④立ちましょラッパでたちつてと
29歳で生涯治らないとされる難病にかかり、無気力となった青年、結城内乃介。
ある時、クスリの副作用で幻覚を見るようになった。その幻覚が彼を救うことになるとは?
その幻覚というのは、知的で天真爛漫な舞台女優の卵だった。その女性の名前はホリー。
ホリーは彼を過去の自分の世界や異世界へと連れ出し、彼を幸せの絶頂へと導くのだった…。
④立ちましょラッパでたちつてと
「ゲゲッ~!」
「ホリー、一体全体何がどうなってこうなったんだ!」
ボクの眼の前の視界には、ここ十年見たことがなかった景色が飛び込んできたのだ。
「周りの人と同じ! これは夢なんかじゃない。現実なんだ」
いつも外に出かける時は車椅子のボクが車椅子に座っているわけではなく、自力で立っているのだから…。
「うわー、どうなってるんだ。難病は治ったのか!?」
周りでは、急ぎ足で闊歩するスーツ姿のサラリーマンや乳母車を両手で引きながらその母親と仲睦まじく談笑しながらゆっくりと歩く若い主婦の姿があったが、いつもとは違っていた。なんと、その目線の位置がボクとほぼ同じなのだ。なんかとっても不思議な気分がした。これで合コンできるじゃん。ってハマ風に思ったり(これはいけない。ホリー、ごめん)。
「ボクは、長いトンネルを抜けたんだよね、ホリー」。ボクは嬉しくてたまらず大声を張り上げていた。周りの人はジロリとボクの方を見てるかもしれないけど、そんなことなどお構いなし。ただ、この現実を伝えたい、ホリーに。その一心だった。
「ホリー! ホリー!……」
ホリーを呼べども呼べどもどこにもその姿はなかった。ボクは途方に暮れた。ホリーは一体どこへ行ってしまったのだろうか?(ボクが合コンなんてことを考えたから、ホリーはきっと嫉妬したんだ。そうに決まっている)。ボクは自分勝手な想像をしていた。我ながら呆れるよ。
☆ ☆ ☆
カフェ「クルル・アイランド」に入ると、風がピューピュー吹いて、「♪立ちましょラッパでたちつてと…」というホリーの声がボクのすぐ傍から聞こえてくる。
ボクは、そっと胸を撫で下ろしたものの……。
ホリーは無限市の行政について早口で捲し立てている真っ最中だったのだ。
「ここは二〇一八年五月三日の無限市です。無限市は今年、地下鉄と市バスが民営化し、再び莫大なカネを投じて都構想実現のための住民投票が行なわれようとしております。ある意味、今年が無限市の分岐点なのです。それは二〇三〇年の無限市を見て十分ご理解できると思います……」
ホリーの話を聞いていたボクは、こう言うしかなかった。
「確かに、確かにだよ。無限市の閉塞感といったらハンパないよ。しかし、仕方ないよ。もう過ぎたことだ。後戻りは出来ないよ」
それに対して、ホリーは一歩も引かない。
「アナタなら変えられます」
「その自信たっぷりな言い草は何だよ。バカも休み休み言えよ」。ボクはついつい声を荒らげてしまった。
「そうかしら。アナタ、お父様を見返したくないの……。そうか、自信がないんですよね。分かったわ」
「ナニ、何が分かったって言うんだい?」
「それでは、また元の世界へ戻って行くしかありませんね」
「えっ、何だって?」
「アナタには、まだわからないみたいね」
「何がわからないって言うんだよ」
「もう少し頭を冷やした方がいいわ。しばらく待ってるから」
「ところで、そ、その道具は一体何だね? ホリー!」
「二〇三〇年に帰還するためのものです」。ホリーは粛々とノートパソコンを開け、二〇三〇年の世界と交信を開始しようとしていた。
「じゃあ、マジでここは二〇一八年なのか? だから、ボクは健康体なのか? 教えてくれ、ホリー! ホリーってば」。ボクは身体全体で武者震いのように小刻みに手足が震え始めていた。
「タッタッタッタッタッタッタッタッ…」。ノートパソコンから戦争を思い出させるラッパの音が聞こえてきて、その直ぐ後に「♪立ちましょラッパでたちつてと…」というホリーの美声が聞こえてきた。
しかし、ホリーはそう言ったきり、再び姿が見えなくなった………。
◎登場人物
ボク…結城内乃介。39歳。難病患者。車椅子生活。母を21歳の時に亡くし、資産家の父はその2年後に愛人と再婚。内乃介は父に1億円の小切手で縁を切られる。豪邸に住む。
ホリー…結城内乃介のクスリの副作用で生み出された幻覚少女。推定年齢18歳。東洋哲学・脳神経細胞・心理学に造詣が深い。ホリーの名の由来は、映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが演じた役名から来ている。