初仕事(三)
太陽が傾き始め、街がゆっくりと朱色に染まりだす。
そんな少ししんみりとした空気感の中、歩道橋の階段を一段飛ばしで駆け下り、降り切った先で華麗にUターンを決めて更に走って行く。目指すのは、屋上に看板が設置されたあのビルだ。近付いて行くと見えていた真っ白な看板は徐々に見えなくなり、代わりに壁側一階に設置されたコンビニエンスストア、そして二階のハンバーガーショップの看板が見えて来る。
コンビニの前に到着し、ふと考える。
午前中に話を聞いた公民館のように一軒家であれば、そこに住む人または仕事をしている人に確認を取れるのだが、こういった色んな店舗や会社が入ったビルの屋上に用がある場合はどうしたら良いんだろうか。
どうやら、百瀬さんも同じことを思っていたようで、
「こういうのってどこに確認取れば良いんだろうね?」
苦笑いを浮かべながら僕に尋ねて来た。
「ちょうど僕も同じこと考えてたんですけど」
言って、百瀬さんがお客さんだった事を思い出す。
「僕、ちょっとコンビニの店員さんに聞いて来ます」
「え」と、小さく零した百瀬さんを置いて、満を持して店内へと足を踏み入れる。
雑誌置き場に面した窓ガラスには綺麗に西側だけブラインドが掛かっている。それでも店内は設置された数多くの蛍光灯でとても明るく、夕方のこの時間でも店内には結構な人の姿が見えた。
僕は店内を一通り見回して店員さんを探し、商品の陳列をしている女の店員さんに声を掛けた。
「すいません。店長さんって今、いらっしゃいますかね?」
彼女は一瞬、きょとんとしていたが、すぐに営業用の笑顔を作ると、
「今、裏で作業してるんですけど」
レジの裏へと続いている『STAFF ONLY』と書かれた扉を指差した。
僕は、お仕事中にごめんなさい。と、心の中で謝って彼女に店長を呼んで来て貰うことをお願いした。
その直後、心配になって入って来た百瀬さんと合流して店長が来るのを待つことに。
「真吾君って結構怖いもの知らずっていうか、ぐいぐい行くね?」
爽やかに笑う百瀬さんに何も言えず、照れ隠しすることしか出来なかった。
「このビルはね、五階で学習塾やってる人がオーナーをやってるんで、看板の事だったらそっちに聞いて貰えるかな?」
忙しそうに額をテカらせた店長さんは、見た目に反して良い人だった。人は見た目によらないって言うけど本当なんだな、なんて考えながらエレベーターで五階を目指す。一つ一つ数字が上がっていく毎に何故か緊張感も増していく。今日、散々同じことをやっていたはずなのに。
五階に到着すると、ちょうど塾に学生が集まる時間なのか、ワイワイガヤガヤと言った喧騒が聞こえて来る。そんな声が聞こえて来る方へと向かい、扉を開けて事務所と書かれた部屋に顔を出す。
「あの、一階にあるコンビニでここのビルのオーナーさんがこの学習塾をやっているって聞いたんですけど」
中には三人の男性が居たが、一番奥に座っていた少しだけお年を召した男の人が手を上げてこちらへと向かって来た。
「私がこのビルのオーナーだけど、何か用かな?」
僕は一度頭を下げて、すぐに本題へと入る。
「このビルの屋上に広告用の大きな看板があるじゃないですか?あそこって今は真っ白ですけど、広告が入ってないって事ですよね?で、お願いなんですけど、あそこに絵を描かせて貰えないでしょうか」
「ちょ、ちょっと待ってくれる。落ち着いてもう一回説明して貰っていい?」
矢継ぎ早な質問にオーナーさんは困惑していたけど、
「あそこに絵を描きたいの?」
何とか聞こえたことを頭の中で整理して言葉を吐き出した。
そこで今度は僕に代わって百瀬さんが前に出て口を開く。
「大きな絵を描くってのが小さい頃からの自分の夢なんです。今日、朝から真吾君に付き合って貰って色んなとこにお願いしに行ったんですけど、なかなかちょうどいい場所が見つからなくて。でもさっき歩道橋からここの看板を見て、真吾君がダメでも良いから聞いてみようって言ってくれて」
百瀬さんはまるで泣いてるかのように言葉を振り絞って出していた。だから、
「僕、あんまり芸術って分からないんですけど、あの真っ白い看板見た時に思ったんです。なんか、大きな画用紙みたいだなって。それに普通は絵が完成してから人に見て貰うけど、描いてる途中も人に見て貰えたらな面白いかなって、これは普段店の窓拭きしながら考えてることなんですけどね」
優しい笑顔のオーナーさんは僕ら二人の顔を交互に見ては、
「いいね。青春だね」
なんて、声を出して笑っていた。