プロローグ 諦めない希望があるパンドラの星
29歳で生涯治らないとされる難病にかかり、無気力となった青年、結城内乃介。
ある時、クスリの副作用で幻覚を見るようになった。その幻覚が彼を救うことになるとは?
その幻覚というのは、知的で天真爛漫な舞台女優の卵だった。その女性の名前はホリー。
ホリーは彼を過去の自分の世界や異世界へと連れ出し、彼を幸せの絶頂へと導くのだった…。
プロローグ 諦めない希望があるパンドラの星
「ワー、ワー、スゴい。見ろよ、空間がねじ曲げられている」――――。
その刹那、ボクは目をパッと大きく見開いた。
「ホリー船長、スゴかったよな。いまのワープを見ただろ。ブラックトレックや宇宙魚雷ハヤトをDVDで観た時よりもずっと迫力あったな。そうだろう」。ボクの両方の目が血走っているくらいに興奮冷めやらぬ状態に。
「内乃介さん、まだワープしていないわよ。きっと正夢ね。良い兆候だわ。ここだけの話だけれど、ワタシ、ちょっと不安だったの。ありがとう」。ホリーは、いつもとは違ってすご~く緊張している様子だった。
それもそのはず。
二〇一八年の技術は、宇宙に関して言えばネットの情報は既成概念を覆すものばかりで、マスコミが伝えたことの多くは、ウソっぱちだらけだった。火星になんか到達していなかったし、月に初めて行ったのも二十世紀ではなく二十一世紀になってからだった。これは、理由はさておき二〇二九年になってからにわかにサノバガン国のUSO〈宇宙開発サノバガン国機構〉が極秘裏に発表したのに端を発する。この件をホホホ国の三流タブロイド紙が報じたが、少し話題になっただけで誰もそのスクープに興味を示さなかった。と言うのも、この当時の人たちは、『歴史は真実そのものではない。その時代の為政者たちによって歪曲されて作られたものだ』とみんな当たり前のように知っていた。ネットがあまりにも普及したお陰で…。ホリーも今回の件で調べていくうちにその事実をネットで知ったのだ。この宇宙船に乗る僅か二日前のことだった。
当時のヤバンスキー国とサノバガン国との冷戦構造がこんなところにも飛び火していたわけだ。
☆ ☆ ☆
「なんなのよ。馬鹿馬鹿しいったら、ありゃしない。サノバガン国もヤバンスキー国もクソだし、御用学者もクソだわ。ワタシ、全然酔えないんだけど……。ここには、どうしてキツ~いウオツカとか白酒とかないのよ……。♪諦めない希望があるパンドラの星…」。ホリーはひとり呟きながら薩摩の芋焼酎をロックでガンガン飲んでいた。
しまいに、ホリーは、スマホに「Hey、Siri 宇宙人はいるの? 教えて、教えてよ」と話しかけている。
スマホのSiriは女性の声で「おもしろいですね。実はこの間、パンドラ星の住人から『地球人はいますか?』と聞かれたばかりなんですよ…。それは冗談です」と淡々としていたものの、その内容は秘書アプリらしからぬものだった。
「なによ。このワタシをよくもからかったわね。ふん。やってくれるわ、Siri。どうせ、アンタなんて、尻軽女に決まってるんだから…」。そう言うと、ホリーは急にワッと泣き崩れた。彼女は意外と泣き上戸のようだ。
「いいえ、それは誤解です。ここは6階のカフェバー『ネネム』ですよ」
スマホからSiriの声が聞こえてきた……。
☆ ☆ ☆
「ホリー船長、M七十八星雲のパンドラ星まではあとどれぐらいで到着しそうですか」。ボクは、二〇一八年型のヤバンスキー国製旧式宇宙船『ヤバンスキーズ』の中にいて、ずっとベッドに横になっていた。なぜなら、僕はまだ依然として身体がアキネジア、いわゆる全く動かない状態にあるからだ。
