加速(三)
僕はゆっくりと足を進め、二十メートル程先にいる紗千へとゆっくりと近付いて行く。
もしかしたら彼女は僕の姿が目に入った瞬間に逃げ出してしまうかもしれない。昨日の彼女との別れ際の事を思い出しながらそんな事を考えてしまう。
それでも、何も分からないままよりは直接彼女に理由を聞いて、もし自分が悪いのであれば謝って許して貰おう。そう心に決め、
「今日もお仕事休みなの?」
出来るだけに自然にと意識をして声を掛けた。
それが本当に自然だったのかどうかは分からないが、
「ちょっとサボっちゃった」
欄干に肘をつき両手の上に乗っけた顔をゆっくりと外してこちらに向け、苦笑いを作って言ってくれた。
彼女の見せてくれたのは満面の笑みでは無かったけれど、それでも自然な苦笑いだった事に少し安堵して、僕も言葉を返す。
「僕はちゃんと断って抜けて来たよ」
それを聞いた紗千は、ふふと小さく可愛く笑うと、
「真吾君は偉いね」
一言呟いた。
彼女の立つ場所。そこから体一つ分を離して欄干に背中を預ける。その体勢になると、ちょうどビルの上に立つ看板が良く見える。しかし、先程確認したように、そこにはあの見慣れた絵の姿は無くなっていた。
百瀬さんが居なくなった事に合わせて絵も撤去されてしまったのだろうか。
千広さんに言ったように、人が居なくなるという事がこの世界の普通であるならば、その人がこの世界で作り出した物が本人と同じように消えてしまっても何もおかしくはない。
寂しい。寂しい。寂しい。
「寂しい」
言葉がそのまま口から零れてしまっていた。
それを聞き逃さなかった紗千が、
「寂しいの?」
聞き返してくるので、全てを説明した。絵の事、百瀬さんの事、僕が今まで関わった全ての人の事。
「真吾君、ちゃんと仕事してるんだね?」
「仕事って言うか、困ってる人に協力してただけって感じだけどね?」
「じゃあ、私に対してのアレもそういう感じ?」
アレというのは昨日、僕が言った紗千の力になりたいって事だろう。しかし、彼女からは昨日のような怒気は感じない。だから、僕はゆっくりと首を縦に振り、
「でも、親切の押し売りって言われるんだけどね」
「それでも、真吾君は止めないんだ?」
僕は少し悩むが、
「止めるって事は考えたこと無いかな?」
彼女は微笑んで僕を見る。
何かおかしな事言ったかな?と、思うが、
「じゃあ、困ってる人を助けるのが斎藤真吾って人なんだね」
紗千に初めて呼び捨てで呼ばれた。




