次への一歩
ハッとなって見回すと、そこはさっきまで2つの人影と、大きな紅い水溜りがあった場所だった。
どうやら、1時間ほど前に飛んだらしい。水溜りは綺麗サッパリなくなっていて、2人とも何処にもいないのだ。
私がカフェの入口付近で先程起こった事の整理をしていると、カフェ店内から大きな音が聞こえてくる。また、何かが起こったのかと急いで店内を覗くと、恢さんが通路で転んでいるのを見つけた。
派手に転んだらしく、痛がっているが、腰と同時に頭をさすっていて。私が「どうかしましたか?」と、平然を装って聞いてみると、恢さんはとても驚いた顔をして、私の顔をじろじろ眺め見た。
「・・・・いや、ごめんね、何でも無いよ」
「あ、はい」
恢さんは危なっかしく立ち上がって、頭を押さえながら店の奥、厨房へと向かっていく。
『1回目』と違う・・・・。
それは、私の中にあった思考。
「えぇと、はい、ケーキ」
「・・・・チーズケーキですね。美味しそう!」
うん、やっぱり『1回目』と違う。
まさか。
いや、でも・・・・?
「・・・・恢さん」
「何かな、藍菜ちゃん」
ぎこちない様子でこちらを向く恢さんは、困ったような笑みを浮かべている。それほど汚れてもいないのに、コーヒーカップを磨きながら。
もし私の仮説が正しいなら、落ち着けないのは当然なのだ。
「―― 『さっきみたいに』ストロベリーモンブラン、出さないんですか?」
にっこり、笑顔で言ってみる。
恢さんは、綺麗な付近でコーヒーカップを磨いていた手を止めた。
その顔には、驚愕、恐怖を含んだ懐疑のまなざしを持つ瞳が。
私の勘が正しければ、この後の対応次第で『そう』か『そうじゃない』かが決まる。
私にとっての『さっき』は、当然『1回目』の事だ。
私の勘が外れているならば、恢さんにとっての『さっき』は『お昼休み』の事だ。
でも・・・・もし。
―― もし、恢さんが《私と同じ時》を過ごしているならば。
恢さんは、何も無ければ、こんなに驚いた表情をしないはずなのだ。
でもこうしてこんなに驚いているという事は。
『そう』いう事なのだ。
「やっぱり、恢さんも繰り返したみたいですね」
「・・・・繰り、返した・・・・じゃあ、さっきのは・・・・っ!」
さっき。恢さんと朱華さんの脳天を、一丁の銃が打ち抜いたことだろうか。
なら、恢さんが言いかけた言葉の後には、おそらく「本当に起こったことなのか」と続くのだろう。それきり黙りこんでしまって、コーヒーカップごと、手の中の布を握り締める。
「じゃあ・・・・」
30秒ほどの静寂の後、恢さんは搾り出すように、小さく、呟く。
「朱華は・・・・? 朱華も、俺と同じように・・・・っ」
―― チリン ――
ドアチャイムの音。
あぁ、そうだ、ちょうどこの時間、このタイミング。
朱華さんが、来る時間。
「い、いらっしゃいませー」
恢さんは何とか『1回目』と同じ感じで挨拶。
「恢! すぐ帰ったと思ったら此処にいたのね! 一緒に帰ろうって約束したのは貴方じゃない!」
「いやいや、それは君じゃないか。しかも勝手に。クラスメイトだし、というか幼馴染だし、そこは許してよー、ね? 僕だって約束があったわけだし」
と、恢さんは『1回目』と同じように振る舞い、私の方を見る。
「約束・・・・この子、高校生じゃない。しかも服が新品同様。まさか貴方年下が趣味なの? うわぁ、やらしいわね~」
「ちょっと、僕の好みを勝手に作らないでくれる? そもそも僕は相手が了承もしていない約束事なんて、認めないからね」
