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真実と過去

 ベッドから落ちて起きた、なんて事にはなっていない。

 枕の傍にある、棚のような場所に置かれた時計は、朝の6時30分を指していた。

 毎夜捲る事にしている日めくりカレンダーは『昨日』の日付のまま、そこにあった。

 ただ『昨日』というのは、言い換えれば『入学式の前の日』の事で、もし、私があのまま帰って寝てしまったのであれば、このカレンダーは『間違った日付』をその場にとどめているという事でもあった。

 次の瞬間、上のベッドにいる葵が発した言葉が無ければ。

「入学式はお昼からだよ~・・・・もうちょっと寝ようよ~・・・・」

 むにゃむにゃ言いながら発せられた言葉は、にわかに信じがたいものだった。

 汗が止まらない。

 まるで特別嫌な夢を見た後みたいな・・・・。


 ・・・・夢?


 あれは、夢?

 単なる悪夢?

 ・・・・。

 ・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

「・・・・っ」

 悪夢、という言葉で、まとめられる代物ではなかった。

 一瞬という景色が、記憶にムリヤリねじ込まれている。

 忘れたいのに、忘れられない、思い出したくも無いのに、思い出さざるを得ない光景。

 音が、耳から離れない。

 何か大切なものが、潰れて、壊れてしまった音。

 間違い、無い。

 あれは、夢じゃない。

 悪夢なんかじゃ・・・・。

「藍菜ちゃん?」

「・・・・っ?」

「はい、ホットミルク。大丈夫・・・・じゃ、無さそうだから」

 いつの間に起きたのか、というか、いつの間に上から下りて、いつの間にそれを作ったのか分からないまま、温かなマグカップが手渡される。

「ひゃあー、まだ寒いねぇ。目が覚めちゃったから、速効で作ったけど・・・・美味しい?」

「あ、ま、まだ飲んでな・・・・ふぁっつぃ?!」

 何これ! 熱い! 何度?!

「そんなイキナリ飲んだら火傷するって・・・・」

 少しクセの付いた長い髪を揺らしながら、葵が心配そうに私を見る。優しげな笑みを浮かべながら、私の傍に座る。

 言われてみれば、何の心構えも無しに熱い物を飲んだって、火傷するか運がよくて火傷を免れるか、の、2つしか選択肢は無いよね。甘い砂糖入りのホットミルク。結局何度くらいなのかは分からないけれど、とりあえず・・・・落ち着く。

「落ち着いた?」

「・・・・多分」

 笑顔になれているだろうか。なれていたら良いな。

「さてと。早起きは三文の徳とは言うけれど、さすがにお昼まで暇だよね~。何しよう」

「・・・・葵」

「ん?」

「今日、入学式だよね。間違って、いないよね・・・・」

「藍菜ちゃん・・・・?」

 葵は、私の顔を覗き込んだ。

 葵は心配そうな表情を浮かべ、それから、ただ微笑んだ。


 そのまま、数分に渡って静寂の世界が訪れる。

 葵は私の頭を撫でたり、ホットミルクを大量に作ったり。

 それなりに時間が経つまで、その場の空気は重いままだった。


 ◇ ◆ ◇


「入学式って、つまらないね」

 その台詞は、私のものでは無い。隣にいる、葵から発せられたもの。いかにも退屈そうに言う葵は、心なしか髪の艶がいつもより無いような気がした。

 『あの時』と同じで、私達は高校校舎1階の、薄暗い廊下の壁にもたれかかっていた。先程から、今朝の私を気遣ってずっと喋りっぱなしの葵。私にとっては2度目の入学式になるのだけれども、校長先生の話が異常に長い、という事が分かった。

 というのも、私は1度目の入学式、体育館の構造を気にして、入学式そのものにあまり興味を示さなかったのだ。だから、校長先生の話が長い、という事は、1度目では分からなかった。

