⑦マイマイねじ巻きまみむめも
29歳で生涯治らないとされる難病にかかり、無気力となった青年、結城内乃介。
ある時、クスリの副作用で幻覚を見るようになった。その幻覚が彼を救うことになるとは?
その幻覚というのは、知的で天真爛漫な舞台女優の卵だった。その女性の名前はホリー。
ホリーは彼を過去の自分の世界や異世界へと連れ出し、彼を幸せの絶頂へと導くのだった…。
⑦マイマイねじ巻きまみむめも
《無限国無限市内のホテル・マミミにあるカフェバー「ネネム」にて》
「無限市の皆さーん、カジノはダメ、ダメですからね。カジノはギャンブルだと言うことを忘れていませんか。無限の町はめちゃくちゃになりますよ。破産する人で溢れかえりますよ。ボロ儲けするのは、土建屋知事。その土建屋知事がボロ儲けして、その後どうなったと思いますか? なんとですよ、コ・ロ……」。ホリーはひとりで完全に酔い潰れていて、管を巻いていた。
単なる酔っぱらいの戯言にしては、不思議と理路整然としていて支離滅裂ではない……。
谷垣さんが急ぎ足でホリーの前に現れた。
「お嬢さん、探しましたよ。ところで、こんなところで大きな声で物騒なことを言って、大丈夫ですか? 何かあったんですか? お坊ちゃんも心配していましたよ」。
ボクは実家の元執事である谷垣さんにホリーを見つけ出すようお願いしたのだ。ボクの部屋を出る前のホリーの様子がおかしかったからだ。案の定、このザマだったわけだ。
「そう、あの人がね。ふ~ん」
「お嬢さん、本当ですよ。十分置きに代理の砂糖さんからスマホに連絡が入るので困ったものです」
「ハァハァハァ……」。ホリーは、とうとう床に座ってお腹を抱えて転げ回っている。
「お嬢さん、こちらの身にもなってくださいよ。お立ちになってくださいませんか?」
「それは分かったけれど、本当にどうもこうもないわよ。あのヘッポコタマスのヤバンスキー国製宇宙船よ。『柔道は黒帯らしいけどね、宇宙船は白帯だって』。この意味、分かる? 指導者のプータローじゃなかった。プーさんだった。そのプーさんが宇宙船の技術を改竄させていたのよ。まあ、プーさんだけじゃないわ。歴代の指導者たちよ。エリマキトカゲにゴルバにブレヴァカ……。ヤバンスキー国のジョークでこういうのがあるわ。Aさん『ポジャール広場でブレヴァカかバカだって叫んだら捕まった』、Bさん『どうして捕まるのよ』、Aさん『それが最大の国家機密だったんだ』って。バカげた国でしょう?」
「お嬢さん、それはひどい国ですね」
「ひどい国、ひどい人…。あの人にワタシの気持ちなんか分からないわよね。そういう時は気分転換が肝心なのに……。あの人、どうしてどうしてあのまんまなのよ。おい、ヤブ医者! ヘッポコヤブ医者! 聞いているのか? じゃあ、ワタシの美声でも聞きやがれ。♪マイマイねじ巻きまみむめも……」
「まいりましたね、お坊ちゃんのことしか頭にないみたいで……」
「あらぁ~、谷ジイじゃないの。こんな時間にどうしたの?」
「先程からお話をさせて頂いておりますけれど……。大丈夫じゃなさそうですが……。お嬢さんのお迎えに参りました」
「ワタシは大丈夫よ」
「お嬢さん、ではお尋ねしますが、なぜ先程カジノの話をしていたんですか?」
「カジノ、カジノ。あれね。ハハァ。谷ジイ、目のつけどころが鋭いわね。お見逸れしました。アレはね、無限市の人があまりにもかわいそうで……アアアアッー。いま、都市はポイント制になっているでしょう。国への貢献度によってポイントが上がったり下がったりしている。ポイントが上がれば国からの補助金も増えるようになっているのよね。都市の平均が五〇ポイントで、無限市は昨年度(二〇一七年)が三〇ポイントだったのが、十二年後には十九ポイントに……」。ホリーの泣き上戸がまた噴出し始めた。まるで休火山が突然、噴火するように。谷垣さんもたまったものではない。齢六十八にして泥酔したお嬢さんの世話をしなければならない立場になろうとは……。
早急に、ボクが復活しなければいけないのだが………。
身体が筋固縮(四肢の筋肉が固くなっている状態)を通り越してアキネジア―――。
『無動』―――。
全く動きやしないのだ。
中枢神経もいたって正常なのに、どうしてなんだ。
家に往診に来た医者が言うには、「これは、世界初の症例だと思われます。原因は特定できていません。ですから治療方法も検討がつきません」と当たり障りのないことを言ってのけただった。
そこに、なぜかボクの父親が現れた。
1億円の小切手をテーブルに叩きつけて以来だ。
何年ぶりだろう?
「一体、何をしに来たのだろうか?」
その父親の後には、なんとホリーが普段とは違う装いで立っている。しかも、よ〜く見ると化粧もしていてまるで別人。ボクはプッと吹き出しそうになった。
しかし、父親がボクの部屋に来るなんて、天と地がひっくり返りでもしたのか? それとも、それは現実ではなくて、夢なんだろうか? ホリーにほおを抓って確認してもらいたいくらいだった。
父親の顔をそっと覗き込んだ。
父親の顔は蒼ざめていた。
ビックリもビックリ!
ビックリしない方がどうかしている。
あの、あの冷徹無比な父親の眼から……。
信じ難い光景。
大粒の雫が滔滔と流れているではないか。
ボクは父親のそんな姿を初めて見た………。
そんなボクを見かねてか、ホリーがそっとボクのベッドの横に来て、ボクの耳元に欹てるのであった。
「♪マイマイねじ巻きまみむめも、梅の実落ちても見もしまい……」。
彼女の麗しい声は、ボクの寂寥感を忘れさせてくれた。
◎登場人物
ボク…結城内乃介。39歳。難病患者。車椅子生活。母を21歳の時に亡くし、資産家の父はその2年後に愛人と再婚。内乃介は父から1億円の小切手を渡されて縁を切られる。ひとり豪邸に住む。
ホリー…結城内乃介が服用するクスリの副作用によって生み出された幻覚少女。推定年齢18歳。東洋哲学・脳神経細胞・心理学に造詣が深い。ホリーの名の由来は、映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが演じた役名から来ている。
谷垣さん…結城内乃介が幼いころから住んでいた大邸宅の執事。内乃介が難病であることを知って、彼を助けるためにM78星雲のパンドラ星へ行くことに。68歳。