「どうだかね。アンタまた紙飛行機でメッセージを送ったでしょ。この子もきっと、先輩命令で怯えながら来たに違いないわよ!」
『1回目』と全く同じ言動。恢さんのいる位置も、台詞も、その調子も。ただ、2回見ても夫婦喧嘩にしか見えない。
やっぱり、微笑ましい。不自然さが無い分、更に。
「失礼な! 僕は脅しなんて事、趣味じゃないよ! そろそろ帰ってくれないかな。お客様に迷惑かけられたら困るし」
「はぁ? アンタが私との約束を破ったからこうなったんでしょうが! ってうか、さっきから自分の事を僕、僕、って。うわぁ、何良い子ちゃん振ってるんだか」
「それは関係無いだろ! それに、君が考えているより僕は良い子だよ! 自分で言うのもなんだけども、毎日ちゃんと掃除とか食事作りとか裁縫とかやっているからね!」
「わ、わ、女々しい子発言来たわぁ~」
「何だと?!」
「・・・・あのぉ」
とりあえず、私も同じように、同じタイミングで自分の台詞を述べる。このまま行けば、数分後に紫苑君が来て、朱華さんも帰るはず・・・・。
と、そんな事を考えていると、恢さんと目が合った。どうやら、恢さんも同じ事を考えているみたいだ。なるべく、いや、全部同じように進める。
とりあえず、朱華さんは、恢さんとはちょっと違うみたいで、記憶は無いみたい。
『1回目』の記憶が、朱華さんには、無い。恢さんも先程よりは落ち着いた様子で、ケーキや紅茶やらを用意し始めた。
―― チリン ――
「あ、いらっしゃいませ」
「・・・・ども」
あ、この声。
やっぱりこのタイミングで来た。出されたコーヒーが空になってすぐ。例の如く振り返ると、そこには、漆黒の髪と瞳を持つ少年が。
「この時間に来るなんて珍しいね。いつもの?」
「・・・・うん」
素直にコクリと頷いて、その少年・・・・紫苑君は、私の方を向いた。
私に気付いたらしく、進んでいた足を一瞬止める、が、その後は何喰わぬ顔で朱華さんの隣へと座った。やはり朱華さんが座っている席が元々指定席だったらしく、持ち前のつり眼で朱華さんを睨みつける。
紫苑君も『記憶が無い人物』の1人、のはず。そもそも、あんな事を繰り返しているのは私だけなのだから当然。でも、だとしたら、恢さんは・・・・?
「何よ、生意気少年。遅れた貴方が悪いわよ」
「・・・・掃除があった」
「紫苑君も、此処のスイーツが目当て?」
「・・・・それが?」
「え、や、別に・・・・」
同じように聞き返されて、私は演技とか関係無く、前回と同じ応答をしてしまった。そしてやはり同じように、朱華さんが表情を険しくする。
「こぉら、生意気少年。レディにはもうちょっと優しく出来ないのか。まずはその目をやめろ。怖いから。もうちょっとあのラベンダー君みたいに出来ないのかねー」
「ちょっと朱華? 博士君に無理強いしちゃダメだよ。博士君は青い子の10分の1も感情表現が下手だし緑の子より100分の1もはしゃがないし」
えっと、ラベンダーは紫音、だったよね。どうしよう、あの時どんな顔をしていたのだろうか。これじゃ全部が同じになるはずが無い。
「・・・・ラベンダーは紫音」
「え」
紫苑君からの一言。って・・・・え?
「紫音の家、ラベンダーの匂いが充満しているから」
「あ、そう、なの・・・・?」
「うん」
紫苑君はコクリ、と頷く。
・・・・おかしい!
私、ラベンダー君が誰かを知っていて、知っていながら知らないフリとか、出来ないのに。
演技に無縁な私の、ありもしない考えを読むなんて、不可能以外の何物でも無いのに!
