⑥鳩《はと》ポッポほろほろはひふへほ
29歳で生涯治らないとされる難病にかかり、無気力となった青年、結城内乃介。
ある時、クスリの副作用で幻覚を見るようになった。その幻覚が彼を救うことになるとは?
その幻覚というのは、知的で天真爛漫な舞台女優の卵だった。その女性の名前はホリー。
ホリーは彼を過去の自分の世界や異世界へと連れ出し、彼を幸せの絶頂へと導くのだった…。
⑥鳩ポッポほろほろはひふへほ
「ご主人様、気分はどうですか? 少しは落ち着かれましたか?」。ホリーは、心配そうな顔をしてボクに尋ねた。
「あっ、全然何ともないよ。本当だとも。ほら、このとおり……エエ~、どういうことだ。動けないじゃないか。手も、脚も、身体も………。どういうことなんだ? ゆうべはあんなに…」。
ボクの家に駆けつけた何処と無く見覚えのあるドクターの野呂医師が言うには、ボクは無動状態にあるということだった。医学的に無動とは、動きが鈍い場合でも使われるが、このケースは首から下が全く動くことが出来ない状態にあり、通常であればレボドパ錠を服用すれば徐々に回復するらしい。
しかし、野呂医師が言うには「う~ん、今回のケースはレアもレア。物凄く珍しいケースで、私でも初めてだ。だから、ちょっと様子を見させていただきたい」と医者なのに深々と頭を下げてお願いしている。全く変わった医者だ。そう言えば、もの言いがドクター丘乃に似ているような気がするが、時代が違うし、そもそも肝心の顔のつくりが全く違う。
☆ ☆ ☆
二〇一八年時のボクはまだ脳神経に異常は見られなかった。要するに、脳神経はいたって正常で、中枢神経系にあるドーパミンと呼ばれる神経伝達物質が病気を引き起こすまでに減少していなかったのだ。ボクはこのことを知って平静を保てなくなっていた。
ホリーはボクを気遣ってくれた。
「ご主人様、ゆうべの反動でございます。ワタシがあんなにエクスタシーを感じなければこんなことには…申し訳ございません。こうなりますと方法は一つしかないかと」
「その方法とは何だね」
「ご主人様、非常手段ではありますが……」
「もったいぶって、一体何だね?」
「♪鳩ポッポほろほろはひふへほ……」
「いつ聞いても癒されるよ。で、それは一体何だね?」
「北原白秋が書いた詩『あめんぼの歌』の一節です。その世界へ行ってみませんか?」
「ええっ、そんな世界があるのか?」
「ご主人様、ございます。M七十八星雲にございます。鳩が棲息しているようです」
「それで、そこへ行けばボクの身体が治るのか?」
「はい。そこではご主人様の難病が存在しないことが二〇三〇年に証明されております」
「そうなのか。それは大儀であった…。ホリー、少し眠りたい」
「ご主人様、分かりました。何かございましたらワタシの名前を呼んで下さいね。たとえこの部屋にいなくても呼んで下さいね。以心伝心。すぐに飛んで来ますから」
「うん。その言葉、ウソであっても嬉しいよ。ホリー、ありがとう!」
◎登場人物
ボク…結城内乃介。39歳。難病患者。車椅子生活。母を21歳の時に亡くし、資産家の父はその2年後に愛人と再婚。内乃介は父から1億円の小切手を渡されて縁を切られる。ひとり豪邸に住む。
ホリー…結城内乃介が服用するクスリの副作用によって生み出された幻覚少女。推定年齢18歳。東洋哲学・脳神経細胞・心理学に造詣が深い。ホリーの名の由来は、映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが演じた役名から来ている。