距離(一)
朝からもう何度目になるか分からない溜め息を吐き出した。
時刻はお昼過ぎ、いつもの仕事を終え、レジテーブルに着いた僕はそんなことを何回も繰り返していた。
「うるせえな」
何度も何度も僕の深い溜め息を聞いていたはずの千広さんは、何故かこのタイミングでたまらず声を上げた。朝から同じ体勢で本を読んでいる訳だから、いつでも口を挟むことは出来た筈なのに。
しかし、千広さんに『どうした?』と、言われたくて溜め息を吐いていた部分もある。 ただ話を聞いて貰うというきっかけの為に。
「何かあったのか?とか、聞かないんですね」
「お前がデートで溜め息を吐くようなことしただけだろ?全く興味無いからな?」
「僕は少し話を聞いて欲しかっただけなんですけど」
口を軽く尖らせる。男がやると余計に相手をイラつかせるだけのような気もするが構わない。
「別に興味は無いけど、話したきゃ話せよ。まあ、聞いてるとは限らないけどな」
「問題ないです。話を聞いて貰いたいだけなんで」
本当は千広さんも気になっていたんじゃないか、と思う。だから、
「デートとは言っても大したことはしてないです。ご飯を食べて後は適当に喋ってただけですから」
「大したこと無かったから溜め息吐いてるのか?」
「違いますよ。どういう流れかは忘れましたけど、こっちの世界では何が出来るのかな?って話になったんです」
千広さんの顔が一瞬にして変わる。眉間を寄せた怪訝な表情。僕にしてみればもう既に見慣れた表情であるが、
「その時の話では、向こうの世界では二人乗りをしてみたかったけど、交通ルールが厳しくなってからは無理になったって事を言ってたんですよ。でも、こっちなら堂々と出来るんじゃないか?って」
「あー、なるほど。そういう話か」
「で、他には何がしてみたい?って話になって――」
そこで僕は言葉を止めてしまう。
『誰かを殺しちゃうってのもこの世界なら大丈夫なのかな?』
頭の中で、あの時の彼女の言葉がリフレインする。
僕は、それを口に出そうとして、
「あ、紗千って何か特別な理由でこっちの世界に来たんですかね?」
出来ずに、別の話を振った。
急に話が変わっても千広さんは、特に気にする様子は無かったが、
「その人がどうやってこっちの世界に来たのか、その人がどうしてこの世界に来たのか、前も言ったけどな。それも十分他人のプライベートな部分、プライバシーに関わるところだからな?」
千広さんは言うと、本を再び開いて、
「本当に聞きたいなら本人に直接尋ねてみるんだな」
更に続けた。