「うん、此処のオレンジムース良いわね。ご馳走様。あ、勘定此処に置いておくから。じゃね」
「また来てねー」
いつの間にか朱華さんが帰る時間。カフェの入口が閉まる。
チリン、ドアチャイムの音。
「・・・・」
「・・・・」
静寂が耳に付く。
恢さんも違和感の正体に気付いたのか、動きがぎこちない。それでも営業スマイルを崩さないのは感心すべきところだ。
「藍菜」
「ふぇっ?! な、なにっ?!」
「とりあえず、落ち着け。時間ならたくさんあるから」
「え」
「とりあえず、次の客が入ってくるまで54分はある。だから、落ち着け」
「・・・・!」
次の客、というのは、私が『1回目』でゆったりしていたら、いつの間にか入って来た人たちの事。お客さんの出入りが多くなっていくのは、学校特有。確かに、次のお客さんは1時間くらい後に来ていたけれども、正確すぎると思う。
出されたレモンティーを飲みながら、紫苑君は私から目線を逸らさない。
・・・・って。
「いつのまに目の前に?」
「今」
「あ、そう・・・・」
あれだね、この人神出鬼没だね。
「で、藍菜」
「な、何でしょうか・・・・」
「メルアド、登録してくれた?」
「「・・・・っ?!」」
え。
え?
えぇええぇええ?!
今、何て言った?
メルアド?
確かそれは『1回目』で紫苑君が店を出た後、登録願いのメールが来ていたはず。
慌ててECTを見る。
そこには、しっかりと、私が『1回目』で登録した、紫苑君のメルアド。そして・・・・。
「―― 紫苑君からの、メール・・・・」
「ECTは、元々『こういう特』のために作った装置だから。機能していないと困る」
そう無表情で語る紫苑君の目は、何処にも、何にも関心が無さそう。何処も見つめていない、無機質でいて美しい、まるで宝石みたい。
「え、え? ええ?」
「まぁ、恢さんが巻き込まれたのは完全に想定外だったけど、良いでしょ。別に」
言っている事が半分以上理解出来ないけど、多分それは良くない事、だと思う。
「あ、あの、えっと」
「結果から言っておく。俺も繰り返した内の1人。本当は此処に来ないつもりだったけど『それじゃダメ』だったから、仕方なく」
と、淡々ととんでもない事を言った。
え、何。
「まぁ、詳しい話は今度、気が向いたらね。まぁ、気が向くかどうかは運次第だけど・・・・」
勝手に話を進めているけれど、それって、それって。
紫苑君、何か、私に起こっている事を知っているの?!
何で、どうして、そもそもどうやって?
私が色々『繰り返している』事。
私の前に現れるあの人達。
その全部を知っている風な口をきく紫苑君。
「とりあえず、藍菜」
「は、はい」
「多分、いや、少なくとも今日はもう何も無いはずだから、安心して良いよ」
「え」
「あれはちょっと遅めのご挨拶、ってところだろうし」
この口振り。まさか『1回目』のあの一部始終を見ていたの?
