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2-4 ヴァニシングの結末~恨み言~

 意識を取り戻した英治は、ひとまず視界に映った現実世界を見渡した。

 天使は消え去り、さきほどまで周囲に漂っていた青白い輝きもなくなっている。

 まるで何事もなかったかのように夜の河川敷公園は静かで、仮想生命体は跡形もなく消滅していた。

 ただ、呆然と立っているだけだったあのリクルートスーツを着た男性が、我に返ったのか、周囲を見回している。


「おめでとう、キミの勝利だ」

 隣で声がした。

 ハカセを自称するライダースーツの女性が、いまはメガネも空気スクリーンも消してかたわらに立っている。

 英治はその顔をちらとみたが、彼女と目が合うことはなかった。

 女性はいったい何を思っているのか、公園の果てに見える河の流れをひたすら目で追っている。英治にはそう見えた。

「勝、利……?」

「ああ、そうだ。おかげであの男が仮想生命体に乗っ取られるのを防ぐことができた。敵の数を減らすと同時に人類の命を守ったんだ、キミは。誇るべき大成果だよ」

 あくまで淡々とそう言って、彼女はリクルートスーツの男性に歩み寄っていく。

「さて、一応は確認するか。半融合態に乗っ取られることはないはずだが、万が一ということもある」

 英治もよりどころがなかったので、自然と彼女の背中についていく。


 男は意識が戻ったにもかかわらず、なおもただ突っ立っているだけだった。

 英治と女性がその視界に入ると、

「あんたらが、あいつを倒したのか」

 さも残念そうな声で、男は言った。

「ああ、そうだ。しかしその調子だと、大丈夫そうだな。あの仮想生命体はお前の体からは完全に抜けたか」

「なんでだよ、どうしてあいつを、消したんだよ」

 女性の言葉を聞き流し、男はついに英治を睨んで言い放った。

「あいつは、あの天使は……俺の願いを、叶えてくれたのに」

「え?」

 英治は一瞬、言葉の意味がわからなくなった。だが男は本気で自分を睨んでいる。その憎悪にたぎった暗い瞳をのぞきこんだ英治は、それが彼の本音なのだと確信した。

 一方、女性は微塵も動じることなく言葉を返した。

「そうだろうな。仮想生命体は、人の願いを叶えるべくこの現実世界に現れる。遠い、仮想の世界からな」

「知ってて、どうして」

 男は愕然と両膝をコンクリートに打ち付け、くずおれた。

 そうして打ち明け始めた。彼の願いを。

「就活がはじまって、でもどうすればいいのかわからなくて、周りに流されて、先越されて……もう何もしたくないって、思って。ほんとは今日、面接だったんだ」

 男は自分を鼻で笑うように息を吐くと、卑屈そうに口元を歪めて目を伏せた。

「面接、サボって。何の連絡もせずに。そうしたらさ、企業じゃなくて、なんか大学から電話がきて。指導してやるから、来いって言われて。行くわけねえじゃん」

 打ち明けている間、女性はうんざりしたように後ろ頭をかいたが、それでも言葉を差し挟まずに聞いている。

 英治は耳をふさぎたくなったが、しかし聞かないわけにはいかなかった。

(僕はきっと、聞かなきゃいけないんだ)

 なぜかそう思えた。あの天使を切り刻んで気持ちよくなって、でもその行動の結果、この男は誰でもない自分を睨んできたのだから。


「楽になりたいって、思ってさ。そうしたら、見たこともない花が咲いて、弾けて……天使が舞い降りたんだ。俺を救うって、約束してくれた。嘘だって思ったけど、本当だった。突然、電話がかかってきてさ、今日試験サボった企業の方から。なんて話だったと思う? 合格だって。冗談でも何でもなかった、ホントだったんだよ。あいつは俺に、奇跡を見せてくれたんだ」

 男は「はあ」とため息をついて、「それなのに」とつづけた。

「あんたらは、あいつを、あの天使を殺した。どうして……」

 恨み言はそれで終わった。

 一時、沈黙が走る。

 英治は言葉を失っていた。

 男の言葉が真実なら、仮想生命体は人類の救世主ではないのか?

