手毬唄
一つとや 一夜明ければ 一人身に 一人身に
人を想って このちをば このちをば
私の人生では珍しい事ではない。私は自分にそう言い聞かせる。失ったものを考えていても仕方がないが、これで元気に仕事を探しに行くほうがどうかしている。私は地元をあてもなく彷徨いていた。
記者の仕事を首になってからの私は、抜け殻のような日々を過ごしていた。最初は支えてくれていた交際していた彼女も、他に男を作って町を出て行った。今は貯蓄を擦り減らすだけの生活を送っている。何も残されていない私には、何もないこの町が心地よかった。この町にいると安心する。何もしない日々が満ち足りたものに思えてくる。そういえば彼女は最初からこの町の雰囲気が嫌いだと言っていた。確かに都会とはとても言えないが、数時間汽車に揺られれば東京にも出られるし、活気が無いとも言えない。私はこの町に魅了されていた。中でも町外れにある林の中の神社を最近見つけてから、お気に入りの散歩場所になっている。人気のないあの空間にいると、頭が空白で埋め尽くされる感じがする。とても心地よい。
聞こえてくる歌は、手毬唄だろうか。音の聞こえてくる方を見ると、着物姿の幼い少女3人が鞠遊びをしていた。懐かしい曲調に私は思わず立ち止まり、暫しの間耳を傾けた。彼女たちは曲を歌い終わると林の中へと消えていった。あのような格好で土遊びをやるのだろうか、私は彼女たちの母親に同情した。林の中にひっそりと建つこの神社は民家が並ぶ一角とは少し離れていて、昼過ぎでも子供たちの遊び声と鳥のくぅくぅという鳴き声しか聞こえなかった。古びた鳥居の奥に本殿があるが、久しく清掃されていない。廃神社と化したこの場所はこのまま林に飲み込まれて消え行くのだろう。
二つとや 二葉の松は 匂いけり 匂いけり
捧げ祀らん 蓋をして 蓋をして
翌日、いつもの様に廃神社に向かうと、少女達は虫籠を持ってなにか話していた。鞠遊びをしていた少女に加え、少し人数が増えている。あの後は虫取りをしていたのか。興味が湧いた私は声をかけることにした。
「お嬢ちゃん達、虫を捕まえたのかい?」
彼女たちは自慢気に虫籠を私の目の前に付き出した。中には蜘蛛が数匹入っていた。グロテスクな虫に少々面食らったが、子供というのは中々どうして強いものだと感心した。
「これは大きいね、家で飼うのかな」
「違うよ、手毬唄を教えて貰うんだよ」
はて、蜘蛛と手毬唄がどう関係があるのだろうか。彼女たちの祖母が虫好きだったりするのだろうか。少女たちは厠に行くと言って走り去ってしまった。全員で行くのか、仲が宜しくて大変結構だが虫も連れて行くのか。私は気になって後をつける事にした。本殿から少し離れたところに古びた男女共用の厠が一つ設置されている。扉を開けると直ぐに便器が見える小さなもののようだ。私が藪の中から覗いていると、少女たちは虫籠の中の蜘蛛を便器へと摘んでは放り込んでいく。こき、ぺきぺきという音が微かにしたかと思うと、か細い唄が聞こえてきた。その声は幼い少年のようにも、瀕死の老婆の声にも聞こえた。少女たちは直立不動のまま唄を聞いている。安心できる懐かしいメロディだ。唄が終わると少女たちも神社の境内に戻っていった。私もその場を立ち去った。
三つとや 皆様子供衆は 集まれり 集まれり
問うは何処に 身籠って 身籠って
なぜ彼女は私から離れていってしまったのだろうか。この町で二人で過ごしていく、それだけで私の人生は満ち足りたものになる筈であった。やはり仕事を失ってしまったことが決定打だったのか。はて、なぜ私はあの会社を追われたのだったか。そんなことは些細な事だろう。彼女に戻ってきて欲しい。この町で生きていきたい。そしてこの町で死にたいと思う。私は死にたいのか?それも素敵なことだろう。私とこの町の一部となる、彼女はそれが気に食わなかったのだ。東京で慌ただしく進む時の奔流に酔っているほうが好きなな彼女とは、根本が違ったのだ。残念だが仕方がない。さて、今日もあの神社に足を伸ばそう。
