初仕事(二)
百瀬さんと店を出たところで、
「いつもはどういうところで絵を描いてるんですか?」
何か手掛かりになる事は無いかと尋ねてみた。
僕の後ろ、二歩ほど距離を置いてついて来ていた彼は足を止め、少し考えながら、
「授業中でしたら学校の教室で描いてますし、あとは家か、たまに外で描く時もありますけど」
苦笑いを浮かべて言った。
それはきっとあくまでも普通のサイズ、教室や家で描けるサイズのことなんだろう。いくら美術の大学に行ってるからといってそんな簡単に巨大な作品を作る機会も無いだろうし、やっぱりどう考えたって邪魔だ。
僕はそこで一つ気付いた事があったので、振り返って百瀬さんに伝える。
「あの、僕の方が年下なんで敬語使って貰わなくても大丈夫ですよ?」
「あ、本当?」
爽やかな顔から優しい笑顔がこぼれた。
店の前を通っている裏路地を真っ直ぐ抜け、とりあえずという事で大通りに出てみる。幹線道路を跨ぐように建っている歩道橋の上から辺りを見回して、どこかに良さそうなところは無いかと探してみる。
「何か条件とかってあるんですか?」
隣で僕と同じように左右に顔を振っている彼に聞いた。
意外にもすぐに答えは返って来ず、歩道橋に備え付けられた信号が赤から再び赤に変わってしまうくらいの時間、彼は黙ったまま考え続け、
「お店にいる時はああいう風に言っちゃったんだけど、大きな絵を描きたいってのが本当の目的じゃないって言うか、別に今考えたら大きな絵じゃなくても良いんじゃないかって思うんだよね」
あまりにも曖昧な言葉に何も言えず困惑していると、
「口で説明するのは難しいなあ」
自分の頭を右手の人差し指で軽くかきながら、
「今まで描いて来た絵とは違う絵を描きたいんだ」
これだ、と答えを見つけたような明るい顔で彼は言った。
話を聞いて「なるほど」とは言ったものの僕にはいまいちピンと来ていなかった。今まで絵を描いたことも無ければ芸術という特異なジャンルに足を踏み入れたことが無いのだから。
「とりあえず、あそこで少し話を聞いてみましょうか?百瀬さんの言う絵がどんな物か僕には見当も付かないので、最初に言っていた大きな絵って事で思いついたんですけど」
僕が指を差したのは、この辺の住民などが使用している公民館だった。とは言っても、この歩道橋からでは周りの建物が高すぎて屋根の一部がうっすらと見えているだけで、建物自体はほとんど見えないのだが。
歩いて三分ほどで到着したその小さな建物。新しくて綺麗という感じでは無いが、年季の入っている割にはしっかりと使われているという感じがした。清掃や補修が行き届いているんだろう。
鉄格子で出来た小さな門を開けると、小さな庭があり僕よりも少し背の高い木が庭を囲むように植えられている、そこから落ちる葉っぱを竹ぼうきで綺麗に集める後姿を見つけたので声を掛けてみた。
「すいません、ここを管理してる方ですか?」
僕の声に反応して振り返ったおじいさんは、急な客人に驚いた様子も見せず、朗らかな笑顔で首を縦に振る。
「この公民館を少し使わせて貰いたいんですけど」
おじいさんは笑顔を崩すこと無くほうきを持って公民館に入って行くと小さなノートを持って返って来た。そこには使用許可記入帳と書かれており、今月から来月の終わりに至るまでほとんど隙間無くどこかの団体の名前やら個人名が書き込まれていた。
二人でノートを覗き込んでいたがお互いに顔を見合わせるようにして、
「これじゃ、ちょっと無理だ」
どちらからともなく言葉が漏れた。
公民館から更に奥へと進み、充ても無く歩き続けている。
「百瀬さんの学校は使えないんですか?」
返事がすぐに返って来ないとは思っていたが、今回は更に答えにくそうにしながら、
「その、学校の場所を覚えてないんだよね」
苦笑いで隣を歩く僕に言った。
自分も同じ体験をしているからなのか、何故かそこに深く踏み込んではいけないような気がして、それ以上何も言えなくなってしまった。
その後もイベントスペースやライブ会場など色々聞いて回ってみたが、首を縦に振ってくれるところはどこにも無かった。
歩き疲れた僕らは一度お店に戻ってまた明日出直そうという結論になり、再び歩道橋の上を歩いていた。午前中にも通ったここは南北、東西と二つの大きな道がぶつかっている交差点の上に建っていて周りを大きなビルに囲まれている。
「あの、百瀬さん。あそこに描けたら最高なんじゃないですか?」
周辺でもとりわけ一番高いビルの屋上に設置されている看板を指差す。
「確かに、今まであんな大きな絵描いたこと無いけど、でも広告用の看板でしょ?」
しかし、今は真っ白くなっているだけなので特に何にも使っていないよう見える。
「今日、あれだけ色んなとこに行って話をしてみたんだから、ダメ元でやってみましょうよ」
僕は元来た歩道橋を戻りビルを目指して走った。