたことで、チャージ中に反撃に遭うこともない。
俺はゆっくりと鬼切が力を蓄えていくのを待つだけでよかった。
それにしても、突然再会したばかりにも関わらず、奴は口が達者だ。
「貴様がいま噛みしめている自由、幸福は本物だろう? 私は確かに貴様の願いを叶えた。そうだろう!」
両手を広げて、奴は必死に訴えてくる。
「なぜ私と接続しない? そればかりか、なぜ私を削除しようとする? 貴様は何だ、何を望んでいるんだ」
負け犬の遠吠え、口から出任せ、弱い奴ほどよく吠える。口が達者な奴は往々にして、現実を変えたりはしない。
俺は叫びたいのを堪えて、奴に言わせるがままにしておいた。チャージが終わったらすぐに消去してやるよ。
「私は、貴様の願いを叶えたい。教えてくれ、貴様の本当の願いを!」
「黙れ!」
鬼切が赤く変色した。チャージが完了し、仮想生命体を構成する基盤情報を削除することができる状態――デリート・カラーに移行したのだ。
瞬間、俺は足下のコンクリートを割りつつ一気に前進した。堪えていた叫びを喉から絞り出し、全身全霊で鬼切を振り下ろす。
願いを叶えたい? 教えて欲しい? 俺の願いを?
なら。
「俺のこの手で、消し去らせてくれよ!」
それが俺の願い。
そう、この世界は腐っている。この現実は肥溜めだ。
俺がいじめられていても、殴られていても、泣いていても、誰も助けてはくれない。
みんな知らん顔だ。
みんな俺のことなんて構ってる余裕なんてない。前だけを向いている。
でも文句は言えない。俺だってそうだ。俺もみんなに構ってる暇なんてない。いつも俺は俺自身のことで精一杯なんだ。
だから、みんな消し去ってやりたい。
そうでなければとても、やっていられるか。
命を消し去ること、そしてそれに付随する快楽を貪ること。
それが俺の願いだ。
「違う! それは、違う!」
鎧の闘士は、しかし勝手にも俺の願いを否定しやがる。
いったい何様のつもりだ。
「うるせえんだよ!」
俺は叫び、赤く染まった光刃で闘士を切り裂いた。
なのに。
闘士の眼前で、刃は止まった。
違う、刃が止まったんじゃない。
俺の手が、止まったんだ。
[脳接続 解除]