四つとや 吉原女郎衆は 手まりつく 手まりつく
手まりの拍子の 面白や 面白や
今日も手毬唄の声が聞こえる。境内ではやはり少女たちが鞠遊びをしていた。先日よりも更に人数が増え、十人程が一つの鞠で遊んでいる。気になったのは、やはり聞いたこともないような手毬唄を歌っていることだった。この地方で育った私でも聞いたことがない。素敵な旋律だった。私は境内の岩に腰掛け、彼女たちの遊びを眺めていた。少女の一人がこちらに気づき、近寄ってきた。
「素敵な唄だ」
「でも鞠が一つしかないの」
彼女は笑顔で答えた。
「どうして嬉しそうなんだい?」
「今日は鞠をお願いするの」
彼女の虫籠には大振りの竈馬が所狭しと詰められていた。
五つとや いつも変わらぬ 年男 年男
お年もとらぬに 嫁をとる 嫁をとる
私は今日から日記を付ける事にした。最近物忘れが激しいような気がする。頭の中の情報がどこかに抜けていくようだ。だが、今の私はとても幸せだ。まるで天国にいるようだ。今日も神社へ行こう。道すがら汚い猫がいたので絞め殺した。神社ではいつもの様に手毬唄が聞こえる。前日より鞠が一つ増えている。どうせなら人数分揃えてしまえば良いと思うのだが。少女達が鞠つきを終えるまで眺めていた。日が暮れ始めると、少女たちは一固まりになって参道を下っていった。私はそれを見送ると、厠へと向かった。木製の扉は今にも壊れそうなオンボロ具合だ。私は便器の中に猫の死骸を放り込んだ。ごきごきという、大きな音がした。
六つとや むりよりたたんだ 玉だすき 玉だすき
雨風吹けども まだ解けぬ まだ解けぬ
井戸から水を汲もうと桶を棚から出そうとしたが、中に人間の腕が入っていた。腕には時計が巻き付いていた。私はその時計に見覚えがあった。そうだ、これはかつて同僚だった斎藤の時計だ。思い出すのは一瞬であった。この斎藤という男は私から彼女を奪っただけでなく、それを職場で自慢気に吹聴した。腹に据えかねた私が拳を振り上げて顔面に叩き込んだ。その対価が退職処分だった。こんなに私の心を怒りで煮えたぎらせた出来事であっても抜け落ちるものなのだなぁ。しかし人の腕というものは存外重みがあって持ちにくかったので、そのまま桶に入れて持って行くことにした。手首がぷらぷらと邪魔だったので風呂敷で覆うように縛った。途中の質屋で腕時計を金に変えた。斎藤はいつも羽振りのいいものを身につけていただけのことはあり、相当の高値がついた。これで暫くは食費に困ることはないだろう。
神社の境内では少女たちが手毬唄を歌っている。今日は半数の少女が鞠をついている。羽振りの良い親がスポンサーにでもなったのか、それとも。前日よりも、少し人数が減ったように見えた。少女たちが帰った後、私は厠へ向かい、斎藤の腕を便器に投げ込んだ。みしみしという音の後に、一回だけ、ばきりという音が響いた。
七つとや 無いものねだりを なんとせう なんとせう
幾重に重ね 踊りましょ 踊りましょ
鳥の声で目を覚ました。秋も深まり、窓を開けると肌寒い風が吹き込んできた。庭を見ると、西瓜大の球が落ちているのが見えた。瞼を擦りながら近寄ると、東京に出たはずの彼女の頭部だった。私はそれを両手で拾い上げ、溜息を付いた。土に塗れた彼女は薄汚かった。こんなものに私は執着していたのか。昔の自分はこの頭部の下についていた肉体に欲情し、性的興奮を愛だのなんだのと勘違いしていたのだろう。なんとも滑稽な姿であったと自覚する。血のついた桶は林に投げ捨ててしまったので今日は新しい桶を買いに行かなければいけないか。いや、買うまでもないか。私は昨日桶を包んだ風呂敷で彼女の頭部を包み込んだ。血が染み出してきて厄介だったので、川に付けて血を抜くことにした。まるで西瓜を冷やしているようだ。しかし中身が出ているぞ。私は一人でくすくすと笑った。