(僕は、違うって思ったけど、この人はそうじゃなかったんだ)

 英治の場合、不良学生を殺すこと自体が願いではなかった。だから、仮想生命体の行動に対して、違う、と思うことができた。故に仮想生命体との接続を解除することができたのだ。

 目の前の男はそうではない。仮想生命体がしてくれたことを、本気で喜んだ。それ故に、接続を解除することができなかった。

 でもその方が、この男にとっては幸せだったのではないか。

 英治はそう思うばかりで、だから男に何の言葉も返せない。むしろ謝らなければならないのではないか、でも謝ったところでどうなるものでもない。申し訳なさと無力感とが入り混じって心が支配されて、英治は絶句した。


「それは申し訳なかったな」

 対して、女性はまるで躊躇することなく言葉を返した。

「しかし、これが私の仕事なんだよ。お前の願いや未来なんて、知ったことじゃない」

 女性ははっきりと男に目を合わせて、

「内定を勝ち取るというお前の願いは果たされたんだ。あの天使はもう必要ない。むしろ、お前は解放されたんだ、あの天使からな。奇跡が起こったこの世界で、存分に幸せに生きればいいだろう」

「解放? 生きる? ふざけんなよ」

 男は震える声で打ち明けた。

「俺はもう、生きたくないんだよ。内定もらったって、もうわかったんだ。就活やって、優秀なやつたくさんみて、そいつらと張り合うどころか内定のひとつももらえない俺の力も知って。こんな冷たくて、できる奴しかチヤホヤされない世界なんて、俺は生きたくないんだ。楽になりたかったんだよ……だから俺は、あの天使の言葉にうなずいたんだ」

「ほう。どんな言葉を、かけられた?」

 女性は好奇心からか、不敵に瞳を輝かせて問いかける。

 男は即答した。

「忘れもしない。『貴方とともに生きたい、貴方とひとつになって、貴方の願いを私が叶え続けたい。だから、差し出して欲しい。貴方という存在を』」

 英治は聞いた瞬間背筋が寒くなったが、女性はただ「ほう」とうなずいただけだった。

「まさに悪魔のささやきといった風情の言葉だがな、お前にとっては利害が一致していた、というわけか。とはいえ諦めるんだな。あの天使はもう金輪際、お前に舞い降りることはない」

 話は終わり。

 女性はくるりとターンして男に背を向けると、ツカツカと歩き出した。

「ちょっと」

 英治は女性を引き留めようと思ったが、しかし「行くぞ」と力強く手を引かれて言葉を引っこめた。

「クソが」

 歩き始めたそのとき、英治はそんな呪いの言葉を背中できいた。振り返ろうとしたが、相手の視線が怖くて何もできなくて、強い力で手を引かれたのもあって、結局は相手の言葉を無視した。


「あいつは死ぬだろうな。ちょうどよく身を投じられる河もある。だが、それがあいつの願いなんだ。私たちにはどうしようもないさ」

 女性は歩きながら、顔色ひとつ変えずに呟いた。

 彼女の横顔をみて、自分を見ながらそう言ってくれたことも確かめた英治は、彼女なりに気を遣ってくれたのだと理解した。

 けれど。そうだとしても、英治はうなずくことができなかったし、彼女の気遣いに笑顔でお礼を言うことも、もちろんできなかった。

 罪悪感が消えない。

(僕は、気持ちよくなりたくて、あの人の願いを……)

 踏みにじった。

 そうとしか思えなかった。


 女性のバイクの後部座席に乗せてもらったとき、英治は耳にした。

 バシャ、バシャ、と壮絶な勢いで何ものかが水をかく音を。

 身を投げたあの男が本能的に呼吸しようとして、もがいている音か。

 それを確かめるのも怖くて、英治は目を閉じた。

 女性がバイクをすぐに発進してくれたおかげで、その音はすぐに聞こえなくなった。


「大丈夫だ。これでいい」

 エンジン音にかき消えてしまいそうな声だったが、英治は確かにそんな女性の声を聞いた。それが英治に向けての言葉だったのか、あるいは女性が彼女自身に言い聞かせるために放った言葉だったのはわからない。

 とにかく、英治はその言葉に涙を流してうなずいた。

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