3-3 改変の影
その日の朝のホームルームは、いつもと様子が違っていた。
いや、正確には教室に一歩入った瞬間、違和感をおぼえた。
(こんなんだっけ?)
英治は首をかしげたが、違和感を打ち明けられる相手もいない。
コウは相変わらず独りで本を読んでいるし、武人はまだ見えない。リンも珍しくいない。休みだろうか。
ひとりで無言の時を過ごしているうち、教師がやってきた。
顔面は整っている、新任の男性教員である。ショートカットのスポーツマンといった風情で、教師というよりかは先輩といった印象が強い。実際、一部の女子たちからはタメ口で話しかけられている。
「よーし、席つけぃ」
同時、武人が入ってくる。
「ちーす先生、お疲れさまです!」
「何がお疲れだクソガキ、遅刻ギリギリだろうが」
「センセもまだ青い顔じゃないっすか!」
担任と武人のいつものやりとりで教室中が笑いに包まれる。笑っていないのはコウと英治くらいだった。
「今日はな、珍しいこともあるもんだ。大和さんはお休みだからな、みんなも体調管理にゃ気をつけろよー」
頼れる委員長の惜しまれる欠席を報告しつつ、担任は点呼をとっていく。
「縁田ぁー」
「はーい」
そして英治は教室に入った瞬間に感知した違和感の正体に気がついた。
四人分、点呼の数が昨日より少ないのだ。
奇妙なのはそのことを誰も指摘しないことだった。ただひとり、武人を除いて。
「おーい先生、なんか少なくねえか?」
「あ?」
「いや、わざとなんですかね? ほら、シンにアキヒコ、それにケン、マサシの名前が呼ばれてないんですけど」
「ん? ああ?」
教師は首をかしげていた。
「頭大丈夫か? お前」
その一言でクラス中が爆笑に包まれた。
「へ?」
武人は絶句して周囲を見渡した。青ざめた顔が『マジかよこいつら』と無言で語っている。
絶句したのは英治も一緒だった。
武人が挙げた四人の男子生徒の名前は、あの日、青い鎧の闘士が殺した不良学生たちの名前だったのだ。
教室に入った瞬間、机の数が減っているような気がした……あくまで違和感として捨て置こうとした疑念が、いま英治の目の前に突きつけられる。
その時、コウが「くっくっ」と笑いをかみ殺していたのだが、英治と武人は気づかなかった。
「もうそろそろ入学して半年経つんだ、縁田。いい加減クラスメイトの名前くらい覚えろ」
「いやいや、昨日までは」
「それとも、別の学校の生徒の名前か? まったく呆れた奴だ」
「ちょっと、センセ……」
「さて、縁田のボケはさておくとして」
武人の言葉をあくまでボケとして処理することで、また教師は生徒たちの笑いを引き出していた。
笑い声のなかで、武人と英治が目と目を合わせて首をかしげた。
「これはいったい、どういうことだ?」
武人はホームルームの後、教師を捕まえて名簿を確認した。かと思えば大急ぎで隣のクラスに駆け込み、また名簿を確認した。それをすべてのクラスで行って、青ざめた顔で戻ってきた。
「あいつらの名前、どこにもないぞ」
武人は英治にそう報告する。
「そう、なんだ……」
教師たちも含めた校内全体で冗談を演じている、などということは金輪際ありえない。
まるで自分たちだけが違う世界に迷い込んでしまったかのような絶望を武人と英治は感じていた。
もっとも英治にとっては四人のことなどどうでもよかったが、しかし自分が呼び出してしまったらしい青い鎧の闘士と関係がある以上、他人事としても捉えたくはなかった。
「やっぱり、あの青い花と関係があるのかな」
「俺もそう思う。お前と俺だけがあいつらを覚えてるからな、きっと、あの花が見える奴らはそうなんだろう」
自然、武人の視線がコウの方に向く。
担任が話し終えるなり本の虫と化した彼女をみて顔をうつむけたのも一瞬、武人は「ちょっと聞いてくるわ」と宣言して英治から離れていった。
「なあ、大湖さん」
「ん?」
コウは読書を中断し、露骨に眉根を寄せて不快感を表した。メガネ越しの瞳は冷え切っていて、嫌悪感の塊になった虹彩を惜しげもなく武人に向けている。
まさに害虫を見るような目つきだった。
その目を見て、英治は昨晩に武人が言っていたことは本当なのだろうと知る。確かに、相手にされていない。
武人は苦い顔をして一歩退いたが、それでもめげずに言葉を継いだ。
「ごめん、でも、聞いて欲しいんだが、シンたちのこと、覚えてる?」
英治は遠巻きに二人の様子を眺めていたが、おそるおそる他人に話しかける武人の姿を初めて見て、それが意外で目を離すことができなかった。
コウの雰囲気はまさに一触即発で、静電気ひとつで爆発してしまう路面のガソリンのようだった。全身から抑えきれないピリピリした感情がにじみ出ている。表情では語らないコウだからこその感情表現と言えたが、英治は自分と話すときとはあまりに違う彼女の側面を見て、正直面食らった。
(あんな顔、するんだね)
背筋に寒気を感じつつ、英治は二人の会話に耳を傾けた。
「そいつらのこと覚えてるか、だって? さあ、わかんない」
コウは本にしおりを差し込みパタンと閉じると、「まあ」と不敵な笑顔を浮かべて武人をいま一度視線を突き返した。
「どのみち、お前みたいなクズ野郎には教えないけどな」
「なっ!」
「でもそう言うってことは、つまりお前もあいつらのこと覚えてんのか。お前と私が同じとか、吐き気する」
「なあ、教えてくれよ。俺や英治よりも、大湖さんは詳しいんだろ……あの青い花のこと」
「うるさい」
ピシャリと睨むと、コウはついに机の脚を蹴った。
「あの花が見えるようになったからって、ふざけんな。なあ、お前みたいなクズ不良にさ、花の美しさの何が分かるって言うんだよ、汚らわしい」
言い放ち、そしてコウは舌打ちしてふたたび本を開いた。
話は終わり、ということか。
気まずい沈黙が二人の間に広がった。武人はしばらく呆然と突っ立っていたが、「そうかよ」と静かに呟くと教室から出て行ってしまった。
クラス中が騒然となってコウに奇異の視線を注いだが、チャイムが鳴れば授業が始まる。
「お? どうしたお前ら」
授業担当教師が異様な雰囲気に気づいたものの、しかしそれも一瞬のことだった。
「さあて。課題やってきてるかどうか、チェックすんぞ」
宿題として指定した問題の答えをひとりひとりに当てて答えさせる、不真面目な生徒を自動的に公開処刑するいつもの儀式が始まると、生徒たちは先ほどまでの騒然とした雰囲気はどこへやら、いつもの学校生活に戻っていく。
武人はついに姿を消し、その日は一日、戻ってこなかった。
英治は空席となった武人の席を見て、次にコウの姿を見た。
授業中はさすがにいつもの本は閉じている。そして武人をやりこめたさっきまでの冷たさもそこにはなく、ただ切なそうに目を伏せていた。
何とも言えず、英治もまた目を伏せつつ教師からの質問に備えてノートを広げた。
四人の男子生徒が文字通り、消滅した。
その事実に違和感を覚えつつ、しかし英治には、それも結局どうでもいいことだった。
他人事ではないにせよ、かといって自分自身があの四人を殺したわけではないのだ。故に、最終的に自分に責任があることではない。
そう思うことにした英治は、それから四人のことを考えないことにした。
代わりに脳裏をよぎるのは、あの青い鎧の闘士のことだ。