思い出の味(二)
「目的地の場所は住所とか分かってるんですか?」
「住所がちょっと分からなかったものですから、お店の名前だけはメモをして来たんです」
男性はそう言って胸ポケットから小さなメモ帳を取り出すと、軽く指を湿らせて一ページずつゆっくりとめくっていく。個人的にではあるけど、こういうのを見ているとある程度、年を召してる人なのだなと感じる。
「ああ、ありました」
男性は目を細めるようにして、
「お店の名前は、八百万仲介紹介相談所ですね」
何だか聞き覚えのある店だなと思った。
やる事をそのまま店名にしてしまったある意味インパクトの強いその名前は、もちろん今現在僕がお世話になっているあの店の事だ。
「ちょうど良かった。僕、今そのお店で住み込みで働かせて貰ってるんです。これから戻ろうと思ってたんで良かったら一緒に行きませんか?」
「おお、そうでしたか。お手数ですがよろしくお願いします」
再び頭を下げられる。
何というか、話す言葉を含めて言動全てが丁寧な人だ。
道中、僕が少し気になった事を尋ねてみる。
「今日は誰かの紹介ですか?」
僕が初めて千広さんにお世話になった時、米蔵さんというおじいさんにあの店を紹介して貰って今に至っている。これまでお店にやって来ていたお客さんがどうやってあの店を知ったのか、聞いたことが無かったのでふと疑問に思ったのだ。
百瀬さんがお世話になっているビルじゃあるまいし、あの店が広告なんて出してる訳が無い。
男性は何故か嬉しそうに僕の質問に答えてくれた。
「実は学生時代に仲が良かった友人がいたんですけど、社会人になってからはなかなか連絡が取れずに疎遠になってしまっていたんです。それが何かのきっかけで一度飲もうという事になりましてね」
一度、額を拭って、
「何十年振りですかね?つい昨日の話ですよ。一緒にお酒を飲みまして」
で、
「その時に友人に相談と言うか、ちょっと気になっている事があったので聞いてみたところ、ここを紹介されたんです」
つまり、友人の紹介という事か。
僕が気付いていないだけで、もしかしたら結構有名なお店なのかもしれない。お客さんは全然来ないけど。
そんな話をしている内に店までやって来た。先日の一件以来あまり店にいる時間は多くは無くなったけど、お客さんを連れて来ている以上、そんな事は言ってられない。一つ深呼吸を挟んでドアを開ける。店の中には当然、レジテーブルで肩肘を付いて読書をしている千広さんの姿。そして、コーヒーの残り香。
「ただいま戻りました。千広さん、お客さんですよ?」
僕は男性を中へと案内すると、すぐに台所へと回ってお馴染のコーヒーを入れに行く。この行動が習慣になるくらいにはお客さんが訪ねて来てくれているはずなんだけど。