 そして、今、1度目では私が言っていた台詞の殆どを、葵が代弁している。そして不思議なことに、放課後に、1度目は私が葵と一緒にいても良いか、と聞いて一緒に夕方までいたわけだけれど、今回は、葵から一緒にいないかと誘われた。

 寮に行くまでの道のりで藤黄君に出会う、というのは知っている。いや、まだ断定は出来ないけれども、ここまで『夢だ』と思っていた未来の出来事が、別の形で再現されているのだ。藤黄君があの住宅街の中、1人で私を待っているというのは、多分、この後に起こる事の1つ。

「ね、ね、藍菜ちゃん」

「あ・・・・何?」

「うん。私、この後待ち合わせている人がいるのだけれども」

 小室 紫苑とだよね。知っているよ。言わないけど。

「実はね、その人が、藍菜ちゃんと此処で一緒に待っていて、って言ってきたの」

「・・・・え?」

 あれ? そんなの、1度目では無かったのに。まぁ、私以外が1度目と全く同じ行動をしているならば、私と葵の会話はずれていたけど。

 でも、とりあえず、私は紫苑君とは『初めまして』の関係だよね?

「あの、その人、葵と私で待っているように言ったの?」

「? えぇと・・・・『葵とアイナで待っていてくれ』って。アイナは藍菜ちゃんしか知らないし。私」

 葵は大きな目を2回ほど瞬かせて、私を見つめる。

「・・・・」

 紫苑君が、私の事を知っていた?

 一体いつ、何処で、私の名前を?

 って。

「もしかして、私の事、その人に話したの?」

「うん。だって、ECTを渡す相手だもん。言わなきゃダメでしょ、助手としては」

「あぁ、まぁ、試作のECTを渡す相手だもんねぇー・・・・って助手ぅ?!」

 助手?! 初耳だよ!