八つとや やわらこの子は 千代の子じゃ 千代の子じゃ
お千代で育てた お子じゃもの お子じゃもの
川に頭部を晒していることを忘れて買い出しへ出てしまい、そのまま夕食を取り寝てしまった。あれから本物の西瓜を食べたくなって市場を見に行ったが、当然季節外れで売っていない事に軽く落胆し、頭部のことがすっかり頭から抜けていた。この様子では原型を留めていないかもしれない。私は心配になり金盥を持って川沿いへ向かった。膝まで水に浸かりながら風呂敷を解くと何とか固形を保っている。私は胸をなでおろし、髪の毛を掴んだところ、ぶちぶちと抜け落ちてしまった。やはり脆くなっていたか。小さく舌打ちをしてから、盥に頭部を入れてそのまま神社へ向かった。境内では少女たちが鞠つきをしていた。今日は全員が鞠をついている。しかし人数は更に減り、六人になっていた。少女たちが帰宅の途についたので彼女たちに手を振り、厠へと向かった。扉を開けて便器に頭を投げ込んだが、大きすぎて入らない。どうしたものかと思案していると、便器の中から水がせり上がってくるのが見えた。私は一旦外に出て扉を閉めた。中からはごきんごきんと大きな音がした。暫くして一帯はいつもの静寂を取り戻した。再び扉を開けると、つっかえていた彼女の頭部は無くなっていた。この時ばかりは川でふやかしておいて正解だったと思った。
九つとや ここへござれや 姉さんや 姉さんや
白足袋雪駄で ちゃらちゃらと ちゃらちゃらと
今日は家の中の大掃除をしようと思っていたが、生憎の雨模様だった。これでは布団も干せないし洗い物も乾かない。仕方がないので拭き掃除だけにしようと、井戸に水を汲みに行った。棚には新しい桶があった。私は満足するまで徹底的に掃除した。やはり体が動く時にこういう事はしなくてはいけない。気が付くと町内の鐘が正午を知らせていた。私は残っていた野菜屑で粥を作り、腹を満たした。さて、今日も神社へと向かうか。
境内には誰もいなかった。私は彼女たちが歌っていた手毬唄を口ずさみながら暫く本殿を眺め、その後厠へと向かった。私は扉を閉めると、便器の中に手を伸ばした。ごぽごぽという、水がせり上がってくる音がした。
十とや 遠のく音は 聞こえぬと 聞こえぬと
最期の時は 一人なり 幾重なり
大正十四年十月二十七日
発見場所:東京市内借家
被疑者:吉田○子(二十四歳)
吉田○子の自宅で、恋人の斎藤××(二十六歳)が遺体で発見された。遺体は出血が酷く、部屋は血で汚れていた。遺体の右腕は損失しており、借家の何処にも見当たらなかった。凶器は判然とせず、強い力で腕を引き千切られた様な傷跡が残っていた。第一発見者である吉田は、目が覚めたら隣で死んでいたと主張。借家の周りで怪しい人物の目撃証言が得られなかったこと、借家は施錠されており隣で寝ていた吉田を起こさずに犯行に及ぶことは不可能として、当局は吉田を被疑者とした事情調査を行った。司法解剖では、女性の腕力では到底不可能な犯罪という結果だった。
大正十四年十月三十日
発見場所:河川敷
被疑者:不明
△川河川敷にて吉田○子の遺体が発見された。遺体は首から上が欠損していたが、所持品や手術痕から吉田と判明した。猟奇的な殺人として、吉田の恋人である斎藤××が殺害された事件と同一犯である可能性が浮上した。所持品にはN県までの汽車の乗車券が発見された。
(「現場に鞠が転がっていた」と書かれた部分が二重線で乱暴に消されている)
警視庁未解決事件ファイルより転載