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2-5 いじめの消えた日

 深夜二時、九籠家にて。

「たっだいまー!」

「ただいまー」

 仲良し夫婦が揃って帰宅する。

 仕事が終わったら必ず行きつけの飲み屋で合流することになっている。その飲み屋は大学時代に二人が出会った思い出の場所であり、そこで合流することは就職したときから始まって以来絶やしていない二人だけの約束だった。

 それは結婚して子どもができた今でも変わらない。

「あれ? 今日はお風呂掃除できなかったのか。って、ご飯も食べてないじゃーん! どうした英治ちゃん!」

 母はドカドカ足音をたてながら心配のあまり息子の部屋に行こうとするが。

「待て待て、やけに静かだろ」

 父は母の肩をつかんで引き留める。

「え? まあそういえば、そうかも」

 父と母は揃って息子の部屋に行く。

 すると、すー、すーと音がする。

「あら、眠ってるの」

「ほらみろ。起こすところだったよ、まったく」

 二人は顔を見合わせて笑うと、そっと部屋のドアを閉めた。



 朝。

 英治にとってそれは、紛れもない新しい学校生活の始まりだった。

 いじめの消えた毎日がやってきのだ。

 とはいえ、英治がそれを実感するのは放課後のことで、朝の段階ではまだいつも通りだった。


「おはよ」

 リンが話しかけてくれる。

 英治が席についたときをいつも見ているのだろう、座った直後にリンが英治の視界にひょこっと現れた。

「お、おは、よう」

 笑顔のリンに対して、英治の表情はいつもぎこちなかった。笑っているというより顔を痙攣させていると言う方が正しい。

 つい考えてしまうのだ、その笑顔の裏にはいったい何があるのか、と。

(どうして僕なんかに、話しかけてくれるんだろ)

「昨日は大変だったね」

 英治の心配などお構いなし、というように、リンは空いている前の席に腰掛け、英治と目と目を合わせてくる。

「事情聴取、大丈夫だった? 先生からはあの後すぐ帰るよう言われて、九籠くんを待てなくて。心配だったんだよ?」

 事情聴取。

 そういえばそんなことがあった。英治にはもうその程度の印象しかない。河川敷公園で戦ったせいで、すっかり忘れてしまうところだった。

「それに今朝のニュース見た?」

「ニュース?」

 英治は首をかしげた。

 昨晩はすぐに寝てしまったせいで、朝も寝坊した。実は朝ご飯も食べてすらいない、などとは今の心配顔のリンに言えるはずもない。

「もう、高校生なんだからニュースくらい見ようよ。九籠くんの家の近くに公園あるでしょ、河の近くの」

 瞬間、心臓がバクンとはねた。

 名前も知らない大学生らしい男は、河に身を投げたに違いない。それを見捨てて家に帰ったことは、どんな風に自己弁護したところで許されることではない気がした。

 彼がもがいて立てた水の音が、まだ耳から離れない。

「自殺未遂だって。運良く警察がいたみたいで、助かったらしいんだけど……呼吸困難で寝たきりだって。世も末だよね」

 未遂。その一言をきいた瞬間、一気に肩の荷がおりた気がした。

「そうなんだ」

「そうなんだ、じゃないよ! 九籠くんもさ、その、ため込んじゃダメだよ。私でよかったら、何でも言ってね」

「いや、何もため込んでなんか」

「九籠くん、優しすぎるとこあるから。心配なの」

「優しくなんか」

 ふたたび、英治の脳裏に昨夜のことが蘇ってくる。

「優しいんなら、きっとその自殺未遂の人も、助けてた」

「九籠くん、その時家にいたんじゃないの? だとしたら物理的に不可能だよ。でもそんなこと気にするなんて、やっぱり優しいね」

「そうかな」

 その自殺未遂の人の目の前にいたことを、リンの無垢に輝く瞳に懺悔できるはずもない。

「そんな優しい九籠くんに、質問です」

 リンは輝く瞳のままにこっと笑うと、

「九籠くんをいじめてたあいつらさ、死ねばいいのにって思ったこと、あった?」

「え?」

 不良学生たち。

 青い鎧の闘士が殺してくれた、四人の不良たちのことか。

 英治は先ほどから速まっている鼓動がおさまらず、腹がきゅっと締め付けられている感覚さえ味わった。

 リンの顔をいま一度みた。

 その笑顔は眩しくて、美しかった。

「はは、ごめんごめん。冗談だよ」

 戸惑う英治に、リンはさっと笑うと、

「じゃあ、またね」

 席をたって女子グループの輪に戻っていった。

 昨日の二度の戦いの記憶が入り混じって、英治は混乱する頭を抱えて机に突っ伏した。



 放課後。

 終業のチャイムが鳴り響き、学生たちは三々五々、散っていく。

 リンは生徒会室へ向かっていく。その背中をみながら、英治はしかし誰からも声をかけられなかった。

 今日は武人は休みだ。それだけじゃない、昨日死んだはずのあの不良学生たち四人もまた、休み扱いになっていた。教師はいつもと何も変わらない表情で、彼らの欠席報告を伝えた。嘘を吐いている様子もなく、それが本当のことだと確信しているのだろうか。

 彼らのことを教師に問い詰めるのも怖くてできず、結局なにもわからないまま捨て置いている。

『本日あなたが目にしたことはすべて、国家機密となります』

 不意に警察官のその言葉が脳裏に再生された。

 事情聴取とは名ばかりの、その一言を伝えるためだけの時間だった。

 目にしたことはすべて……英治はてっきりあの青い鎧の闘士のことだけかと思ったが、そうではないらしい。おそらく不良学生四人が死んだことさえ、その国家機密とやらの一部になっている。

 そうでなければ、たとえ学生とはいえ人間の死をここまで堂々と隠し通していい理由はない。

 とはいえ、彼らがそろって“欠席”してくれたおかげで英治をいじめる奴はもういない。

(やっと僕は、解放されたんだ)

 彼らの死を悼む気持ちよりも先に、そんな気持ちが英治の心に差し込んだ。まるで雲間から日の光が大地に降り注いできたかのように、あたたかい心持ちがした。

(別に死んで欲しいなんて思ってなかったけど……僕は、どこかで望んでいたのかな)

 英治は立ち上がりながら思う。

 不良たちのことは、正直どうでもよかった。いじめられはしたから、そこは憎かった。ただ、生きて欲しいとか、死んで欲しいとか、そんなことを思ったことは一度もなかった。彼らには何の興味もなかった。

 足下のクズにも等しい虫たちの命なんてどうでもいい。英治にとって不良たちの存在など、そんなものでしかなかった。ただどうでもよかったのだ。

 だが、消え去ってしまえば確かにすがすがしくて、気持ちが良い。

(これから、どこへ行こうかな)

 バイトも部活もしていないから目的地などありようもないのだが、しかしどこでも好きなところに行ける気がした。少なくとも、どうでもいい連中に望まない場所に連れて行かれることはもうないのだ。

 英治はその時、確かに笑っていた。


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