「葵、待たせたな」

 もう来た! あ、いや、ある意味時間通りか。

 廊下の右奥にある玄関、そこから差し込む光が、ほんの少し赤みを帯びている。もうこんな時間だったのかぁ。

「じゃね」

「あ、うん。また後で、葵」

 私は手を振って、後ろ姿で部活に向かう2人を見送った。

 何だろう。紫苑君が、やたらと私の事を見ていたような気がした。


 ◆ ◇ ◆


『・・・・あいつ』

『あれが藍菜ちゃんだよ』

『あぁ、知ってるよ。ただ、ちょっとな』

『ちょっと、何? 久しぶりに真剣で深刻そうな顔を見たよ。紫苑がそんな顔になったの、ECTを造った時以来だね』

『俺は、自分で自分を無愛想だと思っているが・・・・。よく違いが分かるな』

『ん? えぇと、いつも無表情だから、逆に分かりやすいというか。微妙な眉の位置の変化とかで、今日は調子が悪そうだな、とか。逆に良さそうだな、とか』

『・・・・へぇ』

『で、藍菜ちゃん、気になるみたいだね?』

『まぁ、な。ちょっと、昨日とは違う雰囲気だったから、見た時は驚いた』

『? 昨日はずっと一緒に居たよ? 一度も外に出ていないのに・・・・。まさか、覗き見したの?! やー、紫苑がそんなイヤラシイ類の趣味を持っているなんて!』

『誤解だ。お前、何度もメールをよこしただろうが。昨日のお前のメール、藍菜の事がたくさん、オマケ的な感じで書かれていたからな。嫌でもイメージできるさ』

『ふぅん・・・・?』

『何だよ』

『いや、もしかして藍菜の事がs』

『それはない』

『ちょっと、最後まで言わせてよ。もしかして藍菜の事が好きに』

『あいつ、藍菜。何処行くって?』

『人の話を最後まで聞けぃ! ・・・・このまま帰るって。まぁ、放課後もすぐ帰ろうとしていたけどさ、紫苑がどうしても、って言うから、何とか引き止めておいたよ。もぉ』

『・・・・そうか。焦っている様子は?』

『そういえばあったかも・・・・って、何。藍菜ちゃんの性格分析&誘導尋問?! どこでこんなテクを・・・・』

『・・・・もう良い。お前に聞いた俺が間違いだった』

『ちょ、ちょっと? 待って~。置いて行かないでよ~。2人で上級科学研究部に行こう?』

『・・・・』

『や、そんな呆れた顔をされても』

『・・・・』

『や、更にそんな下から目線の要素をプラスされても・・・・』


 ◆ ◇ ◆


 前回より早めに出てみた。と、思う。昨日よりも青みの残った空が、その証拠。でも、その場所に着くのは同じ時間なのだ、とも思う。

 ただの勘でしかないけれど。

「・・・・はぁ」

 溜め息は幸せを逃がす行為だからするな、って、いつもお母さんに言われていた事を思い出した。高校生初日(2日目?)でホームシックにかかろうとは・・・・。私はまだまだ親離れが出来ない人間という事だろうか。情けない。

 葵は、中学2年生で青桐町のあの寮に入ったと言っていた。実家は青桐町の南、虹尾島の最南端に位置している黄波町キナミチョウだそうだけど、今まで一度も帰った事が無いらしい。

