初仕事(一)
いつものようにレジテーブルの内側に置かれた丸椅子に腰を掛けながら、厚くて難しそうな本を読んでいる千広さんから声が飛んでくる。
「真吾、床の掃除が終わったら窓もよろしく」
僕は彼に聞こえるように返事をして、また床の掃き掃除へと戻る。
千広さんが店長を務めるこの骨董品店にやってきて今日でちょうど十日。
その間、やった仕事と言えば、今もやっている店内の掃除とこれからやる予定の窓拭き。そして、二階にある居住スペースの掃除と、清掃活動しかやらせて貰っていない。
それでもお店に誰かが訪ねて来ればと思ったが、二日に一回ほどの割合でやってくるお客さんも千広さんが一人で接客してしまうので僕の出番は無かった。
そんな事を考えながら、床に置いた塵取りを少ししゃがんで左手で掴む。その隣には急須や湯呑が綺麗に置かれた茶箪笥が僕を見下ろすように立っているが、その大きさと手を触れるのも気が引けてしまうような高級感に圧倒されて、気だけじゃなく腰まで引けてしまう。
床掃除や骨董品の拭き掃除は何かを壊してしまわないかと未だにひやひやだ。
持って来た塵取りへとゴミを集め、塵取りを少し後ろに下げて取り残した分を集める。それを三度ほど繰り返してゴミ箱へと捨て、窓拭きへと移る。
僕は外からの窓拭きが一番好きだ。
何かにぶつかって床に落としたり、壊してしまう心配は無い。それに骨董品店の上部に取り付けられている小さな窓から入る明かりが年季の入った箪笥や棚を茶色く輝かせ、ガラスや金属の品々に反射してキラキラと光る。その様を玄関扉のすりガラスを通して見ると、まるで一つの完成された芸術作品のようで、美術や芸術を全く知らない僕でも少し心を動かされてしまうくらいなのだ。
この景色を外を歩いている人にも是非見てもらいたいと思って、この窓掃除には変に気合が入る。
いざと心に決め、鼻息荒く窓を拭こうとした瞬間に背後から声を掛けられる。
「あの、すいません」
遠慮をしているのか小声になってるが、爽やかな男の声だった。
振り返ると、白のニット帽に黒のパーカー、青から随分と色が落ち様々な色の染みの付いたジーパンを履いた男が立っていた。年は僕より少し上くらいか。
「このお店ってもう営業はしてるんでしょうか?」
僕も初めてここに来た時にはその雰囲気から同じことを思ったよ。なんて考えながら、
「あ、どうぞ」
笑顔を作り、軽く頭を下げて彼を中へと送る。
僕の掃除のお陰かな、なんて勝手に妄想しながら窓掃除の続きへと戻った。
掃除を終えて店の中へ戻ると、レジテーブルに向かい合った千広さんとさっきのお客さんの後姿が見えた。どうやら話をしているらしいのだが、
「どうにかなりませんかね?」
そんな緊迫した声に、骨董品の値切り交渉をしているのかと思ったが、
「真吾、ちょっとここ座れ」
手招きをしながら言う千広さんの様子からしてどうやら違うみたいだ。
僕は、手に持っていた雑巾と水の入った青いポリバケツを急いで片づけると、店の奥から丸椅子を持って来て、レジ側に座っている千広さんの隣へと腰を下ろす。
彼の名前は百瀬渉さん。僕よりも四つ年上の美大生らしい。
そんな彼がどうしてここへやって来たのかと言うと、
「俺、昔から大きなキャンパスに絵を描くのが夢だったんです」
そんな自分の夢を叶える為らしい。僕には分からないけど、もしかすると芸術家を目指す人には少なからずそう言った夢があるのかもしれない。確かに考えてみれば大きな絵を描くと言っても限度がある。家では絶対に無理だろうし、学校で描くにしても許可が必要になるだろう。たとえ許可が出たとしても完成するまでその場所は他の事では使えなくなる訳だ。うん、夢にもなり得るかもしれない。
彼の話を一通り黙って聞いていたが、
「じゃあ、そういう事だから。少し手伝ってやってくれるか」
隣の丸椅子に腰を下ろした上司から予想外の言葉がやって来た。
僕は首だけを千広さんへと向けて尋ねる。
「え?手伝う?」
「おう」
「僕が?」
「俺、骨董品店の方が忙しくてな」
そう言うと、間髪入れずに、
「とりあえず馬鹿みたいにデカい絵を描かせて貰えるとこ探してやってくれ」
とんだ無茶ぶりだと思った。
17.02.02 サブタイトル修正