「うん」
また心を読んだらしく、紫苑君はコクリと頷く。紫音より眠そうな目は、何処を見ているのか相変わらず分からない。けど、何処と無く『1回目』より真剣で、強い光を帯びている、気がする。口調が変わらない所為で、その感情は読み取れないけど。
でも、今日はもう何も無いって、何で言い切れるのだろうか。確信を持って告げたのか、強弱の無い口調に対して、他の言葉より若干声が大きく聞こえた。自信のある発言にしか聞こえない。
「食べ終わったから行くね」
「え」
気が付くと、紫苑君が飲んでいたレモンティーとチーズケーキのお皿が綺麗に空になっていた。見事なまでに綺麗になっているお皿を、私は呆然と見つめる。
あんなに喋っていたのに、どうやったらこんなに早く食べられるのだろうか。
「ご馳走様、恢さん」
「え、あ? うん?」
「ええっ、ちょ、紫苑君?!」
「お話はまた今度。そう言った。だから、今日はもう帰る。疲れたし」
「え、えぇ~・・・・」
紫苑君。
この人。
素直だけど相当自分勝手というか。
その日は結局、紫苑君の超独特なペースに振り回された以外は、特に何も無かったのでした。
◇ ◆ ◇
そして次の日。
「ん」
突き出された拳。たじろぐ私。目の前には、いかにも面倒臭そうな様子で、ちょっと起こっているようにも見える表情で、紫苑君、とよく似た容姿の持ち主である紫音が、佇んでいた。
私は目をパチクリさせて、ただ突き出された拳、というか、その手が掴んでいる紙切れを見る。薄い緑色の、チケットらしき紙だ。
「えぇっと?」
「ん」
朝からずっとこの調子だ。授業の間はずっと寝ている(単位大丈夫かな?)けれども、休み時間になるとすぐさま私の前に来て、この紙を見せびらかすように差し出すのだ。もっとも、この「ん」というのは「あげる」という意味なのだろうけど。
「ん」
「うぅ・・・・受け取れば、良いの?」
「ん」
更に押し付け気味に差し出す。4時間目の終わり、もうお弁当の時間で、さすがに、受け取った方が良いと判断する。
薄い緑色のチケットを受け取ると、紫音はスタスタ別の生徒の所に行って、チケットを配り歩く。配りたいなら私を執拗に狙うのはやめて欲しかったかな。
と、何のチケットなのかを確認する。そこには『―花宮 蓮華―青桐町北公園にて中継ライブ!』と書かれている。花宮 蓮華といえば、最近人気急上昇中の若手アイドル。水星の如く現れて、異性同姓関係無く人気を博している少年アイドルだったはず。
確か、ライブのチケットは販売されたその日に完売するほど人気で、オークションでチケットを売ると軽く10万円が手に入るとか、入らないとか。
な、何でそんなチケットを大量に、かつ無料で配っているの、あの人?!
「ね、凄いよね、相変わらず」
「え、あ、うん」
隣からひょっこり現れた少女は、拗ねたような様子でチケットを配り歩く紫音を見つめている。おさげのかわいい女の子。
「あのチケットね、コネっぽいのでゲットしているのよ」
と、悪戯っぽく笑う。そしてその目を見て、その子が私のよく知るルームメイトではない事が分かった。ルームメイトである葵は、目の色が青なのだが、その少女は、緑色。
そうか、この子が、恢さん達の会話で出てきた・・・・。
「この子は―紺青 翠―よ! 私の双子の妹! 似ているでしょ~?」
と、葵が翠ちゃんの後ろから登場。同じ感じでひょっこり現れる辺り、さすが双子。瓜二つというか全く同じ仕草に、感心するほどだ。
「ね、ね、翠ももらった? チケット!」
「うん。もらった。まぁ、変わらず真ん中辺りで騒いでおくよ~」
「まぁ、真ん中でも騒がしいといえば騒がしいけどね~」
ライブに何度か行った事があるらしく、2人は2人して天井より遥か遠くを見つめる。たそがれる程に、蓮華君のライブは激しいのだろうか?
「「行くなら覚悟して行ってね!」」
と、2人仲良くグッドサイン。
そしてそこで気が付く。葵は私から見て右に。翠ちゃんは左に立っていて、それで、入学式よりも前の事を思い出したのだ。
『私、右だから』
そうだ、葵は確かにそう言っていた。今まで彼女が言いかけた、藤黄君の目の色で自分が使うものを決めているのかと思ったけれど、どうやら、小さい頃から葵は右に、翠ちゃんは左に並ぶクセのようなものがあって、それに沿って自分が使うものを決めているのだ。
鏡芸が得意そうな2人は、お昼なのにお弁当も出さずに高度なハイタッチをしている。とても楽しそうなので、わざわざ「お弁当食べないの?」なんて聞けない雰囲気だなぁ。
・・・・まぁ、いっか。