「内乃介さん、あとワープするまでに1時間以上かかるの。ほんと、ポンコツなのこの宇宙船。もう少し我慢して、我慢してね。諦めない希望があるパンドラの星…」。そう言ってから、彼女はボクの感覚のない両手を握り締めていた。
「ポンコツのヘナチョコ野郎だろう。仕方ないさ。ボクがこのヘナチョコ野郎を宥めとくからさ。よくがんばってくれて、ありがとう、ホリー船長」。この旧式宇宙船が動くようになったのはホリーのお陰だ。ホリーがいなければ、今頃どうなっていたか分からない。だから、ホリーに敬意を払って、ボクはこの宇宙船の中ではホリーのことをホリー船長と呼んでいる。
「じゃあ、そろそろ時間だね。谷ジイ、例のヤツお願いいたします」
「内乃介さん、その耳…。ワッハッハ」
「ホリー船長、それは非論理的です。でも、『魅惑的』だから許しちゃうよ。へへへへ」
「ハハハハァ。ミスター・スモッグのマネね。いつ考えていたのよ。お茶目ね。生真面目で通っている谷垣さんまで担ぎ出して…」
「谷ジイ、作戦成功だね。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。お坊ちゃんのお役に立てられて光栄でございます。お母様がご健在でしたら…」。谷垣さんは目頭を熱くさせていた。彼は、ボクが幼い頃から家で執事を務めていて、昨年退職されたが、今回ボクの身体のことを知ってわざわざ宇宙船にまで乗って来てくれたのだ。ある意味、ボクにとっては家族以上の存在なのかもしれないと思った。
ボクはワープでも有名になったサノバガン国のSFテレビドラマ『ブラックトレック』に登場するミスター・スモッグの耳のようにとんがらさせたのだ。ワープが上手く行きますように…。
ふと、ボクは目覚めた。
大型のディスプレイを見ると、今日はまだ一月十三日だった。
宇宙船の出発は一月十五日。
明後日なのに、どうして?
これは、ボクの夢だったのか?
それにしては、あまりにもリアルすぎやしないか。
そう言えば、最近どうもおかしいことだらけなんだよな。
病気そのものが原因なのか、それとも薬の副作用なのかははっきりしないが、ボクはいま現実と夢の境を見失いつつあるってことなのは確かなようだ。
ナルコレプシーと呼ばれる睡眠障害が疑わしいが、脳自体分かっていないことの方が多いので何とも言い難いとは、主治医の野呂医師から聞いた。
ただはっきりしていることは「オレキシン」と呼ばれる食欲と睡眠に関わる神経ペプチドが減少していることぐらいで、あまりにも専門的すぎてボクにはよく分からない。
さっき出てきた宇宙船はヤバンスキーズだったが、あのヤバンスキーズは結局、採用されなかった。
皆んな頑張って悪戦苦闘したけれど、やっぱりポンコツには変わりなかったのだ。
だから、代わりに別の宇宙船を現在、手配中ってところなんだけれど……。
指名手配の犯人を見つけ出すのとは訳が違う。
本当に大丈夫なのか、ホリー???
ヤバンスキー国のプーさんの手前、当日までは極秘裏に事を進めていかなければいけないんだぜ。
本当にこの世界は馬鹿げている!!!
◎登場人物
ボク…結城内乃介。39歳。難病患者。車椅子生活。母を21歳の時に亡くし、資産家の父はその2年後に愛人と再婚。内乃介は父から1億円の小切手を渡されて縁を切られる。ひとり豪邸に住む。
ホリー…結城内乃介が服用するクスリの副作用によって生み出された幻覚少女。推定年齢18歳。東洋哲学・脳神経細胞・心理学に造詣が深い。ホリーの名の由来は、映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが演じた役名から来ている。
谷垣さん…結城内乃介が幼いころから住んでいた大邸宅の執事。内乃介が難病であることを知って、彼を助けるためにM78星雲のパンドラ星へ行く。