海へ(四)
春の麗らかな気温といった感じで、日差しを受けているとぽかぽかしていて過ごしやすい気候なのだが、さすがに自転車に乗って坂道を漕いでいるとそんなものを感じる余裕は無くなるし、もう少し寒くてもちょうど良いくらい額にうっすらと汗が浮いていた。
「ここを頂上まで上りきると、いよいよ海が見えて来るよ」
後ろで自転車を押してくれている紗千の言葉に、
「ああ、そう、なんだ」
と、一漕ぎする度に吐き出す言葉は途切れ途切れで、きっと彼女には何を言っているのか聞こえていないかもしれない。
「海に着いたら何したい―?」
と、後ろから問われるが、酸素が上手く頭に回っていない状況で考えられる訳も無いし、そもそも何をしに海に行くかも考えていなかった。だから、上手く言葉に出来なくて、
「なんか、叫ぶ、かな?」
また、一漕ぎ毎に言葉を吐き出す。
「おお、それ良いかもね。海の醍醐味って感じで!」
予想に反して彼女は何故か乗り気で、
「じゃあ、ここ上りきって下りながら海が見えたら、とりあえず『海だ―!』って叫んでみよう」
なんて提案をして来た。
僕はそこで限界を迎え、自転車を降りて押す事にした。
「紗千、ありがと。あとは僕が引いてくから大丈夫だよ」
「さっきまでへろへろで喋ってた人にそんな無理させられる訳ないでしょ?」
彼女はそう言って僕から自転車を奪うと、
「真吾には下りになったらまた運転してもらうからしばらく体力回復ね?」
僕を置いてどんどん先へ行ってしまう。その後ろ姿を見て気が付いた事があった。
「じゃあ、せめて自転車とそのリュックを交換にしない?」
紗千は、僕の言葉を聞いてすぐに足を止めると、
「じゃあ、遠慮なく」
と、言って僕の方に向けて背中を突き出した。両手で自転車のハンドルを掴んだままリュックを下ろすのは無理だもんな。などと考えながら彼女からリュックを下ろすと、休憩の時にも触らせて貰えなかったこのリュックが思っていた以上に重い事が分かって、ちょっと驚いた。
「え、こんなに重かったの?このリュック」
「真吾の自転車に比べたら軽いよー」
自転車を引く彼女はまた笑いながら言った。
その後ろ姿を追い掛け、
「水筒とお弁当だけでも結構重量があるんだな」
そんな事を呟きながら、嬉しそうに何かのメロディを口ずさむ彼女の背中を見つめていると、自然と笑みが零れた。
17.03.30 誤字修正
17.03.31 加筆修正




