好敵手(五)
「その紗千さんが言ってたんですけどね?僕が記憶を失くしてるのは、ここに来た反動だって言ってたんです。それってどういう意味だと思います?」
その質問を受けた千広さんの表情は変わらずに、渋いまま固まっていた。しかし、右手の中指でおでこを軽く掻くと、
「先に言っておくけど、お前の事が嫌いとか憎いとかそういう理由で言わなかった訳じゃないからな?」
想像もしなかった前置きで一瞬、僕の表情も渋いものになってしまう。それを察した千広さんは、
「別にルールとして明記されてる訳じゃなくて暗黙の了解みたいなもんだから、気にするな?いいな?」
更に念を押してくる。その後、ゆっくりと説明を始めた。
「身体から魂が抜ける反動で記憶を置いて来るってとこから『反動』って呼ばれてるらしい」
僕は耳を疑った。
真面目な顔で何をファンタジーみたいな冗談を言い出してんだ。この人は。その思った。だから、もう一回だけチャンスを上げようと、
「はい?」
聞こえなかった振りをしてあげた。しかし、
「急に何言ってんだ。と、思ってるかもしれねえけど、今、お前が生活してる世界はそういう場所なんだよ」
真面目な顔で言う千広さんを見ると、冗談で言っている感じがしなかった。
だから、僕は顔を引き攣らせながら、
「ちょっと意味が分かりません」
呟くと、
「まあ、その気持ちは分かる。俺も同じ体験してるからな」
僕の方を見ながら遠い昔を思い出すように言った。
「頭が混乱してる時に色々説明してやってもきっと入って来ないだろ?忘れても良いような話をしといてやるから、適当に流して聞きながら深呼吸でもして心落ち着けとけ」
いつになく優しい態度だが、そこに触れる気力は今の僕には無かった。
「反動ってのは不規則な事象らしくてな?真吾、お前みたいにほとんど全部忘れてる人間もいれば、さっき名前が出た紗千な?あいつ、近藤紗千って言うんだけど、あいつみたいにほとんど何も忘れていない人間もいる」
更に続け、
「で、その先は二つ」
話をする千広さんの右手が動き人差し指と中指を立て、
「ここに残る人間と去る人間に分かれる」
言いながら、それぞれの指を小さく折って説明してくれた。
「――去る人はどこに行くんです?」
僕の小さな呟きに合わせるようにして、
「さあな?」
千広さんも同じように呟いた。
「真面目な話っぽくしてますけど、そういう壮大な冗談なんですよね?紗千さんと二人で僕をからかってるだけですよね?」
未だに信じられなくてそんな事を言うが、
「じゃあ、お前が何も覚えていないのはどうしてだ?誰もお前を探しに来ないのはどうしてだ?」
僕は次に言おうとしていた言葉を飲み込んでしまった。