 さすがにホームシックにはなった事があるらしかったけども、同じ町の出身である友達が同時期に2人いたから、寂しくなかったんだって。

「・・・・」

 確か、この後は藤黄君と出会う。あ、その前に『あの子』と会うのか。

「こんにちは♪」

「ふぇ?」

 あ、考え事をしていた所為で、同じ答えを返してしまった。

 前回と同じ声色。前回と同じシチュエーション。

 やっぱり・・・・。


 『あれ』も、同じように起こってしまうのだろうか。


「今日『も』良いお天気ですね」

「えっ?」

 あれ。何か、違和感。

 真っ白な容姿の少女は、ニッコリと微笑んだ。

「紅い世界って、ステキですよね」

「・・・・そうかな。怖いと思うけど」

 次に彼女が言うはずの台詞。

 違和感の正体を確かめる為に、先に言ってみる。

 少女は、変わらぬ笑みでニッコリとこちらを見つめた。

「そうですね♪」

 見つめた、と言うよりも、その顔を身体ごとこちらへ向けている、と言った方が良いのか。

 手を身体の後ろで組み、足は肩幅に開いて、私から見て右の足に体重を乗せている。

 白い髪に赤い瞳。薄手で長袖の、レースが首や腕などの大部分を覆う膝丈のタートルネックワンピース。

 白いハイソックスに白いショートブーツ・・・・不自然なまでの白さの原因だ。

 まだ中学生以下にも見える背丈の少女は、私に、レースで肌がうっすらと見える背を向けた。

 ただ、顔はまだ私の方を向いている。

 いかにも楽しそうな感じで、少女は口を開いた。


「―― 紅い世界。見たでしょう?」


 そしてその小さな口から紡がれた言葉。

「・・・・えっ?」

 それは、私の耳を疑わせるには十分な代物だった。

「だから、紅い世界、見たでしょ? って、聞いたの」

 本当に楽しそうに。けど、ちょっと真剣に。

「これはねぇ。早くなっても、遅くなっても、ダメなの」

 そして『これ』というが、私の見た、あの残酷な世界の事を指すのだと、何と無く、分かった。

「ほら、もう行かないと『また同じ』になっちゃうよ」

「・・・・っ!」

 口の端をにんまりと、限界まで押し上げて。少女は作ったようにも、自然なようにも見える、何とも奇妙な笑みを、その真っ白な顔浮かべた。

 その時頭の中にあったのは、その子に対する「一体誰?」とか「何が起こっているの?」とかの問ではない。ただ、あの、目の前に広がった、残酷な光景に対する恐怖だった。

 あの臭いが、鼻に染み付いている。

 あの音が、まだ耳の中で渦巻いている。

 あの色が、網膜に焼き付いている。

 その臭いと、音と、色は、私に良からぬ事を想像させるほど、現実味を帯びているものだった。

 何も考えないで、ただ。


 ―― 前回と同じ時間に 『あの場所』へ行かなければならない


 それだけが、頭の中にインプットされた言葉。

 学校から一直線に伸びる道を走る。

 ・・・・。

 藤黄君は、前回と変わらない位置で、前回と変わらない笑顔で私を見つけた。

「・・・・どうかしたの?」

 前回と違う言葉で、私は迎えられた。

 それはそうだろう。

 私も前回と違って、走ってきたのだから。

「ちょ、ちょっと、色々あってね」

「? まぁいいや。一緒に帰らない? あー。寮のムラノさんに届け物があってさ」

「良いよ!」

 我ながら、勢いのある返事だと思う。

 藤黄君は私の返事を聞いて、肩をビクリと震わせ、私を変な目線で見つめた。綺麗な金髪が風に揺れて、沈んで行く太陽の光でキラキラと輝く。

「な、何か今日は元気だね。あの校長の長話を聞いた日って、僕は結構な確率で眠くなるのに」

「別に何も無いよ? さぁ行こう!」

「???」

 藤黄君は、口の端が上がっているだけの、見るからに嘘くさい笑みを浮かべている。作り笑いと苦笑いの中間みたいな。そんな笑顔。

 いかにも困っているという顔に、私は少々の後悔と、塩コショウ代わりの喜びを覚える。

 だって、それって『前回と違う』という事だから。

 前回は、私の目の前で、あの世界が広がった。


 ・・・・今回は、絶対に。


「綺麗な空だね」

「・・・・あぁ、茜色が?」

「ん? うん。そうだね」

 自分が言いたい事を先読みされたからか、藤黄君はほんの一瞬、笑顔じゃなくて、本当に驚いたような顔になった。


「ねぇ、藍菜ちゃんさ、人生をやり直せるとしたら、どうする?」

 しばらく歩いて、聞き覚えのある台詞が聞こえてきた。

「心理テスト?」

「はは、そんな感じだよ」

 あれ? 何か、違う。

 前回と同じ台詞にしたはずだけど、別の答え。

 前回は『どう取っても構わない』と言われたのに。

「で、答えは?」

 藤黄君は、どういうわけか、既にあの交差点に立っていた。

「・・・・そうだなぁ」

 いつの間にか、私を追い抜いていた。

「私は、そんな力があったら――」

 藤黄君はまるで、横から聞こえてくる音に気付いていないかのような態度。

「―― こうする」

 だから。

「・・・・藍菜ちゃん? どうし――」



 藤黄君の腕を掴んで、十字路ではなくなる部分まで、引っ張ってみた。



 次の瞬間、約3mある、人しか通らないと聞いた道路を、ギリギリ、いや、途中にある壁を引っ掻きながらだけれども、通った。

 それまで藤黄君がいた道を、通った。

 ・・・・何が通ったか?


 かなり大きい、先頭が青くて、銀色の車庫部分を赤みがかった光が照らす、トラック。


 次の瞬間、の後。5秒も経たない内に、それは大きな音を立てた。

 破裂音という名の音が、反射的に耳を塞ぐほど、大きくて。

 家の周りにある、石で出来た塀が、簡単に崩れていた。

 綺麗な同じ大きさで整えられていた石が、無残にも粉々に砕かれて。

 その先にあった家に、大きな穴が空いた。

 ガラスの割れる音が、2種類。

 勢い良くぶつかったトラックの窓と、穴の空いた家の2層に分かれた窓のものと。

 僅かに焦げた臭いが、微風に乗って鼻を撫でた。

 そして。

 少なくとも。

 私の世界は。



 紅く、染まらなかった。



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